ぼくは脱退します
3
ぼくと喜三也以外の三人は帰りの路線が違うため、駅で分かれたが、ぼくと喜三也は偶然にも同じ線路沿いのアパートに住んでいるため、帰りの電車が同じなのだ。
二人きりになってホームで電車を待っていても、喜三也は何も話さなかった。ただ無言で広告の下の砂利に生えているすすきの揺れる様子を眺めていた。
話し掛けようにも、口を聞いてくれる気配がしなかったので、ぼくは買っておいて忘れていた缶コーヒーを開けた。ぬるいカフェインが気分をより不快にさせた。
揺れる電車の中でも、喜三也は寝ているフリをしているかのように俯いたままだった。いくら普段から無口の喜三也でも、慰めの一言ぐらい掛けてくれてもいいのに、と苛立ち、ぼくは自分の降りる駅に着いても声を掛けずに無言で立ち上がり、電車を降りようとした。
けれど。
パーカーの長い裾が、斜め後ろから引っ張られた。振り返って掴む腕の先には、ニット帽から顔は見えず、金髪だけを覗かせる喜三也が座っていた。
「あの、ぼくここで降り――」
「今晩は、ウチに来てくれ」
今までずっと黙っていたと思ったら、いきなりそんなことを言い出したので、動揺してうろたえているうちに扉が閉まってしまい、再び電車が動き出してしまった。
「見せたいものがあるんだ」
そう言うと喜三也は再び黙り込んでしまい、電車を降りてから彼の家に着くまで無言のまま、暗い路地を淡々と進んでいった。
彼の家には大学に入学したばかりの頃はよく遊びに行っていたが、ここ二年くらいはまるっきり訪れていなかった。
無言のまま部屋の中へと招待されると、壁にはいくつものレスポール型のギターが飾られていた。喜三也はギターを始めた当初からレスポール以外のギターを使わなかった。
そのはずなのに、一番右には、何故かフライングVが飾られていた。
「あれ? 喜三也、フライングVは特に嫌いって言ってたのに、どうして持ってるの?」
あんな形だけのギターは売り場に並んでるだけで迷惑だ、とまで罵っていたはずなのに、明るいイエローのボディーのフライングVが、レスポールの隣に不自然に並んで飾られている。
「これ、前にお前が欲しがっていただろ」
延びた金髪の間から、優しい瞳がぼくをまっすぐに見つめた。
そう。ぼくはライブなどではギターパートが3つあったり、ギターボーカルの曲でない限りは滅多にギターを弾かない為、安いストラト一台しか持っていなかったのだ。本当はもっと何台も欲しいのだけれど、ボーカルがメインのため、マイク等の機材にお金を回さなければいけないため、特に一番欲しかったフライングVは憧れだったのだ。
「で、でも……ぼくはもう脱退するって決め――」
「どうして、脱退するんだ?」
ぼくが言い終える前に、喜三也は表情を変えずに真剣な眼差しで問い質した。
「……五人組のバンドは、大抵失敗して、メンバー全員ロクな人生にならないって聞いたから……」
「誰に聞いたんだ? そんな話」
「サークルの、先輩……」
ぼくが正直に理由を白状すると、次第に喜三也は声を出して大笑いし出した。堪えきれなくなった笑いが吹き出したように、しゃがみ込んで笑いこけた。
「ど、どうして? なにがそんなにおかしいの?」
「おかしいも何も……そんな根拠も糞もない妬みを信じるお前が面白いんだよ」
隣に響きそうなくらいひたすら笑い転げる喜三也の横で、ぼくはこの一ヶ月間、真剣に悩んだことが恥ずかしくなって、またも涙が出そうになった。
「心配するな。今の内からそんな心配を本気でしているなら、少なくとも優は良い人生を送れるよ」
急に真顔に戻った喜三也が息を切らしながら言い、ぼくのあたまを優しく撫でた。
「それでも上手くいかなかったとしたら――俺が守ってやるから」
ぼくは押さえていた目蓋を開くと、そこには今日一日黙り込んでいたような冷たい喜三也の姿はなく、溢れんばかりの笑顔を見せる暖かい喜三也がいた。
「実はな、俺もType-circusとは別に、二人で活動もしていきたいと思ってたんだよ。だから、このフライングVを見せる時にその話を持ちかけようと思ったんだ。そしたら急に優が脱退するって言うからよ。俺も動転しててロクにしゃべれなかったよ。全く」
そう言いながら喜三也はニット帽を取り、ぼさぼさの後頭部を呆れたようにぼりぼりと掻いた。
「え、じゃあ、Type-circusはそのまま五人で続けて、その、えっと……」
「嫌ならどっちもやめていいよ? 優の考えたことなんだから、俺は無理に止めない」
ぼくは、髪の毛が揺れるくらい何往復も首を横に振った。
「ならよかった。――じゃあ、Type-circusはこれまで通り続けて、俺らは俺らで新しいバンドを組もう」
「でも、パートはどうなるの?ツインギター? でもそれだと、ボーカルは……?」
「ん? そんなの決まってるだろ?」
喜三也は白い歯を見せながら言った。
「お前がギターボーカルで、俺がリードギター。お前の歌があってこその、俺らのバンドなんだよ」
ぼくはそれを聞いてついに涙腺がゆるみ、声を上げて泣きながら彼の胸にしがみついた。自分の生ぬるい涙が、彼のお気に入りの服に染みるのを感じた。だけど喜三也は気にせずぼくの背中をそっと撫でた。
――その言葉を喜三也が言ってくれるのを、ずっと待っていたんだ。
そして後日――。ぼくは喜三也にもらったフライングVで、彼の作った新曲を歌い上げた。