被虐的サディスティック
2
森が丘高校。まさかもう一度この教室に訪れることになるとは、当時は思ってもみなかった。
あれから何年経っただろうか――。
あの頃は、何を考えていただろうか――。
私は自分が受け持つことになったクラスで自己紹介をしながら、そんなことを考えていた。
「河井先生が担当するのは数学の授業です。出席やホームルーム等も河井先生が行いますので、皆さんももし先生が分からないことや困ったことがあったら、すぐに教えてあげてくださいねー」
はぁい、と生徒がまとまった返事をした。ほんの数年前までは私が返事をしている側だったのに、まさか自分がクラス全員の返事を聞ける立場に回るなんて。今日一日だけでいったいどれくらいこのような体験を出来るのだろう。
「では出席を取ります――」
名前を呼び上げ、生徒一人一人の顔をきちんと確認しながら、私は出席を取っていった。
ついこの前まで私がこの場にいた頃――現役高校生だった時には、教育実習をすることはおろか、大学に進学することすらも考えていなかった。ただ、女子大生が母校に訪れて、授業を教える立場になるという教育実習については、昔から憧れていた。
高校二年生の時には色々とあって受験のことなんて考えられなかったし、母からは「大学に行かせられるお金はないから、そろそろ就職の目処を立てておきなさい」と言われていた。大学には行きたかったけど、私はこれといって大学で何かを学びたいという強い気持ちはなかったし、大学に通えるほどお金が家にないことも知っていた。だから最初はパートやアルバイトでもいいから働いて、貯めたお金でとりあえず上京だけでもしようと決めていた。
だけど三年になったある日、私の気持ちは変わった。
「学校に関して積極的な河井が高卒なんて、もったいないなぁ」
担任の初老の先生が、三年に上がってすぐの面接で私に向かって言った。
「でも……私は数学と体育くらいしか自信持って得意と言える科目がないですし、特にどの学部のどの大学に入りたいという気持ちもありません……。それに、お金も――」
「なんだ、そんなことで悩んでいるのか。河井は」
「そんなことって……」
「確かに大学はお金が掛かるな。それも国立とかでない限り、莫大な額がな。だったら話は簡単だろ?」
「それって、つまり……」
「そう、国立の大学に入れば良いんだよ」
先生はところどころ抜けた歯をにっと見せて微笑んだ。
「そんな簡単に言いますけどっ……。 さっきも言ったように、私は頭もあまり良くなくて、部活も高校では何もやってませんし、短距離も推薦で入学出来るほどの記録も――」
「いやいや、河井にはもっと自慢出来るものがあるだろ?」
「え……?」
「河井――生徒会長さん」
そう。私は中学、高校共に生徒会に在籍し、さらに生徒会長を務めているのだ。
元々私は地味で目立たない根暗な女子だったのだが、とある事件をきっかけにやる気が沸き、試しに生徒会に立候補したところ、あれよあれよと言っているうちに生徒会長の座に上り詰めてしまったのだ。
そのおかげで森が丘高校には推薦入試で入学し、部活には入らずに入学してすぐから生徒会で活動を行っていた。そして去年の秋に再び、私は生徒会を納める重要な役を受け持つことになったのだ。
「これはすごく大きなことだよ。はっきり言ってしまえば、頭の良い人は一つの学校だけでもたくさんいる。学年を問わずともね。スポーツが出来る人もいるし、部活で活躍出来る生徒もいる。だけどそんな中、生徒会長という役は、才能や努力だけでは絶対になれないんだ。勉強もスポーツも、最終的に良い結果を出せば評価される。それに対して生徒会長に選ばれるには、結果を出しただけではまだなれない。生徒全員が認めてこそ初めて生徒会長になれるんだ。つまり――森が丘高校の生徒全員が、君が生徒会長を勤めるのにふさわしい、と認めてくれたってことなんだよ」
「でも……投票結果は僅差だったじゃないですか」
「そんなもの生徒会長になってしまえば関係ないよ。運も実力の内、って言うだろう? たまたま君の方が僅かに票が多かったのかもしれないし、寸前で何人かが書き直して君に票を入れたのかもしれない。圧倒的勝利をしなくても、君が勝ったのには変わりないよ」
そんなにすごいことなのだろうか。確かに私はこの高校でも生徒会長になれた。それは選挙活動を行ったのはもちろんだし、他にも様々な努力をした。だけど――カリスマ性や生徒からの人気は、他の立候補者の方が私よりもあったはずだった。実際、投票結果は自分で確認せず、友達に見てもらって自分が選ばれたことを知ったぐらい、諦め半分だった。
「ちょっと話がずれてしまったな。――まぁともかく、君は他の生徒とは違う、充分強い物を持っているんだ。国立は推薦入試を行っているところは私立に比べれば少ないが、それでも受けないで諦めるよりは、受けるだけ受けてみた方が良いだろう? それに何件かの大学には、私の知り合いが教授をやっているから、話を通せばさらに入りやすくなるだろう」
先生はもうすっかり私を国立の大学に入れる気になっている。そんな先生に向かって「もうちょっと考えさせてください」とは言えず、先生の知り合いの教授がいると言う大学を何件か教わり、どこが自分にふさわしいか(というより入れるのか)家に帰って調べる、ということでその日の面接は終わったのだった。
結果を言ってしまえば、私は見事に第一志望に選んだO大学に無事合格してしまったのだ。
もちろん勉強は生徒会活動の傍ら、それこそ死にものぐるいで行ったが、やはり合格の決め手となったのは生徒会長という肩書きだったようだ。
「美紀! あなたはなんて親思いの子なの!」
母は文字通り跳ね上がって喜んだ。私もO大学に受かったのももちろん嬉しかったが、何より中学、高校と共に頑張ってきた生徒会での活動が、自分の将来の道を切り開いてくれたことに、大きな達成感を感じた。
「君なら合格出来ると思ったよ。私が担任になって良かった」
合格を知らせると、先生は自信たっぷりにそう言いながら、他の教師にも自慢し回っていた。
「大学に入ってからは馬鹿なサークルに入って遊んだりしないで、また生徒会長に立候補しなさいね!」
大学に生徒会という仕組みがないことを知っていても、私はうん、頑張ると母に答えた。
大学に入れたのなら、もちろんキャンパスライフを楽しみたいと思ったけれど、それよりもやっぱり小学生の頃から憧れていた、教育実習をしてみたかった。なので、私は教職も取ることにした。
難関大学に合格した人はよく、いざ大学に入ってみると遊んでしまったり、授業についていけなくなってしまう――という人も少なからずいるようなことを、入学前に何度も聞かされた。私も今までよりは勉強をする時間は減り、誘われた飲み会にもなるべく顔を出したりしたが、サークルには属さず、授業も大変ではあったがなんとか順調にこなしていき、無事に単位を取得していった。
ただ一般入試で入った側からすれば、私のような生徒は「裏口入学」だと陰で罵られ、それが原因で、あまり友達は出来なかった。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと