イデアの終焉
尼丘 ……それは優しい言葉というものか……困るんだよ朝霧君。
朝霧 どうして?
尼丘 僕も……朝霧君といっしょに生活して楽しかったと思う。だからこそ
……そんな言葉……困るんだよ。
朝霧 分からないよ!
尼丘 朝霧君と一緒にいると楽しいかもしれない。でも、状況は何も変わらな
い。こんなつまらない世界でこれ以上生きたくないんだよ。朝霧君だっ
てそうだろ? 僕と一緒にお喋りするのが楽しくても、その大きな傷は
残ったまま。つらくない?
朝霧 …………
尼丘 朝霧君や東郷先生にひどい事言って、嫌われれば、この迷いを断ち切れ
ると思った。楽しいことをなくせば、迷いなく自殺できると思った。で
も……そうさせてくれなかった。朝霧君、東郷先生、お人よしですね。
とても腹立ちますが、憎いですが、どうしてでしょうか笑顔が出てしま
います。
東郷 尼丘君……
朝霧 ねえ死のうよ。私も死ぬから! 一緒にね。
尼丘 生きる喜びを知った後でそんなこと言わないで。
朝霧 ……だったら……一緒に……生きる?
尼丘 できない。同じこと何回も言わせないで。
朝霧 だったらどうしたいの? 生きるか死ぬかないんだよ。
尼丘 朝霧君はどうしたいの?
朝霧 尼丘君が死ぬんだったら死ぬ。生きるんだったら生きる。
尼丘 自分のことは自分で決めないと……
朝霧 これは私が決めたこと。これが私の幸せなの。今分かった。
尼丘 じゃあ答えよう。死ぬし、生きる。
朝霧 え?
尼丘 答えは簡単なことだった。これが一番いい。
東郷 はあ?
尼丘 さようなら。
尼丘、動きを完全に止める。
朝霧 ……何それ……卑怯じゃない!!!!!
東郷 これが一番良かったんだよ。
朝霧 何言ってるんだよ。……それいけないよ。いけない……
朝霧、包丁を尼丘の頭上にかかげる。
朝霧 私もすぐ行くからね……やっぱりこれが一番いいんだよ。どうせ私達生
きていけないんだから……
東郷、朝霧を突き飛ばす。
朝霧 何すんのよ!!
東郷 こっちの台詞よ。尼丘君が自分で決めたことなんだよ。生きるって。
朝霧 これのどこが生きているっていうんだよ!! こんなになってまで生き
る必要があるの?どうしてそんな事が言えるの?どうして? 自分で死
ねないってだけじゃない! だから殺してあげるんだよ。
東郷 自殺は自分で死ぬから自殺なんだよ!!
朝霧 屁理屈言うな!!!
東郷 あんたがいるから死ねないんだよ。あんたのことが好きだからよ。その
気持ち分かってやれないの?
朝霧 でもそれが尼丘君を苦しめているんだよ!! そんなの嫌だよ!
東郷 でも、尼丘君が決めたことなんだよ!!
朝霧 尼丘君は私の存在に縛られているんだね。尼丘君が何かに縛られるなん
て似合わない。私から死ぬね。だったら問題ないよね。解放してあげる
から。
東郷 どうしてそうなるの!!!
朝霧 私にどうしろっていうのよ!! 私の人生よ。私の寿命は私が決める。
邪魔しないで!! 私を縛らないで!!
朝霧、自殺しようとするがことごとく東郷が止める。
朝霧 あーーーーーーー!!!!!!!!!
東郷、朝霧をはかいじめにしながら。
東郷 朝霧さんの死を尼丘君は望んでいない。望んでいたら、一緒に死のうと
朝霧さんが言った時、OKしたはずだよ。
朝霧の体から力が抜ける。
東郷 私は自殺がいけないとは思ってない。でも、尼丘君は望んでいない。そ
れでも死にたいの?
朝霧 だったらどうすればいいんだよ。尼丘君! どうすればいいの?
ねえ! ねえ! ……尼丘君、動いて! 動いてよ!!
朝霧、尼丘の体をゆする。
朝霧 お願い……死んで。お願い……お願い……それが一番いいって。そこま
でして生きないで。尼丘君……死んで下さい。死んで下さい。お願い死
んで!!!!
朝霧、尼丘の方をゆっくり見るが、動いていない。
朝霧 尼丘君!!!!
東郷 …………
朝霧 私やっぱり死ぬ。でも、その前に先生。あなたを殺します。邪魔された
くありません。これしか私の取る道はありません。ごめんね。
東郷 ……いいよ。でも、自分で死ぬから。
朝霧 …………
東郷 でも勘違いしないで。実はねえ、途中から自殺しなくてもいいかなあっ
て思ってたんだよね。仮面被って、かたひじはって生きて、他人の顔色
ばかり気にして生きてきたけど、ここに来てそれは違うって気付いた。
ありのままの自分でいいんだってね。というか、そんな自分を好きにな
った。尼丘君と朝霧さんには感謝してる。今の私は生きる希望に満ち溢
れている。でも、死ぬんだよ。今。
朝霧 嘘。
東郷 不思議なぐらい死ぬのが怖くないんだよね。一度本気で死のうと思った
からかな。だからこれが私の恩返し。尼丘君聞こえる?聞こえているよ
ね。確か前、私に自殺の参考にするために死んで下さいって言ってたよ
ね。あなたのために死んであげる。さっきも言ったけど、私は生きる希
望に満ち溢れているよ。出きることならっていうか、絶対死にたくない
でも、君達のために死ぬ。これ本当だからね。死ぬ前に嘘ついてもしょ
うがないから。どうして死ぬかって? 君達のためなら命を懸けること
ができるって行動で示したいからだよ。朝霧さん、あのとき気付かなく
てごめんね。
朝霧 先生……
東郷 尼丘君よく見て。私死ぬから。貴方は愛されている。生きる理由ってそ
んなものでいいんじゃない? いい加減目を覚まして。生きようよ。貴
方は愛されている。今までそう思ったことないでしょ。それだけで世界
が明るくならない? 私も誰かに愛されたかったな。
東郷、朝霧が持っていた包丁で手首を切り、ゆっくり倒れる。
朝霧 ……尼丘君……尼丘君ねえ。
尼丘 …………
朝霧 東郷先生、死んじゃったよ。
尼丘 …………
朝霧 尼丘君。
尼丘 …………
朝霧 尼丘君。……何も感じないの?
尼丘 …………
朝霧 自殺したいから自殺した。先生が言ったことは嘘……って思ってる?
尼丘 …………
朝霧 何か感じるって聞くこと自体がおかしいって?
尼丘 …………
朝霧 他人の幸せを願うはずがないって?
尼丘 …………
朝霧 本当にそう思っているの?
尼丘 …………