長い夜
1
「バカヤロー!」
空に向かって放たれた怒りの叫びは、虚しく暗闇に飲み込まれていった。
深夜の田舎道。
全身ずぶぬれになった俺は、見渡す限り一面の稲穂に囲まれた田んぼの畦道の中で立ち尽くしていた・・・・・・。
外灯の光もままならないこの田舎道で一人バイクを引きずって歩いていたところ、大型トラックに煽られて転倒。この有様だ。
タバコをくわえ、携帯電話を片手にハンドルを握った運転手の姿が映画のコマ送りの映像ように脳裏に焼き付いている。きっと、相手はこちらには気付いていないだろう。
『まだ大丈夫だろう』という油断から陥った、ガス欠という情けない結果。
しかも、深夜に人気の無い田舎道でストップするという、見事なまでの不幸のフルコースだ。
「まったく・・・・・・最悪だぜ・・・・・・はは・・・・・・」
この無様な有様を頭で整理し終えると、なんだか笑いがこみ上げてきた。
陸にも上がる気力も起きず、田んぼの中に再び腰を下ろし、夜空を見上げた。
地元では見ることのできない漆黒の空に無数の星。空が近かった。泥まみれであることを忘れ、しばらく放心していた。
「そうだ、バイク」
大事な事を忘れていた。バイクは無事だろうか・・・・・・。
ぐるりと辺りを見回してみても、姿は見当たらない。トラックに跳ね飛ばされたのか? いや、跳ね飛ばされたならトラックも無事で済まされまい。そのまま去ってゆくことはないだろう。
気力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。水と泥を含んで重くなったジーンズと水浸しのブーツが酷く重い。まるで重りの付いた囚人服を着せられているようだ。
稲穂を掻き分けながら土手を登ると、腰にぶら下げていた革製のマグライトホルダーからシルバーのマグライトを取り外し、周辺を照らして見て歩く。
十メートル程はなれた場所に黒い塊がうっすらと見えた。泥水を含んだエンジニアブーツをガッポガッポ鳴らしながら土手を走る。
バイクは辛うじて土手下に落ちることは免れていた。アスファルトの路上に倒れている俺の愛車、ハーレーダビッドソン。ガソリンが無くなって横たわった相棒は二百五十キロを超えた鉄の塊だ。
「はは、ツイてる」
無論、ツイてなんぞいないのだが、万が一にでも田んぼに落ちていたらそれこそ大変なことになっていただろう。そんな状況、想像しただけで恐ろしい。
「っ・・・・・・!」
ハンドルに手を掛け、車体を起こそうとした瞬間、左手首に激痛が走った。
口に咥えていたマグライトが地面に転がる。一瞬にして目の前が真っ暗闇になった。
痛んだ左手を見るも、暗くてどうなっているのかはよくわからない。が、手の甲を中心に、徐々に熱を帯びてきているのがわかった。指を曲げてみようとしたが、再び激痛が走る。今度は意識していただけに冷や汗が出た。まさか骨折でもしたのだろうか・・・・・・。
右手でマグライトを拾い、再び口で咥える。左手を使うのは諦めた。
すっかり冷えたエンジンとタンクの間に肩から二の腕の部分を押し当て、ハンドルを内側にきりつつ、持てる限りのフルパワーを込めて体を使って車体を押し上げることを試みる。
「うおお・・・・・・!」
無駄にデカイ図体で良かったと思えた瞬間だった。両腕が塞がっている状態でスタンドを立てるのに少々手こずったが、なんとか車体のバランスを取り、立ち上起こすことができた。なるほど確かにこれを起こせなければ大型免許を取れないわけだ。起こせなければ泣くしかないからな。
マグライトを右手に持ち替え、相棒のハーレーをグルっと見回す。
擦り傷はいくつかあったものの、運がいいことにパーツの破損は見受けられなかった。
どうやら、先日取り付けたばかりのジェラルミン製のミッドステップが車体と地面とが接触するのを防いだようだ。ステップ自体は早速、傷物になってしまったが、充分に役に立ってくれた。
ギアをニュートラルへ入れ、キーをオンに入れる。「パッ」とヘッドライトに灯がともった。続いてブレーキランプとウィンカーの確認。問題なく点灯する。電送系は大丈夫そうだ。
「あとはこいつだな」
ライトでセルスイッチを照らす。大丈夫だとは思うが、こいつが正常に動かないとこのツーリング自体が中止になってしまう。
左ハンドルに設置されたセルボタン押した。「キュルキュル」という音と共に、セルも問題なく回った。ほっと一息つく。続いてガソリンコックをリザーブに入れ、タンクをゆさゆさと揺らしながらセルボタンを押すと、勢い良くエンジンが始動した。スズメの涙ほどのガソリンだ、少しのアイドリングで異常が無い事を確かめるとすぐにエンジンを切った。
残り分は、万が一の場合の最終手段に残しておかなければ。
ビュウっと、冷たい夜風が吹き抜けた。秋も半ばに差し掛かった東北の夜風は、濡れた体を刃物か何かのように容赦なく斬りつける。たった三十分程度の時間で、体温は大分、奪われていった。
三泊四日のキャンプの予定だったのだが、今回は着替えを持ってきていなかった。現地調達するつもりだったからだ。合羽すらもっていない。
『備えあれば憂いなし』という言葉が頭に浮かんだ。今度からはもう少しことわざを勉強しておく必要がありそうだ・・・・・・。
