有馬琳伍氏の悲劇、もしくは24人の客
B未亡人のお茶会と本
B未亡人のお茶会のはじまり、はじまり。
B未亡人は、ロシアンティーがお好き。血のように、真っ赤な薔薇ジャムをたっぷりとカップの入れてお客に供します。テーブルの上には、薔薇が飾られ、お皿の上には甘い甘い異国のお菓子。今日のお茶会の招かれざるお客は、未亡人の亡き夫のお友達。お客を前にして喪服にベールを被った、憂いた美貌で名高いB未亡人は少し当惑していた。
昨日の午後のことだった。B未亡人は東四柳和馬と名乗る青年に街で声を掛けられた。先日死んだばかりの夫の友人の一人である古本屋。B未亡人は懐かしさのあまりに、青年を自宅にご招待したのだった。
実はB未亡人には思うところがあったのである。青年とB未亡人は、Bの生前の一時期においてB未亡人から青年を誘惑した事によって関係があったが、何故かBの死後は全くの音信不通だった。
ここで会ったが百年目、なんとかに飛び入る夏の虫である。そして、夜明けの珈琲をB未亡人と飲んだ彼は次の約束をし、今朝早くに帰った筈だったのである。B未亡人が庭でのお茶の用意をした頃に、メイドと入れ違いに青年は庭に立っていて帰って行った。今朝、B未亡人と後朝の別れをしたばかりの筈の青年は、優雅だが物憂げな物腰でB未亡人に案内された椅子に座る。どうやら、彼は忘れ物をして取りに帰ってきたらしい。皮肉気な笑みと、美しい顔を持った青年は喪服の未亡人におざなりな時候の挨拶をした。昨日の夜の濃密さはどこへやらである。そして、青年はごく軽い感じでこう言った。
「奥様、実はB君には、本をお貸ししていたんですが、ご存知ありませんか。とても危険な本なので、是非帰して欲しいのです」
と、青年は、まるでB未亡人が本の在り処を知っているはずだと言いたげな口調で言った。そして、何か品定めでもしているような顔をしながら、B未亡人を横目でじっと見る。青年は薄く笑っていた。しかし、B未亡人は薄い薔薇色のハンカチを握り締め、目を伏せて首を横に振った。しかし、B未亡人は皆目つかないらしい。華奢な美貌が不思議そうな色を浮けべていた。
「最近、このお屋敷では良く使用人が変わるそうですね。先程辞表を机の上に置いて慌てて出て行かれる可愛らしいメイドさんに聞きましたよ。一週間に一人、若い女中さんが消えるってね」
どうやら青年はB未亡人があまりにつれないので、話を変える事にしたらしい。
「そういえば、以前、奥様にお聞きました、B君は酷く嫉妬深く、何を考えているか解らないと。そして、こうも仰っていました。『Bは嫉妬深いが、その実私の皮しか愛してないようだ』と。その上、B君は、死病に取り憑かれてました。でも、彼は死ぬのは厭だった。だから、私の家の本を盗んだんですね」青年は、ジャム抜きのお茶を飲みながらにっこり笑った。しかし彼の台詞は不穏そのものであった。どうして、こうして、こんな平和でまともな光景とは言いかねるものがある。青年はお茶を飲み干して、茶碗を戻すと澄ました顔をしていた。
「そして、奥様の躯を乗っ取ったんですね、B君」
と、青年は、B未亡人に向かって言う。まるで、今日の天気の話でもしているかのような優雅な口調だった。
「あの本に載っていた方法では、一回使うと術者自身を食べるまで、生贄がいりますもんね。大変でしょう、毎週新しいメイドさんを雇い入れるのは。でも、これでおしまいにしましょう」
青年の台詞に、「え」と言う顔をして振り向いたB未亡人、もしくはBは背後の名状しがたい物を見て恐怖に慄いた。目の前には、巨大な本が空中に浮いていた。本は牙をむき出し、にょろにょろとした触手と唾液をしたらせていた。明るい真昼の下には似つかわないスプラッター。どうやら、とてもB未亡人が食べたいらしい。部屋に縛りつけていた筈だったのに。ああ、あの男がやったのか。B未亡人は、呆気なく本に喰われた。B未亡人だったものは生きたまま、喰われていく。大きな牙の間から咀嚼するような音がした。そして、B未亡人を飲み干すと本はぱたんと音を立ててしまり、庭の芝の上に落ちた。すっかり落ち着いたらしく、本の大きさも人が持ち歩けるサイズになっている。
「だから、早く返して欲しいって言ったんですよ、B君」青年は、苦笑いした。そして、B未亡人だったものを食べて満足したらしい本を拾う。そして、何やら読めない文字が書かれた紐で本をくくると本を持ち去った。口笛を吹きながら、まるで散歩の途中でもしていると言う感じであった。そして、屋敷は誰もいなくなった。B未亡人のお茶会のおしまい、おしまい。
作品名:有馬琳伍氏の悲劇、もしくは24人の客 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