家族 犬との別れ それぞれの姿(かたち)
その6
ショパンが我が家にやって来たのは生後44日目である。
昔の飼い方とは全く違っていて、3回のワクチンが終わるまで外に出してはいけないと言われた。
離乳食が1日4~5回、排便が4~5回、そして排尿。24時間てんてこ舞いだった。
うんこを散らかし踏んづけたからだを洗うため洗面所に連れていき、ケージ内を掃除し、その間に別の場所でおしっこをする。
手にはうんこが付き、中2の息子がいるときには手伝ってもらったり、腰を痛めて変わってもらったり。
散歩デビュー後は、一緒にジョギングしたり、ボール遊びやフリスビーを仕込んだ。登山やら海水浴やらに連れて行き、のびのびと動きまわっている姿を見るのが嬉しかった。
家族は、ショパンの求心力によって繋がっていたようなものだ。
私の年齢に近づくにつれ後ろ姿には哀愁を帯び、理解しあい、「今」を生きる姿に多くを学んだ。
梅雨が明けて暑さが厳しくなった7月24日、鼻血を出した。
毎年夏になるとぐったりしていたのだが。
元気がないのは暑さのせいだと思っていたのだが。
日が沈んでから病院に連れて行った。
血液検査をすると、赤血球数と血小板が非常に少なくなっていて、危険な状態にあるという。止血剤も効かない。
輸血を勧められた。このままでは間もなく死ぬ。輸血をしても血液不適合で死ぬ確率は30パーセント。輸血することを選んで、そのまま入院。
癌の可能性もあるのでレントゲン撮影を勧められた。了承した。
が鼻血が止まらないとできない。
輸血後、せきが出るようになっていた。
会いに行くと立ち上がって帰りたい素振りをするが、興奮すると鼻血が出るので、レントゲン撮影が終わるまで会わないことにした。
結果は異常なし。原因は不明のまま。なにも食べないという。家族から離された寂しさもあるのだろうが、連れ帰れそうにない状態だ。
買って帰った食パン半切れに、私の汗をいっぱい含ませて息子に持って行ってもらった。
全部食べた、という。
翌朝、電話があった。
「ショパン君、今朝亡くなりました」
入院して4日目。8歳9カ月。
体調不良を軽く考えていたため、死はいきなり訪れた。
ショパンは、私から見捨てられたと思って死んでいったのかもしれない。
毎日の散歩が面倒くさかったのに、早朝と夕方の時間が近づくとずっと監視されていたのが鬱陶しかったのに、その時間がくると、いるはずの場所に目がいく。
さびしゅうて、さびしゅうて・・・
1ヵ月後、生後80日の同じ種類の犬を購入した。名前はショパン。
育児はこりごりだったので、少し成長した犬を望んだのだ。
しかし、ペットショップのケージの中で長く過ごした犬には、噛み癖と食糞という悪癖が付いていた。
気長に、気長に・・・2歳が過ぎた今、気心が通じ始めている。
犬にとって7月から9月は『魔』の季節だ。前述の犬たちはすべてこの期間に体調を崩し、死んでいった。
太郎が退院を勧められたのは、ショパンが病院で死んだことによるらしいと聞いた。ショパンの1ヵ月後に太郎は死んだ。
病を得て犬が入院するというのは
家族から離されケージに入れられて
それ自体が大きなストレスとなって弱った体に加わってくる。
面会は、犬に家族のもとに帰れるという希望を抱かせ
そして再び取り残されたという絶望を持たせてしまう。
面会をせず犬が死んだ場合
家族に大きな悔恨と 大きな悲しみがのしかかる。
作品名:家族 犬との別れ それぞれの姿(かたち) 作家名:健忘真実