命短し恋せよ学生!
「好き、なんだけ、どっ」
一世一代とばかりに必死で振り絞った勇気は、「俺、実はバイでさー」と至極あっさり返された的外れな言葉の前に霧散した。
…………い、今、なんつった?
「だから男も女もイケるんだけどネ、今好きなヒトいるから無理」
生まれて初めての告白の結果がコレって。普通にふられるよりも衝撃が大きすぎて何も浮かばない。茫然としたまま「それって男? 女?」と聞くと、少し考えてから彼はオトコノコ、と肩をすくめて言った。
***
桧山小太郎(ひのきやまこたろう)君は、私の斜め四十五度前の席でいつも居眠りをしている愉快な男子高校生だ。去年から同じクラスで、授業中に起きてる姿を見たことがないのに、休み時間はいつも周りの人間を男女とわず巻き込んで馬鹿騒ぎをしている。私はその笑い声に混ざったり混ざらなかったりしながら一年ほど彼のそばで高校生活を過ごし、なんだか気付けば好きになっていたという、まあ高校生にありがちなステレオタイプな恋愛をしたのだが、その結末はステレオタイプではなかった。
五組のユシマタカシ、桧山君は動揺を必死に押し隠している顔でそう言った。よりによってバイなんて単語も聞いたこともないだろうごく普通の男子高校生に惚れてしまったらしい。難儀なことだ。しかもバイとか言っておきながら女性を好きになることはあんまりないのだとか。素直にゲイだと言えばいいのに。
授業中にノートを取りながらぼんやりと考えて、私はもう桧山君に対してこれと言った恋愛感情も未練も抱いていないことに気付き密かに驚いた。
「ねえそー思わない塩田ぁ」
「…桧山君ってさー、オネエ系のゲイなの?」
「え? いや、今のはただのノリ」
疑問符なしの疑問文。いきなり投げかけられたそれに驚いて落とした卵焼きにお弁当箱で受け止めながら私は横に座る桧山君をちらりと横目で見る。足首のあたりで手を組んで背を丸めている彼は手に何も持っていない。お弁当はと聞いたら昼は食べない主義だと返された。
「…拒食症?」
「ダイエットしてんの!」
「桧山君別に太ってないじゃん」
「だって湯島けっこー細いんだぜ!? 並んで『うわ太ってる』とか言われたら俺もう学校来れない絶対ひきこもる」
「んなアホな」
「お前は恋の苦しみを知らないから…っ!」
ゲイに恋愛指南をされてしまった。ちなみに別にゲイを差別しているわけではない。
「……塩田はさあ、気持ち悪いとか思わないんだ?」
「思わないよ。なんで?」
「…だって、オトコがオトコを好きになるのって、不自然だろ」
「そうかもしれないけど、私結構耐性あるんだよね」
この際ぶっちゃけてしまうと、ちょうど一年前の春休みに私の父親は浮気をして家を出て行っている。
男と。
ホモセクシュアルの父だ。コントか。
笑えることにその日は四月一日だったのだけれども、それはエイプリルフールでも何でもなく、どうしようもないほどマジだった。新しい世界へ行ってらっしゃい、お父さん。
さらにタチが悪かったのは、相手の人(言うまでもなく男)が恐ろしく人間のできた格好良い人だったことだ。嫌いになることもできないくらいの素敵なロマンスグレーのおじさんだった。それこそ衝撃の自己紹介で、姉弟揃って「なんでゲイなんですか」と真顔で質問してしまうほど。恥も遠慮もない姉弟だと近所でも噂されている。嘘である。
そんな訳で、最初に知った(そして今なお仲よくさせてもらっている)ゲイの人のおかげで我が家は結構“そう言う”人たちに対して友好的だ。そんなようなことを私が笑い話のノリで話したら、桧山君はツチノコを踏み潰してしまったような変な顔をした。
