遼州戦記 保安隊日乗 6
茶碗の中の茶を飲み終えた要は覚悟を決めたようだった。
「でも本当にそうなの?このデータ自体に問題が無いと言い切れるわけ?今回だって私達のところに演操術の存在が知らされるまでタイムラグがあったわよね」
アイシャの何気ない指摘に突然要の表情が変わった。彼女の言葉で味噌汁を飲んでいたカウラの顔色も変わる。
「能力演操のデータは少ないですから。それが同じ人物によるものかはなんとも……」
ラーナの言葉に全員が言葉を呑んだ。これまで同一犯と思っていた事件が複数による犯行なら……そう考えるとすべての捜査が無駄になるように思えてきた。誠達は黙り込む。この人数で事件解決することはできない。その結論が出ようとしているときだった。
『そりゃあねえな。自分の調べたデータだろ?もう少し自信を持てよ』
突然端末のスピーカーから聞こえてきたのは嵯峨の声だった。いつもの嵯峨の監視癖を思い出したが誠が周りを見渡せば要もアイシャもカウラも救われたような顔をしていた。
『吉田から聞いたよ。演操術系の法術のデータなら今そちらに送ったぞ。これはかなり長期の研究の成果だからな信憑性が高いからな。まあこちらも証拠としては使えない某国の秘密実験データのコピーだから犯人の特定以外の役には立たないがな。つまり犯人を逮捕して自白させない限りこの事件は解決しないわけだ』
「叔父貴!アタシ等を踊らせて楽しいか!」
腹に据えかねたように要が叫んだ。顔にこそ出さないがカウラもアイシャも同意見というようにラーナの端末に映る部隊指揮官の顔を睨み付ける。
『怖い顔するなって。お前等も俺やクバルカが支えてやらなきゃならねえほど餓鬼じゃねえだろ?自立してもらわねえと俺も困るんだよ……じゃあ期待してるから』
そして突然のように嵯峨の言葉が終わる。
誠にも意味は分かった。状況証拠が揃っても意味が無い。犯人を特定するだけでも無駄。すべては生きている犯人を逮捕して自白をさせ、それにあった承認や証拠を別にそろえなければ事件は解決しない。
「蜂の巣にはできないわけだな」
要は私服を着ても懐に下げている愛銃を叩いた。その滑稽な動きにカウラが微笑む。
「そう言う事です。多少の捜査の工夫が必要になると言うことで……ちょっとこのデータを嵯峨茜警視正に送りたいのですが……」
遠慮がちなラーナの言葉に要とカウラが大きく頷く。ラーナはそれを見ると再び端末にかじりついた。
「茜のお嬢さんのプロファイリングが終わるまで……時間が惜しいな。どうする」
要が周りを見渡す。すでに彼女の言葉が分かっているカウラとアイシャが頷く。
「とりあえず15人の現在の住所を確認。見つからない程度にその現状を観察していつでもプロファイリングの結果に対応できるシミュレーションを行なう」
「カウラ。それだけわかってりゃ十分だ。神前。飯を食え」
要は満足げに握りこぶしを向けてきたカウラの右手に自分のこぶしをぶつけた。誠は一斉に出勤準備を始めた隊員達を後目に自分の朝食を取りに厨房の前のカウンターに向かって歩き出した。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)30
「隊長は悪人ですね……」
早朝、まだ部隊には人影は少ない。そんな中『ゴミ屋敷』の異名のある保安隊隊長室で通信端末の電源を切る嵯峨惟基の姿があった。それを横目で見ながら少し前までコンピュータ室にいたシステム担当部長である吉田俊平のにやけた顔がある。
「まあな。あいつ等も少しは成長してもらわにゃならねえよ。特に神前には期待してるんだけどね。アイツは意外と伸びるよ……まあ使い物になるのは五年先か……十年先か……」
「ずいぶんと気長ですね」
そう言いながら手元で器用に作っていたココアの中にお湯を注ぐ吉田。ミルク無しでは飲みたくないと言うように嵯峨は吉田が入れてあげたカップから目をそむけて立ち上がった。
「なあに気長なもんか。俺の本音じゃまだまだアイツ等の成長は遅すぎるよ。これじゃあ百年経ってもお襁褓のまんまだ」
嵯峨が伸びをするのを見ながら吉田はぬる目のお湯でココアを溶いたものを口に含んだ。
「美味くないだろ?」
「ええ、まあ」
咳き込みながらつぶやく吉田をにんまりと笑いながら嵯峨は眺めていた。
「ですが本当にゲルパルトや『ギルド』は動かないんですか?」
吉田の問いにしばらく考えた後嵯峨は椅子に腰掛けて目をつぶって腕組みをした。
「ゲルパルトについては現在数名の法術師を抱えてその調整にてんてこ舞いだと言う情報があってね。それを考えれば元々遼州人を信用しない連中のことだ。手を出す可能性は少ないな。それに対して『ギルド』は法術師集団だ。人に自分の力を使われるのは面白い話じゃないだろ?」
そう言うと口寂しいのかそれまで無視していた吉田の入れたカップに手を伸ばした。すぐに顔を顰める嵯峨。その表情が面白くなってつい吉田は吹き出していた。
「っふ!っと……冗談はこれくらいにしてと。それにしてもずいぶん情緒的な話ですね。信用するかどうかと言うかゲルパルトの連中の場合は好き嫌いの問題でしょ?アイツ等だって情勢分析ぐらいしてるんじゃないですか?それこそ隊長のゲルパルト感がにじみ出てますよ。いつも情緒で政治を語るのは最悪の馬鹿野郎と言っている口から希望的な観測が聞けるとは……こりゃあ傑作だ」
そんな皮肉に嵯峨は苦笑いで答える。
「俺だって連中が介入しない確証は欲しいんだけど……それほどはっきりと動きを見せてくれるほど甘い連中じゃないしな。そして俺は地球勢力については何も言ってないぜ」
嵯峨はそう言いながらゆっくりと二杯目のココアを口に含む吉田を見つめていた。
「隊長、飲みたいんですか?」
吉田の問いに嵯峨は大きく頷いた。
「飲ませて」
「じゃあさっきまでみたいなひどい顔はしないでくださいよ」
吉田はそう言うと渋々嵯峨が差し出すカップを受け取った。
「地球勢力の動きは……あるんだか……ないんだか……」
カップに注がれるお湯を見ながらつぶやく嵯峨の表情。それはただ先ほどのココアの何かが欠けた味を反芻しているように歪んでいた。
「東和のそれぞれの公然組織に動きがないのは確かですが……裏では相当動いているでしょうね」
「当然だろ?」
嵯峨は吉田からカップを受け取ると静かにお湯をすする。そして再び顔を顰める。
「地元の理のあるアイツ等だって今回の犯人の目星がついちゃいないんだ。もし今回の犯人がいたずらをしようとする現場に出くわしでもしない限りクラウゼ達の方が先に犯人に巡り会うことになるさ」
そう言いながらさすがにしばらく休むというようにカップを遠くに置く嵯峨。目を何度もパチパチと動かし。ただ黙って吉田を見つめている。吉田はと言えばようやく口に慣れてきたココアをゆっくりと啜っていた。
「ああ、それにだ」
嵯峨は気がついたように自分の金属粉で覆われた机の上に汚れるのもかまわず身を乗り出してきた。
「なにかあるんですか?」
「接触ができたところで法術師を山ほど抱えている『ギルド』以外はそう簡単には手が出せないさ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直



