ラビリンスで待ってて
Episode.8
三月の終わりにしては暖かな日だった。
温暖化の影響か桜の蕾も綻びかけていてもう三分咲になっている。
四月になって新しい生活が始まる頃には散っているだろう。
あたしはホテルのフレンチレストランの窓際の席に座って、ライトアップされている庭園を眺めた。
あれから、あたしは結局圭介に逢うことはなかった。
彼も連絡してこなかったし、いざ受験勉強を始めると、することがありすぎて毎日があっと言う間に過ぎていった。
なんとか自分なりに進路を考え、行き先も決まった2月の終わりにあたしは圭介に電話をした。
圭介はこのホテルを指定して今日ここで待っているように言った。
八ヶ月ぶりの再会だ。
やがてウェイターに案内されて、大きな花束を抱えたスーツ姿の圭介が現れた。
「玲。久しぶり。元気だったか?」
圭介は屈託なく笑って、呆然とするあたしに花束を差し出した。
八ヶ月ぶりの圭介は少し痩せて、前より落ち着いた雰囲気だった。
あたしの大好きだった茶髪は自然に後ろに流れてセットされてて、黙ってたらここで働いてるウェイターみたいだ。
「あ、ありがとう・・。」
あたしは花束を受け取ってその匂いをかいだ。
何だか恥ずかしくて真っ直ぐ顔を見られない。
あんなに逢いたかったのに、電話ではすごいこと要求してたのに、目の前に現れた圭介は知らない大人の男の人みたいで、あたしの視線は宙に浮いていた。
そんなあたしに気付かず、圭介は席について話し始めた。
「どうするの?進路?決まったって言ってたけど。」
「あ、ああ、進路ね。」
あたしは慌てて圭介を見上げた。
「あたし、K大の外国語学部いくことにした。スペイン語と英語専攻するの。」
「へえ、スペイン語?」
圭介は感心した顔をした。
「いいじゃん。うちの会社でも南米って取引多いよ。企業も現地で工場作ってるしさ。」
「・・・圭介はいつマンション出るの?」
「今月の最終日に全部まとめて引越しする。市役所の友達がトラック出してくれるんだ。」
あの公園を見下ろすマンションは、もうなくなってしまうのか・・。
あたしは何だか切なかった。
圭介は続けた。
「しばらくは東京の会社の寮から出勤するけど、多分研修期間終わったら7月にはアメリカに行く。そうしたらしばらくは日本に戻れない。」
「・・・そっか。」
あたしはか弱く笑った。
しばらく沈黙が続いた。
助け舟を出すかのように先ほどのウェイターが戻ってきて、二人分の前菜とワイングラスを持ってきた。
「とりあえず乾杯しようか?」
「うん。」
ウェイターは圭介にはワインを、あたしにはグレープジュースをグラスについで、うやうやしく礼をするとまた戻っていった。
「じゃあ、二人の前途に乾杯!」
「乾杯」
二人の前途ってなんだろうって思いながらあたしはジュースを一口飲んだ。
圭介も使い方を間違ったのに気付いて、きまずい顔でワインを飲んだ。
これって一緒に生きてく二人に贈る言葉。
今から別れるあたしたちには ふさわしくないだろう。
「玲、前電話で言ってたお願いだけど。」
圭介が突然言った。
あたしはビクっとして顔を上げた。
「・・・まだお願いしたい?」
「・・・・。」
あたしは何が言いたいのか分からず圭介の顔を見つめる。
あたしに見つめられた圭介は顔を赤くして小さい声で言った。
「オレ、今日は普通の男のつもりなんだけど、もし玲がお兄ちゃんがいいならそれでもいい。」
「あ、あたしも。普通の女のつもりできたけど、圭介がどうしても妹がいいならそれでもいい。」
あたしたちは顔を見合わせた。
さすが血の繋がった兄妹なのか考えて出た答えは同じだった。
圭介と離れてた八ヵ月間、あたしは自分の人生も含めてこの関係を考えてた。
あたしにとって圭介はただの男以外に何者でもないのだ。
戸籍上、DNA上、世間体、色々問題があるのは仕方が無い。
だけど、それが嫌いになる理由にはならないし、他の人と結婚する理由には成り得ない。
あたしは圭介が好きなんだから。
だから彼があたしを女と見ようが、妹と見ようがどうでもよくなってしまった。
あたしは、迷宮でいつまでも彼を待つ覚悟を決めた。
「オレさ、好きなのに無理に別れるのって不自然かなって思ったんだ。オレはお前が好きだから、おにいちゃんでも、圭介でももう何でもいいよ。ドロ沼って言われようがオレはお前のこと待ってる。」
早口で圭介は言った。
ドロ沼か。
あたしが迷宮って呼んでたこの関係は、センスの無い男にはこうなってしまう。
あたしは苦笑した。
あたしを見て圭介は赤面する。
「な、なんかおかしい?」
「おかしいよ。あたしも同じこと考えてたんだもん。」
「じゃ、じゃあ改めて。」
圭介はネクタイを締めなおして、髪を掻き揚げた。
「高田玲さん。今夜はオレの女でお願いします。」
「は、はい。」
あたしは嬉しくて、幸せで、溢れてきた涙で前が見えなくなった。
作品名:ラビリンスで待ってて 作家名:雪猫