「………塩田ってさ、変わってるよな」
「ああ、うん。よく言われる」
「生まれて初めてだ、気持ち悪いとか言われなかったの」
「だから単に耐性があっただけだってばー」
「うん、でもなんかいいな、こういうの。ありがとう」
あんまり嬉しそうに笑われてしまったので、私は同じ図書委員に同性愛好きのいわゆる腐女子がいるせいもあるというのを言いそびれてしまった。ちょっと申し訳ない気分になった。
昼休みにそんな会話をしたよく翌日、昼休み後最初の授業は先生が原因不明の遅刻をしたせいで自習になってしまった。昼食帰りの道端で産気づいたお母さんの介抱でもしたのだろうか。あるわけないかと思いつつ。私は勉強そっちのけでおしゃべりに精を出し始めたクラスをそっと抜け出した。
向かう先は中庭。理由は至極簡単で、ふと見渡した教室に桧山君の姿がなかったからだ。
無意味に草木が多く隠れ場所に恵まれたそこは、結構便利なサボりスポットだと思うのだけど、意外なことに利用者は少ない。桧山君はその数少ない利用者だった。
「…何してんの、桧山君」
「苦悩してんのぉ~」
背の高い木陰にうずくまっていた彼はうめくような声でそう言う。そんな彼の横にスカートを捌いて座ると、桧山君は腕のすきまからちろりと視線だけ投げかけてきた。
「…………今授業中じゃなかった?」
「自習になったんだよ。だって桧山君戻ってこないんだもん」
「だってさあ~~~~」
子供のように叫んで、またひざに顔を埋める。しばらくそうしていて、眺めていたチョウチョがタンポポからオオイヌノフグリへ移動したころに、桧山君はものすごく頼りない声でつぶやいた。
「あいつ、俺の気も知らないでとんでもないこと言いやがるんだ……」
「うん、よしよし」
いとこのアイちゃん(小三)にするようにくしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜて、私はなぜか微笑ましい気持ちになってしまう。
なんだ、バイだのゲイだの自嘲しておきながら、実はただの恋で悩む普通の男子高校生じゃないか。そりゃそうか。人間だもの。
そりゃゲイの気持ちなんてわかんないよね、とわりと冷淡なことを言いながら、私はそんなふうに考えていた。
…………人間だもの、だって。
(…相田みつをじゃあるまいし)
笑ってしまった。
ガサッ、カサカサ、しゅる、ザーッ
イヤホンから流れる古いロックを聞きながら、静かな本棚の間で黙々とブッカーを貼っていく。書店から届いたばかりの真新しい本をビニールコーティングする作業は、図書委員の仕事で私が得意とするものの一つだ。本棚の間に点在する椅子に腰かけて、膝に置いたカッター板の上でビニールカバーを切っていたら、うつむけた視界の端に見覚えのある黒髪が現れた。
「さーや」
「………んん? どうしたの、えんちゃん」
「あんたね、桧山小太郎だけはやめときなさいよ」
顔を上げた先で、同じ図書委員の岸円────えんちゃんが仁王立ちしていた。
私はとりあえず手を止めてイヤホンを外す。相変わらず、素晴らしいくらい前置きを無視した会話の仕方だった。どこからどうしてその言葉が飛び出したのか、理解力の低い人間にはわからないだろう。
「あはは、やだなあ、誤解だよ」
「じゃなきゃ何だって言うの? アレは男女問わず来る者拒まず主義なんだから、好きになった方が馬鹿見んのよ」
「知ってるよ。えんちゃんこそなんで知ってるの?」
「家が近い」
一世一代とばかりに必死で振り絞った勇気は、「俺、実はバイでさー」と至極あっさり返された的外れな言葉の前に霧散した。
…………い、今、なんつった?
