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被虐的サディスティック

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 地味な見た目の通りに、河井という教育実習生はつまらない人だった。
 変に威張るようなヤツならケンカを売ってみたり、逆に今までの学校生活でずっといじめられてきたような貧弱なヤツなら実習をボロボロにしてやったのに。
 河井はなんと言えばいいのか――普通なのである。
 希良のやる気のない態度を見ても表情を強張ったりせず、だからと言って授業中に希良だけを集中的に当てたり、怒りの的にしたりはしない。あくまで他の生徒と同等の扱いをする。まだ始まったばかりで慣れてないからなのかもしれないが。
 そんな何の特徴もない(優等生とでもいうのだろうか)にも関わらず、女子からは何故か好かれ、あっという間にクラスの人気者になってしまった。女子は単純である。河井がちょっと最近の流行ってる歌手やテレビ番組の話題を話しただけで親しみをもったのか、実習二日目も過ぎないのに、彼女にどんどん話しかけていき、休み時間になれば生徒が一人増えたような感覚にすらなる。
 ――俺にとっては、迷惑なだけでしかない。
 しかし、どうにもこの光景は今までにもあったような気がした。ごく普通に、何の意識もなく。むしろ、河井が女子となじむ間の一週間が変に静か過ぎた気がする。
「ひどいわね、みんな……。夏休み前までは佳織ちゃんを軸に集まってたのに、今は実習生の美紀先生のところにまとまってるわ」
 隣の席に座って、河井に集る女子をじとーっと見ながら由希が呟いた。希良はどういう意味だ、と聞いた。
「あんた、まだ気付かないの? ……夏休みが開けてから、佳織ちゃんはクラスでハブられてるの」
 あぁ、なるほど。この一週間やけに静かだった、というか女子のグループがそわそわしながら少人数で行動をしていたのは、グループの中心であった乃木坂がそういう目に遭っていたからなのか。
 希良は窓の方へと視線を向ける。そこには一人だけ、休み時間にもかかわらず、他人を気にしていないかのように――というより、見えていないかのように――ひたすら携帯をいじる乃木坂の姿があった。動いているのは親指とまぶただけで、風に揺れるカーテンの方がよほど生きているようだ。
 それまでは授業中でもベラベラしゃべってクラスに笑いを起こし、教師も苦笑いさせるようなうるさい女子だったのに、今では図書館でずっと分厚い本を読んでいるような、おとなしい生徒へと変貌してしまった。
「馬鹿みてーだな。文句があるならはっきり言えばいいじゃねえか。あんな、いかにも『私は今、いじめられてます』なんて態度とってたら、なんの解決にもならねえよ」
「そんな簡単な話じゃないらしいのよ」
「え?」
 由希は小さく手招きをしたので、希良は耳を彼女に向けながら少し身体を近付けた。彼女はコソコソと声のボリュームを下げて話を続けた。
「佳織ちゃんがああいう風にハブられ始めたのは、夏休みが明けて、学校が始まったちょうど初日から。その日から、千佳子ちゃんも一日も学校に来てないのよ」
「それがなんか関係あるのか?」
「関係あるに決まってるじゃない。千佳子ちゃんが学校休むことなんて、滅多になかったのよ? そんな子がある日突然、何の理由もなしに来なくなった。そしておしゃべりだった佳織ちゃんが急にみんなから相手をされなくなって、おとなしくなっちゃった。これは明らかに関係あるでしょ?」
「でも二人が話してるところなんて、見たことねえぞ」
 元々千佳子は人と話さない女子だった。だからといって今の乃木坂ほど孤立していたわけではなく、話し掛けられれば誰にでも普通に話すし、自分から用件があれば誰かに話していた。どちらかというと、「話す必要がない状況なら、一言も話さなくていい」という考えを持っているようだった。
 彼女のそういう自分という型をしっかりもったところが希良と似たところがあって、時々だが放課後に残って二人で話したりもした。話す内容は「学校がつまらない」といったどうでもいいことや、生徒の悪口がほとんどだったが。
「でも二人は同じ中学校出身なのよ。だから、きっとそこが原因じゃないかしら」
「ずいぶんとテキトーな推測だな」
 仕方ないじゃない、と言い切ると、彼女はぷいっと廊下の方へと顔を向けてしまった。ずいぶんと自分勝手な女である。そんな彼女にタイミングを合わせるように、チャイムが教室内に鳴り響いた。

 授業が終わり、希良はホームルーム後の掃除もサボって一人でさっさと学校を出て行った。一秒でも早くこの敷地内から外へと出たかった。
 学校を出たところで、希良の居心地の良い空間は存在しない。ただ、学校に残るよりは何処か別な場所に居た方がまだマシ――というだけだ。
 ゲーセンは中学時代にはよく行ったが、今更小銭を注ぎ込んでまで熱中出来るゲームもないし、自分が以前そうだったように、小生意気な男子中学生がたむろっているので、学校以上に居心地が悪い。公園やファーストフードも同じ理由だし、図書館や漫画喫茶はあの静かすぎる空間が逆にストレスを沸きだたせるから逆効果だ。
 そんなだったから、高校に入学してしばらくは帰ってきたらすぐ自分の部屋に入り、そのまま次の日まで出ないことが多かった。親も夕飯が出来た時と洗濯物を出すようにと言ってくる時以外はまず部屋に来ないので、擬似的に自分一人での生活が出来ることが希良にとっては心地よかった。
 とはいえ、部屋でしていたことと言えば、ネットでテキトーに拾った漫画を読んだり、十八禁の同人誌やアダルトビデオを見ていたぐらいだった。今考えれば、ずいぶんと不健全で陰気なことをしていた。
 ただ、高一の終わりぐらいになって、部屋に引きこもるよりも良い空間を、希良は見つけることが出来た。
 同じ学校の生徒で溢れるバスにいらいらしながら乗り、生徒たちのおしゃべりと言う名のノイズを音楽プレイヤーで遮断し、駅に着いてやっと解放されると、希良は駅とは逆方向の道を進んでいく。
 商店街とは真逆の、駐輪場があるようなちょっとひっそりとした路地だ。そんな冷たく静かな道を歩いているだけでも気持ちが癒される。だけど希良の目的地は、もっと先だ。
 横断歩道を渡り、中小企業や町工場が入った雑居ビルが立ち並ぶあたりに、希良の目的の空間は存在する。
 そこは、金融会社の隣にある、三階建てほどの小さくて古い雑居ビルだった。だいぶビル自体の損傷がひどく、一度崩してから立て直さないと使えないぐらい劣化している。もちろん現在は誰にも使われていない。
 そんな町に取り残された、仲間はずれの老人のような廃ビルの二階が、希良の最も落ち着く場所であった。
 亀裂がいくつも入った階段を上り、端の方が割れて抜けている曇りガラスの扉を開けて、中に入る。鍵は元々付いていたようだが、何者かにいたずらをされて壊されたようだ。
 扉を開けた瞬間、溜まった埃やカビの臭いが鼻から身体全体へと伝わる。けれど、そのどこか異質なことを証明しているような臭いが、希良は好きだった。
 そして何より、人一人に対して教室の三倍くらいの広さを持つ部屋が、居心地の良い一番の理由だった。古びたデスクやスポンジ部分が見えている椅子などが壁に寄せて溜められているが、それでも充分すぎるくらいの広さだ。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと