被虐的サディスティック
1
体が溶けていたんじゃないかと感じてしまうほど暑かった夏休みが終わり、約一ヶ月振りの登校日は、秋になって校舎の周りの木々が黄色や橙色に紅葉していた。気温も暑すぎず、寒すぎずの程よい温度に……なっていれば良かったのだが。
どうしてこんなに汗を掻かなくてはならないのだ。
地球温暖化だか異常気象だか知らないが、夏が終わって季節的には秋に移り変わったというのに、いったいどうなったら最高気温が三十七度にも上がるんだ。自分の体温より外の温度の方が高いってことじゃないか。
暑いと口に出して言ったって、涼しくならないことぐらい五歳児でも分かる。だけど今年十七になる高校生でも無意識に口に出してしまうほど、暑いのだ。熱すぎるのだ。
まぁ、衣替えの時期を間違えた希(き)良(ら)自身にも原因はあるのだが。さすがにブレザーを着てくるにはまだ早すぎたようだ。
「クリーニングに出して綺麗になったばかりだし、昼間は暖かくても、きっと夕方になったら寒くなるだろうから着て行きなさい!」
母にしつこくそう言われて、まぁ今朝も暑くはないから着ていった方がいいか、と渋々納得し、ピカピカのブレザーに袖を通して家を出たのが駄目だったのだ。家を出たばかりの時は少し肌寒いくらいだったのに、学校に近づくにつれ、どんどんと日が照り始め、背中からじわじわと汗が浮かび上がり、気温は家を出て十五分したところで既に三十度を超えていた。学校の正門に着いたころには頭から水をかけられたぐらいびっしょりと汗をかいていた。この気温から考えると、ワイシャツ一枚で過ごすのもやっとな温度が夜まで続くだろう。
「希良……。あなた、よくブレザーで登校なんてしてきたわね。ダイエットでもしてるの?」
教室に入り、顔をタオルで拭いていると、由希が手帳に何かをメモしながら聞いてきた。
「うるせえなぁ。九月になったのに、馬鹿みたいに暑い方がどうかしてるんだ」
「夏休みだからって、遊びすぎて脳細胞がちょっと死んじゃったんじゃない? 夏休みボケね」
「あ〜〜、もうだまれだまれっ。どうせ俺の頭なんて中学の時から溶けてるよ!」
希良は濡れた頭を振りながら、首にタオルを掛けて自分の席に腰を下ろした。由希はそのまま彼の傍まで着いていき、手に持った手帳を団扇代わりにしてパタパタと希良に向かって扇いだ。
うるさくてもこういう気遣いがあるから彼女のことは憎めない。ただ、扇いでくれるのはありがたいが、片手に収まる文庫本サイズの手帳で扇いでもらっても、クールダウンさせられるくらいの風は流れてこない。
希良は邪魔なだけのブレザーを椅子の背もたれに掛け、ワイシャツの裾をズボンから全て出し、胸元のボタンを二つ開けた。それだけでもサウナから浴場へ解放されたような開放感があった。
「やだ、女の子の前でそんな格好見せないでよっ」
「お前、いつから女になったんだ?」
「私はママのお腹の中にいたときから女の子だもん! 希良の馬鹿!」
由希は手帳を扇ぐ流れで希良の頭をぺしりと叩いた。もう知らない!と吐き捨てて、そのまま教室の外へと出ていった。
「……つまんない女だな」
希良はそう呟くと、机に両足を乗せ、大あくびをかいた。
希良にとって、小学校は友達と遊ぶ場所、中学校は教師に反抗して如何に己の自由を勝ち取るかの闘いだった。しかし、高校にはそういったものが何もなかった。
よくドラマや漫画の舞台になるのは、圧倒的に高校が多い。恋愛をテーマにした物語なんかは高校生ばかりだし(年齢的に何でも出来るからかもしれないが)、希良自身も高校に入れば、青春というものを充分味わえるのかと思っていた。
だが、現実は今までの学校生活と何も変わらなかった。変わったのは、希良の中身だけだった。
――中学の頃は、どうしてあんなに先公のことが嫌いだったのか。
大人にも見てもらえず、だからと言って子供扱いもされたくない年頃だった――と言えば一言で片づけられる。それに、そういう行動は中学生男子ならよくあることなのだ。
だが高校に入ってからは、一般的な高校生らしい行動を一つもしていない。
教師に反抗することなんて無駄だということは、もう充分過ぎるほど思い知らされていたから今更刃向かう気も起きないし、だからと言ってつまらない友人たちと連んでゲーセンやファミレスにだらだら遊びに行くのも面倒臭い。金と時間の無駄だ。彼女も欲しいとは思うが、いちいち「オンナゴコロ」等と言った我が儘な気まぐれや、他の女子の愚痴に付き合う手間を考えたら、一人でエロ本やアダルトビデオを見ていた方が精神的にも全然楽だ。
――ってことは、つまり……。
高校生ライフがつまらないと感じる根本的な原因は、希良のひねくれた性格だったのだ。
(だからと言ってなぁ……。今更誰かと連もうとしても気まずいだけだし。女子はウチの高校にはロクなやつがいねーし。バイトも面接すら受けさせてもらえなかったしなぁ……)
「――大山くん」
(バイクの免許でも取るかなぁ……。あ、でも俺、チャリンコですら今まで併せて七台も事故って壊してるから、バイクなんか運転したら、それこそ死ぬかもなぁ。……なんだよ。それじゃあ何も出来ねえじゃん!)
「大山くん!!」
「あ? あぁ……」
希良が目を開けると、脇には由希ではなく、担任である千住先生が立っていた。
「あぁ、じゃないでしょ! 返事はハイって答えなさい! それに何なの、そのだらしのない服装と姿勢は! いい? 私はあなたに対して怒ってるんじゃなくて、あなたの将来のために忠告してるのよ!」
「はいはい、はははは〜い」
「返事は一回でいいの!」
出席簿で希良の頭をボンと叩くと、千住先生はツカツカと教壇へと向かっていった。
――どうしてこう、女って生き物はいちいち小うるさいんだか。
希良はやれやれと呆れながら、椅子を引いて身体を机に俯せた。チャイムが鳴ると、外にいた生徒たちも自分の席に戻ってきて、ざわざわとしたおしゃべりが希良の苛立ちを加速させた。
「あれ? 千佳子ちゃんが来てない。どうしたんだろ……」
隣の席に座っている由希が不安げに言った。
「知らねえよ。高校デビューしようとして金髪にしたら似合わなくて、ショックで学校行けなぁいとか家でほざいてんじゃねえの」
希良の冗談を無視して由希はうーんと首を傾げた。
「皆さんおはようございます。はい。今日からしばらくの間、教育実習生が一緒にこのクラスを見てくれます」
(教育実習――。そういえばそんなのあったなぁ。何を好きこのんで教師になろうとするんだか……)
希良は教育実習生がどんな人かなんて興味なかったし、千住のフレームのない眼鏡の奥から、自分に向かって注ぐ鋭い視線も嫌だったので、机に顔を伏せて寝たフリをした。
「では、紹介します。どうぞ中へ入ってきてください」
かつかつ、と軽い足音がする。女だ、と希良は瞬時に判断した。
「森が丘高校を卒業し、現在O大学四年の、河井 美紀です。短い間ですが、よろしくお願いします」
希良は興味がないと思っていながら、薄目でその教育実習生を確認した。
(……地味な女だな)
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと