小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

『梔子』

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
「梔子」



 僕は棺の上にそっと梔子の花束を捧げた。
 いつか、こうなってしまうことくらい、予想できていた。
 それが、遠い未来か近い未来かは分からなかったが、いつか別れが来るということを。
 だが、それには、あまりにも早すぎた。
 静かな夕暮れを見つめながら、このまま時が過ぎなければいい、と心の中で小さく願った。
 時が過ぎなければ……彼女を覚えていてくれる人が減らないのだから。
 夏の終わりを告げる寂しげな風が、そっと僕の髪をすり抜けた。



 その日、僕は人通りの減りつつある、夕暮れのバザールを歩いていた。
 夕飯の買い物を済ませ、帰路についていると、少女が花を携えて、道行く人々に声を掛けていた。
 しかし、それに耳を貸す者は誰一人としていない。それもそうだ。みんな今日の仕事を終え、早く家に帰って眠りたいのだから。
(それにこの辺りも貧しい人や、他の町から移動してきた人、増えただろうし)
 あのときの僕には、彼女に対して、そんな気持ちしかなく、傍観者的な態度で彼女を見ていた。
 籠いっぱいの花を売り、ただ生きることに必死な彼女を、哀れむような目で。
 これでは、まるで彼女を無視して行く人々と同じ……いや、もしかすると、それ以下かも知れない。
 最悪だ。だが、それを止めることはできなかった。
 今、この国では、醜い内乱が絶えない。偉い人間の理不尽さに、あらゆる人が立ち上がり、反逆する戦いだ。
 僕が故郷の村で見た戦い。それは、空は燃え盛る炎と硝煙に覆い尽くされ、目に映るものを全てを焼き払っていく光景だった。
 赤い木の実の色をした屋根の家や、雄大で美しい緑の自然。それらが燃え尽きていく。そして、僕は灰色になった故郷を捨て、今の町へ逃げ込んだ。
 戦火が、あんなに小さな村にまで及んでしまった。
 なぜ罪のない人間まで、戦火の中に消えなければならなかったのか。今の町を見て、ますます思う。
 この町は花と風が香る穏やかな街だ。虹のように色とりどりの屋根、日差しを受けて燦々と輝く木々。そして、子供の楽しそうに遊ぶ声は蝉時雨のように響き渡る。
 しかし、この鮮やかな町も、いつ戦火の中に消え失せてしまうか分からない。そう考えると、この町も少し荒んでいるようにも見える。
 そんな世界に生きている僕はどうすればいいのだろう。
 僕だって生きることに必死なはずだ。それなのに、それなのに……。
 案の定、僕のところに、彼女はやって来た。
 彼女を見ていると胸が締め付けられるような思いになり、逃げ出したくなったが、うまく身体が動かない。
 そうしている間に、僕は話しかけられてしまった。
「お花、買いませんか?」
 鈴のような凛とした高い声。大きく見開いた栗色の瞳と髪を持ち、くすんだ赤色の地味なワンピースを着ている。ところどころに、まだ明るい赤色のつぎはぎも見受けられた。彼女も僕と同じように、貧しいのだ。
 接客には慣れていないのか、上目遣いで僕の瞳を真っ直ぐに見つめながら、困惑したような表情をしている。
 そんな彼女の熱い視線に巻け、思わず、財布の紐を緩めてしまった。まぁ、明日の夕飯のおかずを一品減らせばいいだろう。
「どれになさいますか? あまりいいお花はないですが」
 悲しそうに微笑みながら、彼女は僕の言葉を待っていた。
 花の名前を知らず、迷っている僕を見、彼女はくすくすと笑いながら、一輪の花を取り出した。
「この花なんてどうでしょう? 今の時期にぴったりな梔子の花です」
 どんな砂糖菓子も勝ることができないほどの甘い香り。そして、洗い立てのシーツのように、清潔で真っ白な花弁。
 花に少しも興味を示したことがない僕が、一目で気に入ってしまうほど、可憐で美麗だ。
「じゃあ、それで」
 お金と引き換えに一輪の梔子を受け取ると、彼女はにこやかに微笑んだ。
「梔子の花 甘い香りが喜びを運び 誰かの元に喜びが届いたとき 私はとても嬉しい」
 突然歌い出した彼女に、僕は開いた口が塞がりそうにもなかった。
 こんな町のど真ん中で、いきなりどうしたのかと、おどおどしてしまう。
「梔子の花言葉の歌、ご存知でないですか? たまにこの街の噴水広場に来る、詩人さんの歌です」
 知るわけがない。僕はつい先日、戦火の中に消えた故郷を離れ、この町に越して来たのだから。
 まだ、この町のこともよく分かっていないが、観光をするほど、時間と金銭に余裕はない。
「また近いうちに来られるそうです。その時に、また会えるといいですね」
 何だろう、この気持ち。なぜかは分からないが、もう一度、彼女に会えそうな気がした。
 手に持った梔子の花が、何かを告げるようにそよそよと、甘い香りを漂わせながら揺れている。
 だが、今はそれを知る余地もなかった。


 それから数日、その日は、町がいつもより賑やかだった。
 大通りやバザールはいつも賑やかなのだが、この賑やかさは初めてだ。
 どうやら、大通りの近くの噴水広場で何かが行われているらしい。特に興味があったわけではなかったが、僕の足は言うことを聞きそうもなかった。
 人々は噴水広場に向かっている様子で、場所が分からなくても、人ごみの流れに身を任せていれば、すぐに場所が分かる。
 そこには、くすんだ赤いワンピース姿の少女がいた。どこで出会ったかは忘れたが、つい最近出会ったような気がする。
 彼女も僕を知っているのか、遠くから大げさに手招きしていた。
「こちらですよ」
 彼女は、無数の人が集まる中から、僕だけを選んで、手を取る。
 宝石のようにキラキラとした笑顔、艶やかな栗色の髪と、大きく見開いた髪と同じ色の瞳……やはり知っている。だが、思い出せない。
 彼女に手を引かれたまま、僕の知らない場所まで来てしまった。誰も知らないような抜け道を行き、薄明るい路地裏に出る。
 とある一軒の家に立て掛けられた木のはしごを昇っていくと、熟れた葡萄色の屋根の上に辿り着いた。
「ほら、見て下さい。町が一望できますよ」
 僕は彼女が指差した方向を見てみる。言われた通り、町を一望することができた。
 言葉がを失ってしまった。なぜ荒んでいるように見えたのだろうと、思うほどだ。
 つい絶景に気を取られてしまっていたが、もちろん、噴水広場で行われていることも分かる。
「あの梔子の花、いかがですか?」
 ぼんやりとしていた僕に、彼女は問いかけた。
 それと同時に、彼女がこの間の花売りであったことも思い出す。
「花瓶に入れていたんだけど、今朝見たら、枯れてた」
 躊躇うことも、何かを思うこともなく、僕は普通にそう言った。
「生あるものは、いつか消えます。私に育て摘まれ、あなたに買われ、あなたが少しでも幸せだったなら、梔子だって幸せです」
 本当にそれが事実だと、証明できるものは何もないのに、なぜか説得力がある。
「それに、梔子を朽ち無しとかけている物語もあります。だから、梔子が枯れても朽ちない、なんて」
 彼女の微笑む顔はどこか悲しげだった。やっぱり枯れた、なんて言ってしまったからだろうか。
 そうだ、彼女は花屋ではないか。そんなことを軽々しく言ってしまったら、傷つくに決まっている。
作品名:『梔子』 作家名:彩風