ラビリンスで待ってて
Episode.5
圭介が突然、終わりを示唆しだしたあの夜。
あの夜の彼の真意を知ったのはそれから1週間後のことだった。
当然ながらあの夜から圭介のマンションには行っていなかった。
バイトが終わって家に帰ると、おかあさんが玄関の自宅電話で話をしている。
その相手が圭介なのはおかあさんの話の口調ですぐ分かった。
あたしはドキっとして思わず聞き耳を立てて玄関先に座り込んだ。
「まあ、とりあえずおめでとうね。自分で決めた道なんだから頑張るしかないわね。・・・・ええ・・・分かった・・・。取りに来るのね・・・はいはい・・・じゃあね。」
おかあさんが電話を切った。
あたしは嫌な予感がしておかあさんに詰め寄る。
「ねえ、今のおにいちゃん?何だって?」
「あら、玲。おかえり。最近早いじゃない。バイトは・・・」
「そんなことより、何だったの?」
あたし達のこと何も知らないおかあさんは呑気に笑いながら一通の封書を見せた。
採用通知
株式会社 ワールドトレーディング
海外事業部 現地駐在員採用係
高田圭介殿
貴殿の採用が決定しました。
つきましては下記日程の事前オリエンテーションに参加することを・・・・
「・・・何これ?どっかの会社?現地駐在員って・・・?」
あたしの胸はドキドキ鳴り始めた。
まさかこれって・・・。
「採用通知よ。あの子ったら、せっかく働いてる市役所辞めるらしいの。来年の四月からこの会社に入社するんだって。でも、仕事しながら就職活動してたなんて知らなかったわね。」
就職活動?
あたしも聞いてない。
おかあさんは呑気に続ける。
「あの子、昔から外国で仕事したかったから夢が叶って良かったじゃない。市役所辞めちゃうのはもったいないけど。なんか世界中に支店がある商社みたいよ。」
仕事辞める?
あのマンションからいなくなるの?
でも、圭介の夢なんてあたしは初めて聞いた。
「おかあさん知ってたの?いつ圭介が外国行きたいって言ってたの?」
おかあさんはあたしの質問にびっくりした顔をする。
「あんた知らなかったの?6年間の男子校はあの子が行きたいって言い出したのよ。学校の公用語が英語で留学生も多いからインターナショナルスクールみたいなんだって。そこで英語の勉強したいって。将来は海外で働くからって6年生の子が言うんだから。」
そんなこと知るわけない。
その時あたしは6歳の筈だ。
おかあさんは遠い目をして続ける。
「中高で学費がかかったから大学だけは自宅から通える国立にしたのよ。それも自分で決めて。しかも卒業したら海外に行くっていってたの。だから大学生になってから、地元で公務員になるって言い出した時のほうがびっくりだったわ。」
あたしは胸が締め付けられた。
心臓がどきどき鳴っている。
大学の時ってあたし達が関係を持ち始めた時だ。
子供の頃からの夢を圭介は突然諦めた。
それってもしかして・・・あたしのせい?
「また通知取りに来るって。あんたも入ってご飯食べなさい。」
おかあさんは呆然としているあたしを置いてさっさと奥に入ってしまった。
兄の転職にこんなにショックを受けるとは思ってもないだろう。
あたしは力が抜けて玄関にへたり込んだ。
「オレがお前をダメにしてると思ったから。」
あの夜の圭介の言葉を思い出した。
でも、違う。
圭介を迷宮に引き釣り込んでダメにしたのはあたしだ。
優しい圭介は兄としての責任を感じてたんだろう。
夢を諦めてもあたしの傍にいることに決めたに違いない。
でも、それがあたしの為になってないって思って、あたしから離れる道を探してた。
自分が先に迷宮から出なければって思ったんだろう。
血が繋がってるからか、愛し合ってるからなのか分からない。
圭介の思考回路が手に取るように見えた。
「・・・あたしどうしたらいい?」
座り込んだままあたしは呟いた。
作品名:ラビリンスで待ってて 作家名:雪猫