桜ト智香物語
“わたしちかちゃんのおよめさんになるぅ”
ぼやけた意識の中で、薄暗がりの部屋の片隅から、機械のノイズ音が混じった女の子の声が聞こえてくる。それは、とっても軟らかくて可愛い声。
“あたしたちおんななんだからけっこんできないんだよ”
「やばっ…ねちった。」
“えぇーやだやだ!!ちかちゃんとけっこんするのぉ!!ぜぇたぁい”
重い瞼と頭をあげながら周りを見渡すと…。こりゃ酷い、
うつ伏せていたテーブルの上には埃かぶった段ボールとビデオテープが数枚。
ほぼ全てのビデオテープの側面には、『さくらとちか』と、丸い綺麗な文字でタイトルがふられており、隅っこのほうで文字通り丸くなって必死に自分の存在を主張している番号の数字が蛍光ペンで書かれているが、逆に見辛いぞ、太いし。
さて、散乱とはこういう、手も出したくなくなるような状態を言うんだろうな、実際…無理。
ビデオテープはあちらこちらに吹っ飛び、気のせいかもしれないが段ボールが床でひっくり返っている。心なしか足元にはお気に入りのマグカップが寝転がってるし。なんだ…こいつら反抗期?
起きたばかりってのもあるけれど、その前に、自分の寝相の悪さを形にしたようなこの状況…
いや、どうして座ったままの居眠りでここまで残酷になるのか、不思議だ。
さて、目を瞑ろう。
眠ってしまう前より悪化しすぎている気がしなくもなくもないが、目を瞑ろう。
“じゃああたしもさくちゃんとけっこんするぅ!!”
ふと、視線をあげる。
テーブル越しのテレビは、暗闇の中で場違いな程にチカチカと光っていて、決して綺麗とは言えない画面の中で、二人の女の子が、公園の砂場で戯れているいたいけな場面を映し出していた。
“ほんとぉに!?”
あいつ…まだ歩けてたんだな…
そんなことを思いながら、無事テーブルの上に生存していたテレビのリモコンを手に取り、一時停止ボタンを軽く指で触れながら、
満面の笑みで微笑みズームアップになったそいつの顔に狙いを定めて、とめた。
今となんら変わらないその笑顔に、クスり…
「可愛いな。」
なんて、呟いて
うんっと背伸びする。
ビデオデッキとテレビの電源をやたら乱暴に切って、女らしかぬ欠伸をしながら少し濡れた瞳で時計を確認する。
唯一の灯り元を消したのに、アナログ時計の秒針が視認できるほど薄っすら明るい理由が理解できた。
時計は朝の4時を指している。
「まだ余裕あるよな。」
そんな自己暗示をかけながら、重たい足取りでベットへ向かう。
途中、散らかったテーブル周りの事を思い出してしまい、溜め息を吐きながら一瞬戻ってみたものの、頭の中では無理だとか嫌だとか面倒くさいだとか眠いとか、私の中には悪魔君しか住んでいないらしく、天使不在の寂しさに心が痛んだ悪魔君がマグカップを拾い上げるという良心をちゃっかり見せはしたが、やはり腐っても悪魔君は悪魔、ベットの誘惑に負けた私の精神は、まだ夏休みはあるし…と自分に言い聞かせて、その場を立ち去った。
ベットに入ると同時、瞬く間に眠りに落ちたのは、言うまでもない。