「バカヤロー!」
空に向かって放たれた怒りの叫びは、虚しく暗闇に飲み込まれていった。
深夜の田舎道。
全身ずぶぬれになった俺は、見渡す限り一面の稲穂に囲まれた田んぼの畦道の中で立ち尽くしていた・・・・・・。
外灯の光もままならないこの田舎道で一人バイクを引きずって歩いていたところ、大型トラックに煽られて転倒。この有様だ。
タバコをくわえ、携帯電話を片手にハンドルを握った運転手の姿が映画のコマ送りの映像ように脳裏に焼き付いている。きっと、相手はこちらには気付いていないだろう。
『まだ大丈夫だろう』という油断から陥った、ガス欠という情けない結果。
しかも、深夜に人気の無い田舎道でストップするという、見事なまでの不幸のフルコースだ。
「まったく・・・・・・最悪だぜ・・・・・・はは・・・・・・」
この無様な有様を頭で整理し終えると、なんだか笑いがこみ上げてきた。
陸にも上がる気力も起きず、田んぼの中に再び腰を下ろし、夜空を見上げた。
地元では見ることのできない漆黒の空に無数の星。空が近かった。泥まみれであることを忘れ、しばらく放心していた。
「そうだ、バイク」
大事な事を忘れていた。バイクは無事だろうか・・・・・・。
ぐるりと辺りを見回してみても、姿は見当たらない。トラックに跳ね飛ばされたのか? いや、跳ね飛ばされたならトラックも無事で済まされまい。そのまま去ってゆくことはないだろう。
気力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。水と泥を含んで重くなったジーンズと水浸しのブーツが酷く重い。まるで重りの付いた囚人服を着せられているようだ。
稲穂を掻き分けながら土手を登ると、腰にぶら下げていた革製のマグライトホルダーからシルバーのマグライトを取り外し、周辺を照らして見て歩く。
十メートル程はなれた場所に黒い塊がうっすらと見えた。泥水を含んだエンジニアブーツをガッポガッポ鳴らしながら土手を走る。
バイクは辛うじて土手下に落ちることは免れていた。アスファルトの路上に倒れている俺の愛車、ハーレーダビッドソン。ガソリンが無くなって横たわった相棒は二百五十キロを超えた鉄の塊だ。
「はは、ツイてる」
無論、ツイてなんぞいないのだが、万が一にでも田んぼに落ちていたらそれこそ大変なことになっていただろう。そんな状況、想像しただけで恐ろしい。
「っ・・・・・・!」
ハンドルに手を掛け、車体を起こそうとした瞬間、左手首に激痛が走った。
口に咥えていたマグライトが地面に転がる。一瞬にして目の前が真っ暗闇になった。
痛んだ左手を見るも、暗くてどうなっているのかはよくわからない。が、手の甲を中心に、徐々に熱を帯びてきているのがわかった。指を曲げてみようとしたが、再び激痛が走る。今度は意識していただけに冷や汗が出た。まさか骨折でもしたのだろうか・・・・・・。
右手でマグライトを拾い、再び口で咥える。左手を使うのは諦めた。
すっかり冷えたエンジンとタンクの間に肩から二の腕の部分を押し当て、ハンドルを内側にきりつつ、持てる限りのフルパワーを込めて体を使って車体を押し上げることを試みる。
「うおお・・・・・・!」
無駄にデカイ図体で良かったと思えた瞬間だった。両腕が塞がっている状態でスタンドを立てるのに少々手こずったが、なんとか車体のバランスを取り、立ち上起こすことができた。なるほど確かにこれを起こせなければ大型免許を取れないわけだ。起こせなければ泣くしかないからな。
マグライトを右手に持ち替え、相棒のハーレーをグルっと見回す。
擦り傷はいくつかあったものの、運がいいことにパーツの破損は見受けられなかった。
どうやら、先日取り付けたばかりのジェラルミン製のミッドステップが車体と地面とが接触するのを防いだようだ。ステップ自体は早速、傷物になってしまったが、充分に役に立ってくれた。
ギアをニュートラルへ入れ、キーをオンに入れる。「パッ」とヘッドライトに灯がともった。続いてブレーキランプとウィンカーの確認。問題なく点灯する。電送系は大丈夫そうだ。
「あとはこいつだな」
ライトでセルスイッチを照らす。大丈夫だとは思うが、こいつが正常に動かないとこのツーリング自体が中止になってしまう。
左ハンドルに設置されたセルボタン押した。「キュルキュル」という音と共に、セルも問題なく回った。ほっと一息つく。続いてガソリンコックをリザーブに入れ、タンクをゆさゆさと揺らしながらセルボタンを押すと、勢い良くエンジンが始動した。スズメの涙ほどのガソリンだ、少しのアイドリングで異常が無い事を確かめるとすぐにエンジンを切った。
残り分は、万が一の場合の最終手段に残しておかなければ。
ビュウっと、冷たい夜風が吹き抜けた。秋も半ばに差し掛かった東北の夜風は、濡れた体を刃物か何かのように容赦なく斬りつける。たった三十分程度の時間で、体温は大分、奪われていった。
三泊四日のキャンプの予定だったのだが、今回は着替えを持ってきていなかった。現地調達するつもりだったからだ。合羽すらもっていない。
『備えあれば憂いなし』という言葉が頭に浮かんだ。今度からはもう少しことわざを勉強しておく必要がありそうだ・・・・・・。