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ラベンダー
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走れキャトル!(4)~魔術師 浅野俊介 第0章~(完)

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「キャトル…どうしたんだよ?」

圭一は自分の足にしがみついている子猫キャトルに言った。
圭一はキャトルの体を、両手で持ち上げようとするが、足から離れない。
そして、鈍いうなり声をずっとあげているのである。

「母さん…これじゃ仕事行けない…」

圭一が自分の足元で座っている菜々子に言った。

「ねぇキャトル…。お兄ちゃんお仕事だからね。」
「お兄ちゃんですか…」

圭一が苦笑した。が、悪い気はしなかった。

「ちょっと無理やり離してもいいかしら。」
「いいですよ。衣装じゃないから。」
「ごめんね。はい、キャトル!」

菜々子はキャトルを無理やり引き離した。
キャトルは4本全ての足をばたばたして鳴いている。

「あー…なんかつらいよ。」

圭一が言った。

「行ってくるね。キャトル。すぐに帰ってくるから。」

圭一はそう言うと、名残惜しそうに部屋を出て行った。

菜々子はドアが閉まったのを確認して、キャトルをそっと床に置いた。
キャトルは圭一を追いかけるかのように、ドアに突進し、ドアを引っ掻いた。

「キャトル…ごめんね。お仕事場にはさすがに連れて行けないのよ。」

菜々子が困ったように言った。
マネージャーが口を開いた。

「なんか…行かせたくないって感じでしたね。」
「ええ。…なんだか私も胸騒ぎがするんだけど…。」

菜々子がため息をつきながら言った。

……

圭一はスタジオにいた。
ヘアーメイクの女性が、圭一の頭を整えている。
今日は独りで『ライトオペラ』を歌う日だった。最近ジャズユニット「quatre(キャトル)」の方が主になっているので、オペラを歌うのは久しぶりだ。
充分にレッスンは積んだが、ちょっと不安もあった。

(1回で収録終わればいいけどなぁ…)

圭一はそう思った。
ふと、袖にいる父、明良(あきら)の方を見た。何か不安そうな顔で圭一を見ている。
圭一は、自分がちゃんと歌えるのかどうか心配しているのだと思い、笑顔で手を振ってみた。
明良も少し笑顔を見せてうなずいた。

「では、行きます!カメラOK?」

はい!という返事があり、ADが「4・3・2…」と指を出し、圭一にキューを出した。

圭一は歌いだした。今日は久しぶりに「モルダウの流れ」を歌う。しばらく歌っていなかったが、歌いながらも、懐かしさに圭一の胸が熱くなる。
その時、何故か猫の鋭い鳴き声がした。

「!?」

圭一は驚いて上を見た。とっさに頭を抱えてしゃがんだが、同時にライトが落ちた。

「!!圭一!!」

スタッフと明良が圭一に駆け寄った。
ライトは圭一の頭を直撃していた。

……

明良は集中治療室を覗くガラスの前のソファーにいた。涙を流しながら、圭一をガラスの外から見ているしかなかった。
が…ふと自分の横に、誰かが立っているのが見えた。
圭一だった。

「!!圭一?…お前…どうして?」

ガラスの中を見ると、圭一はベッドで寝ている。
驚いて、傍に立っている圭一を見た。
圭一は微笑んで言った。

『…父さん…今までありがとう…』
「!!」
『…赤ちゃん、早く産まれるように…僕から神様に頼んでみるから…』
「何を言ってる!…お前がいたらそれでいいんだ!」
『…幸せでした…。母さんにも…お礼言ってね…』
「圭一!行くな!」
『…父さん…本当にありがとう…』

圭一が消えた。明良は立ち上がって辺りを見渡した。

「明良さん!」

菜々子が駆け寄ってきた。後ろに雄一、マリエ、秋本、沢原も駆け寄ってきている。
明良は我に返りソファーに座った。

「…圭一は…駄目かもしれない…」
「何言ってるの!」
「今、圭一がここにいて…「子どもが早く産まれるように…神様に頼んでみる」って…」
「!!」
「…もう圭一は…あの体にいないんだ…。」

明良は嗚咽をこらえなくなった。菜々子が両手を口にあてたまま、明良の横に座りこんだ。
雄一達は、驚いてガラスの向こうの圭一を見た。

……

子猫のキャトルは、行儀よく座ってリビングの窓から外を見ていた。
誰もいない暗い部屋に一匹だけでいる。
月明かりが部屋に差し込んでいた。

『キャトルー』

圭一の声がして、キャトルは振り返った。

「にゃあ」

キャトルはそう返事をして窓から離れ、圭一の足元にお座りした。
圭一がしゃがんだ。

『キャトルごめんね。お前の言うことを聞かなくて。』

キャトルは圭一に抱っこしてもらいたくて両前足を上げたが、圭一は抱けなかった。

「にゃあ」

キャトルは必死に圭一の差し出す手に前足を掛けようとした。だがすり抜けてしまう。
圭一が泣き顔になった。

『ごめんよ、キャトル。…父さんと母さんのことよろしくね。』

圭一の姿が消えた。キャトルは驚いたように目を見張り、辺りを見渡すようにうろうろと歩き回った。
そして、何度も何度も圭一を呼ぶように鳴き続けた。

……

秋本と沢原は、集中治療室から離れたソファーに向かい合わせに座っていた。
先に治療室から離れたのは秋本だった。辛そうに目に手を当てて、離れて行くのを沢原が追いかけたのだった。

「…圭一君は…副社長達の赤ちゃんが早く見たいって言っていたんだ。」

秋本が指で涙を拭いながら呟いた。
沢原が驚いて秋本を見た。

「…でも、赤ちゃんが生まれたら、自分はあの家から出て行かなくちゃいけないって…」
「!!…どうしてそんな…」
「血がつながっていないからだって…。俺は、そんなことで副社長達がお前を追い出すことはないって言ったんだけど…」

沢原がうなずいた。秋本は続けた。

「…あいつ…死んで生まれ変わるんじゃなくて…副社長達に赤ちゃんをプレゼントするつもりなんだ。」
「!?…確かに子どもが出来ない事を悩んでたけど…そんなことして副社長達が喜ぶはずがないだろう!」

沢原が思わず言った。秋本がうなずいた。

「でも、さっきの副社長の話からすると…たぶん本人はそう思ってない。…もう生きて戻ってくるつもり…ないかもしれない…。」
「そんな…」

沢原が口に拳を当てて、嗚咽を堪える様子を見せた。秋本は両手で顔を覆い、嗚咽を堪えず泣いた。

……

圭一は川の前にいた。

橋のない大きな川が前に流れており、向こうには花畑が見える。

「神様はあそこかな?」

圭一は川に入ろうとした。だが腕を取られ、引き戻された。

「!?」

振り返ると、女性が圭一の腕を取って立っている。
圭一は「綺麗な人」と思わず言った。

「まぁありがとう。」

女性が微笑んで手を離した。圭一はどこかで見たような気がした。

「明良君が呼んでるのに、あなた聞こえないの?」

圭一は目を見開いた。明良の書斎に置いてある写真の女性と同じ顔だった。

「…父さんの…お姉さん?」

女性はにこにこと笑って「前はね。」と言った。

「あなたがここにいるって聞いて、あっちから飛んで来たのよ。」

女性は花畑を指差した。

「僕を連れて行って下さい!僕、神様にお願いしたい事が…」
「お願いしたい事?」
「はい!…父さんと母さんの赤ちゃんを早く授けて下さいって…。」

女性は目を見開いて、圭一を見た。

「あなたそれだけのために来たの?」