家族 犬との別れ それぞれの姿(かたち)
その1
加藤夫妻がかわいがってきたボクサーの『ポロ』は視力や聴力が衰え食欲もなくなり、レントゲン撮影やMRI検査を受けた結果脳腫瘍と診断された。近所の動物病院では手の打ちようもなく、車で40分要する、大阪市内にある動物病院で治療することに決めた。
犬の病気治療に保険に入っていない人が大半である。そして、放射線治療などの高度医療は高額だ。
7歳のポロはまだまだ生きられるはずだと、わずかの望みを託して、通院した。
しかしその甲斐もなく、逝った。
加藤夫人は
「犬の死を見るのがつらくてね、もう犬を飼うのはこりごり」
と涙ながらに語り、ポロのために買い置いていた缶詰を生前仲良くしていた犬たちに配った。
その2
オーストラリアの野犬ディンゴに似た『チーちゃん』は、我関せずの老境にあり、おとなしいのだが若い犬が寄って行くと
――うるさい!
とばかりに歯をむき出して追い払っていた。
林夫妻には子供がいない。15年間我が子として育ててきた。
足腰が立たなくなってきても、排尿・排便は立ち上がってしかしないのでいつも支えてやっていた。
そして老衰で亡くなった。
夫婦そろって動物の供養塚に通っていたが、夫人がうつ状態となってしまい、夫婦間の会話もなくなったという。
「新しい犬を飼えば」
なんて無頓着に言ったのだが、なにか事情もあったのだろう。
1年後、林氏と会ったときでも夫人はうつ状態から脱せないでいる、と言っていた。
それっきり彼らと会うことはなかった。
その3
白い柴系の『太郎』とミニチュアダックスフンドの『クー』を散歩に連れていた山中さん。太郎はポロを慕ってもいた。いつも白い歯を光らせて山中さんに従順で、ほとんど逆らわない。それに合わせてクーも行儀よく散歩していた。
山中さんは、歯石が付かないようにいつもガーゼや爪で歯をごしごしこすっていた。
10歳となった太郎は腎臓を悪くした。輸液を受けないと生きられないという。退院を勧められた。
膝の上に乗せて体をさすってやっているうちに、息を引きとった。
クーは、今では大将面をして散歩に出ている。
その4
一時は40キロ近くまであったゴールデン・レトリバーの『ラッキー』。13歳にして消化器系の末期がんが分かり、やせ細って半分の体重になっていた。痛み止めの注射と薬で3カ月生きた。
山田さんはどこまでの治療をすべきか悩みつつも、高齢であるため、できるだけ自然のままで見送ることを選んだ。
排尿・排便の介助がやはり重労働であるが、家族がいればこその手厚い介護ができ、いよいよというときには、送り出しの準備も整えた。
生きようとする意欲が強いのか、介護する側もへとへとになりつつあったようである。夜はすぐそばで寝て、いざという時に備えた。
そして家族に看取られて、安らかな死を迎えた。何も摂らなくなって、3日目である。鼻血も出したそうである。鼻血を出すともう生きられないと言われたそうだ。
悲しみは悲しみとして、十分なことをすることができたという満足感もみられた。
大型犬の場合、家族が協力すればこそだと思う。
その5
『オスカー』は黒色のラブラドール・レトリバー。私が飼っていたゴールデン・レトリバーの『ショパン』とは半年年下で、オスカーが散歩デビューをしてから間もなくに知り合い、いつもほたえあい、仲良く歩く姿がほほえましかった。
ショパンは2年前に亡くなったのだが、2代目ショパンを病院に連れて行った時に偶然出会った。
数日前から飲まず食わずになって、輸液を行っているとのこと。原因は不明。原因を探るためMRI検査などを勧められているが、どうしたものかと相談された。
犬にとって、検査の意味は分からないし、つらい。
自然のままにしてそのまま死なせるほうがいいのでは、と答えた。なぜなら、オスカーが私と目を合わせてきたから。その眼は、ショパンが死ぬ前と同じだったのだ。
それから4日後、電話がかかってきた。
「オスカー、天国に召されました。きのう買い物に行っている間に」
病院で出会った翌日から輸液を辞めたそうである。
偶然の出会いはなにかの意味を含んでいたのだろうか。
作品名:家族 犬との別れ それぞれの姿(かたち) 作家名:健忘真実