イデアの終焉
尼丘 ……手が勝手に……
朝霧 もう頭にきた!! 殺してやる!!
尼丘 どうぞ!
うっとりとした顔で。
朝霧 それじゃ困る。じゃあ絶対死なせない。
尼丘 僕の邪魔をするの?
尼丘の表情が鋭く朝霧に刺さる。
朝霧 ……冗談です。
尼丘 そうだろうと思った。言っていい冗談と悪い冗談ってあるんだよね。気
をつけてください。
朝霧 最近尼丘君って、よく喋るよね。よく怒るよね。よく笑うよね。
尼丘 おかしい?
朝霧 そうじゃなくて。前までは置物みたいだったのにね。何か今はもう立派
な人間みたいな……感じするんだよね。
尼丘 そうだね。僕も体の中に血が流れるのを感じるようになった。それは、
死のうと思った瞬間からだね。死ぬことを考えるとワクワクする。この
目に映るくすんだ世界がなんだか温かいものに見える。これが生きてい
るということかな?
朝霧 そうだよ。どうせ生きていたって胸踊ることなんて何も無い。つまらな
いことが毎日毎日繰り返されるだけ。死ぬって大きな変化だよね。ワク
ワクするよね。一度ぐらいはワクワクしたいよね。
尼丘 楽しいことがある前の待ち遠しさってあるよね。死んでしまったら、そ
の楽しさが終わるからね、死ぬことは楽しみだけど、この待ち遠しさを
もっと味合わないといけないな。
朝霧 そうそう。もっと味わおう!!
尼丘去ろうとする。
朝霧 ちょっとー。どうしたのよ。
尼丘 トイレ。
朝霧 もー! 盛り上がってきたところなのに!
尼丘、去る。
朝霧 尼丘君がトイレに行く。その間に私は自殺する。心の中にある歯車が一
つ剥がれ落ち、それに伴って次々と別の歯車まで剥がれ落ちる。時間が
経つ程その現象は加速する。もうすぐ私の心は壊れてなくなる。人間で
なくなる。その前に死のうと思う。でも、最後の最後に笑うことができ
たよ。楽しかったよ尼丘君……ありがとう。あんたは私が死んでも悲し
まないでしょ。それでいいんだよ。私が死んでも誰も悲しまない。それ
でいい。誰も私の死を止めることができないんだから。一足先に失礼す
るね。あんたも早く来てね。待ってるから。
朝霧、先ほどのくじ引きで自分が引き当てたロープを手に取り、自殺する準
備をする。その後、ロープに手をかけ、首を吊ろうとする。
東郷登場。
東郷 あ……ああ……きゃーーーーーーーー!!!!!
東郷、腰を抜かしながら懸命に走り、朝霧を止める。
朝霧 ……どういうこと?
東郷 あなたまで死ぬことないでしょ!! 尼丘君にそそのかされたの?
朝霧 私の意志です。
東郷 嘘よ。嘘に決まってる。騙されてるのよ! 目を覚ましなさい!
朝霧 お前は私の保護者か?! 知った風な口聞くんじゃねえよ!!
朝霧、東郷を蹴り飛ばす。
朝霧 よう、東郷! 教室で、ニコニコして椅子に座っているだけの私しか知
らないくせに偉そうに。
朝霧、東郷を蹴る。
朝霧 手におえない馬鹿ってことぐらいにしか思ってないんだろ?
朝霧、東郷を蹴る。
朝霧 何も知らない外野からごちゃごちゃ言われるのってむかつくんだよね。
朝霧、東郷を蹴る。
東郷 ……でも……死ぬのは……いけないわ。
朝霧 何で? 何で死んだらいけないんでーーーーすか?
東郷 ……それは……あの……
朝霧 やっぱり? 分かんないんだあ。
東郷 理由なんて必要無い。駄目なものは駄目なの!
朝霧 ははははははははははははは!!!!
東郷 ……どうして?
朝霧 東郷先生、そう来ると思ったんだよね。みんな同じこというんだから。
ねえ東郷先生、それで説得力あると思う?
東郷 …………
朝霧 最近、馬鹿な大人増えたよねえ。
東郷 どうして死ぬの? 死ななくてもいいじゃない!
朝霧 …………
東郷 私には分からない。全然分かんない。あなたの言ってること全然分かん
ない!!
朝霧 私はねえ、小さいころレンタルされていた。
東郷 は?
朝霧 親の知り合いの人が「可愛いね」って言ったら「貸そうか」って。1泊
2日で5000円だって。普通の人はそこで引くんだけど、乗ってくる
人もいるんだよ。
東郷 え?
朝霧 子どもが欲しくて誘拐するギリギリにいる人にとっては丁度良かったみ
たい。飽きるまでレンタルされたよ。それはまだ良かった。虐待するの
が好きな人は、1日中いろんなことをされたよ。怪我を作って帰って来
たら私の父親なんて言ったと思う?
東郷 …………
朝霧 修理代貰いますって言うんだよ。金さえ出せば何でもありってわけ。死
ななければね。
東郷 …………
朝霧 私の心はもう壊れたよ。目に見えないけどね。お金払うから修理して。
そうすれば死なずに済むかもしれないよ。
東郷 …………
朝霧 簡単だよ。
くじ引きの箱からナイフを出し、東郷の目の前に投げる。
朝霧 あんたが死んだら私も死ぬって言って。
東郷 …………
朝霧 馬鹿野郎!! 嘘でもいいから気のきいた言葉いいやがれ!!
尼丘、登場
尼丘 朝霧君、何意味のないことをしているの? そんなことしないで早く死
ねばいいじゃないか。
朝霧 ……そうだよね。
東郷 尼丘君! 貴方が馬鹿なことを吹き込んだから……
尼丘 先生。自殺という選択肢を教えてくれたのは朝霧君なんですよ。
東郷 本当?
朝霧 そうだよ。
東郷 …………
尼丘 トイレも済んだし、朝霧君、そろそろ自殺しようか。
朝霧 ……うん
東郷 ちょっと待って!
尼丘 東郷先生。邪魔するんですか?
東郷 ……邪魔……出来ないよ。私には。でも……
尼丘 でも?
東郷 何て言えばいいか分かんないけど……
尼丘 朝霧君、死のう。
東郷 急がなくてもいいじゃない! 尼丘君。君もいろいろ辛いことがあった
んでしょ。もう私止めないから! でも、その前に楽しいことしよ!
ね! そんな無表情のままで死ぬのいやでしょ?! 一度ぐらい笑おう
よ!
尼丘 東郷先生。辛いことなんて何もありません。心配ご無用です。私は今、
十分楽しいですから。死ぬっていいですね。ワクワクしますよ。先生。
私の幸せを願うなら邪魔しないで下さい。
東郷 死ぬのが幸せなんて、そんなことがあるわけないじゃない! 辛いこと