『梔子』
自分の言葉に後悔し、歯軋りしている僕と彼女の間には、気まずい沈黙が漂う。
しばらく、無言の時間が続いていたが、その重苦しい静寂を打ち破ったのは、僕でなく彼女だった。
「ここ、私が見つけた特等席なんです。梔子の花言葉の歌をご存知ないと仰っていたので、どうしても教えたくて」
「それで、わざわざ、ここを探したの?」
「いえ、子供の頃に、よくここで遊んでいたんです」
「そうなんだ」
それからしばらく、彼女は噴水広場から聞こえる演奏に耳を傾けていた。
時折、彼女は僕の顔を見ながら、にっこりと微笑んだが、僕はなぜだか緊張して、すぐに顔を伏せてしまっていた。
それでも居心地は悪くはない。むしろ、彼女と一緒にいられることができて、幸せなくらいだった。
夕方になると、日は音も立てずに落ちていき、空を茜色から夜の色へ染めていく。
またいつもの静けさが押し寄せ、空を支配していく夕闇が、さらに寂しげに静寂を演出していた。
薄明るい路地裏は一気に暗くなり、そこから出ると広場に戻って来る。そこからバザールまで続く通りを、僕たちは歩いていた。
話が尽きることはなかった。この街のことや、ここに住む人々のこと。
そして、彼女のこと。
「今日、お店は?」
「お休みです。母に休めと言われたので。きっと、母は私があの方のような詩人になりたかったのを、知っているんでしょうね」
戦が生んだ貧しさゆえ、彼女はそんな生活を強いられたのだろう。けれど、夢のある彼女を、少しだけ羨ましく思った。
僕は流されるだけの人生を今まで生きてきたように思う。そして、それをずっと変えられない運命なのだと思い続けていた。
だが、僕は彼女を見て分かった。叶えたいと願って努力をすれば、運命くらい変えられるのではないのかと。
「もし、平和になって、私が詩人になったら、聞きに来て下さいますか?」
彼女はやんわりと穏やかに笑った。それが、僕には夜の闇に咲く、白い月のような希望にも見えた。
「うん。その時は白い梔子の花束を持って聞きに行くから」
「約束ね?」
「約束だ。絶対に」
それが、僕の見た最後の彼女だった。
鈴のような凛とした声、つぎはぎだらけの赤いワンピース、三つ編みにされた髪。
そして、大きく見開いた、栗色の瞳。
もう二度と、彼女がその瞳で、僕を見つめることはない。
僕は彼女の棺の前で、ただ呆然と立ち尽くしていた。掛ける言葉すら、しばらくは見つかりそうもない。
それなのに、彼女がこの花畑の下の、冷たい土に埋葬されるまで、あと数十分しかない。
耳の奥には、まだ葬送行進曲が聞こえる中、僕は棺の上に、そっと花束を捧げた。
こうなってしまうことくらい、予想はできていた。戦の続く世の中なのだから、仕方のないことだとは分かっている。
「君、この子の親族か何かかい?」
喪服の上着を手に持っている弔問客の男が、僕の肩をぽんと叩いた。
「いえ、友達です。ただの」
名前も知らない上に、たった数日の付き合いで友達気取りか。なぜだか彼女に申し訳なく思えた。
しかし、今になって思う。どうして名前を聞かなかったのだろうかと。
さっきから、情けないほどずっと後悔し通しだ。
「あの花束、君のかい? 何でまた梔子の花束なんか?」
男は、棺の上にある花束を眺めて、不思議そうな表情を浮かべた。
「彼女から買った花が、この花だったんです。それに、梔子を朽ち無しとかけて」
ハハ、と乾いた笑い声を上げて、上着を羽織った。きっと、秋の冷たい風が吹き始めたからだ。
棺の上に置いた梔子の白い花束が、風に揺れながら、また甘い香りを漂わせている。
「でも実際は、死人に口無し、ってな。彼女、仕事の帰り道で襲われて、やられたんだったんだとよ。まぁ、今のご時世じゃ仕方ないことだ。残念だったな、少年」
返す言葉もなく、僕は血が出るほど唇を噛み締めることしかできなかった。
……戦いは、本当に仕方のないことなのだろうか。
棺が、彼女の育てていた花畑の一角に埋められていった。
話を聞いたところ、彼女はここで、売り物の花を育てていたらしい。
女性がすすり泣く中、男性は黙って、棺が埋められていくその光景を眺めていた。
そんな中で、僕はどんな表情をしていただろう。多分、涙は流していない。彼女を不安にさせたくないという、強い思いがあったから。
夏の終わりを告げる、寂しげな風で花畑に咲いた花の花弁が、一斉に夕空へと舞い上がって行く。
あの空のどこかに。彼女はいるのだろうか?
そんな悲しい疑問が胸に過ったが、誰もその質問を答える人などいない。
もう少し、梔子の時期は過ぎ、金木犀が蕾を見せる時期が訪れる。
(このまま時が過ぎなければいい。時が過ぎなければ…彼女を覚えていてくれる人が減らないのだから……)
死人に口無し、か。
きっと彼女は、どこかで平和を歌っているだろう。
この世界に届くまで、ずっと歌っていてほしい。彼女や僕が望んだ平和を……。
End
高校生のときに、課題で書いた小説です。
このときは、小説の正式な書き方をまったく知らなかったため、書き方がだいぶぐだぐだしています。うぅ。
しかし、国語の先生が、えらいこの作品を気に入って、学校中の先生にばら撒きまくってたという黒歴史があります。笑。