「だから男も女もイケるんだけどネ、今好きなヒトいるから無理」
生まれて初めての告白の結果がコレって。普通にふられるよりも衝撃が大きすぎて何も浮かばない。茫然としたまま「それって男? 女?」と聞くと、少し考えてから彼はオトコノコ、と肩をすくめて言った。
***
桧山小太郎(ひのきやまこたろう)君は、私の斜め四十五度前の席でいつも居眠りをしている愉快な男子高校生だ。去年から同じクラスで、授業中に起きてる姿を見たことがないのに、休み時間はいつも周りの人間を男女とわず巻き込んで馬鹿騒ぎをしている。私はその笑い声に混ざったり混ざらなかったりしながら一年ほど彼のそばで高校生活を過ごし、なんだか気付けば好きになっていたという、まあ高校生にありがちなステレオタイプな恋愛をしたのだが、その結末はステレオタイプではなかった。
五組のユシマタカシ、桧山君は動揺を必死に押し隠している顔でそう言った。よりによってバイなんて単語も聞いたこともないだろうごく普通の男子高校生に惚れてしまったらしい。難儀なことだ。しかもバイとか言っておきながら女性を好きになることはあんまりないのだとか。素直にゲイだと言えばいいのに。
授業中にノートを取りながらぼんやりと考えて、私はもう桧山君に対してこれと言った恋愛感情も未練も抱いていないことに気付き密かに驚いた。
「ねえそー思わない塩田ぁ」
「…桧山君ってさー、オネエ系のゲイなの?」
「え? いや、今のはただのノリ」
疑問符なしの疑問文。いきなり投げかけられたそれに驚いて落とした卵焼きにお弁当箱で受け止めながら私は横に座る桧山君をちらりと横目で見る。足首のあたりで手を組んで背を丸めている彼は手に何も持っていない。お弁当はと聞いたら昼は食べない主義だと返された。
「…拒食症?」
「ダイエットしてんの!」
「桧山君別に太ってないじゃん」
「だって湯島けっこー細いんだぜ!? 並んで『うわ太ってる』とか言われたら俺もう学校来れない絶対ひきこもる」
「んなアホな」
「お前は恋の苦しみを知らないから…っ!」
ゲイに恋愛指南をされてしまった。ちなみに別にゲイを差別しているわけではない。
「……塩田はさあ、気持ち悪いとか思わないんだ?」
「思わないよ。なんで?」
「…だって、オトコがオトコを好きになるのって、不自然だろ」
「そうかもしれないけど、私結構耐性あるんだよね」
この際ぶっちゃけてしまうと、ちょうど一年前の春休みに私の父親は浮気をして家を出て行っている。
男と。
ホモセクシュアルの父だ。コントか。
笑えることにその日は四月一日だったのだけれども、それはエイプリルフールでも何でもなく、どうしようもないほどマジだった。新しい世界へ行ってらっしゃい、お父さん。
さらにタチが悪かったのは、相手の人(言うまでもなく男)が恐ろしく人間のできた格好良い人だったことだ。嫌いになることもできないくらいの素敵なロマンスグレーのおじさんだった。それこそ衝撃の自己紹介で、姉弟揃って「なんでゲイなんですか」と真顔で質問してしまうほど。恥も遠慮もない姉弟だと近所でも噂されている。嘘である。
そんな訳で、最初に知った(そして今なお仲よくさせてもらっている)ゲイの人のおかげで我が家は結構“そう言う”人たちに対して友好的だ。そんなようなことを私が笑い話のノリで話したら、桧山君はツチノコを踏み潰してしまったような変な顔をした。
「………塩田ってさ、変わってるよな」
「ああ、うん。よく言われる」
「生まれて初めてだ、気持ち悪いとか言われなかったの」
「だから単に耐性があっただけだってばー」
「うん、でもなんかいいな、こういうの。ありがとう」
あんまり嬉しそうに笑われてしまったので、私は同じ図書委員に同性愛好きのいわゆる腐女子がいるせいもあるというのを言いそびれてしまった。ちょっと申し訳ない気分になった。
昼休みにそんな会話をしたよく翌日、昼休み後最初の授業は先生が原因不明の遅刻をしたせいで自習になってしまった。昼食帰りの道端で産気づいたお母さんの介抱でもしたのだろうか。あるわけないかと思いつつ。私は勉強そっちのけでおしゃべりに精を出し始めたクラスをそっと抜け出した。
向かう先は中庭。理由は至極簡単で、ふと見渡した教室に桧山君の姿がなかったからだ。
無意味に草木が多く隠れ場所に恵まれたそこは、結構便利なサボりスポットだと思うのだけど、意外なことに利用者は少ない。桧山君はその数少ない利用者だった。
「…何してんの、桧山君」
「苦悩してんのぉ~」
背の高い木陰にうずくまっていた彼はうめくような声でそう言う。そんな彼の横にスカートを捌いて座ると、桧山君は腕のすきまからちろりと視線だけ投げかけてきた。
「…………今授業中じゃなかった?」
「自習になったんだよ。だって桧山君戻ってこないんだもん」
「だってさあ~~~~」
子供のように叫んで、またひざに顔を埋める。しばらくそうしていて、眺めていたチョウチョがタンポポからオオイヌノフグリへ移動したころに、桧山君はものすごく頼りない声でつぶやいた。
「あいつ、俺の気も知らないでとんでもないこと言いやがるんだ……」
「うん、よしよし」
いとこのアイちゃん(小三)にするようにくしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜて、私はなぜか微笑ましい気持ちになってしまう。
なんだ、バイだのゲイだの自嘲しておきながら、実はただの恋で悩む普通の男子高校生じゃないか。そりゃそうか。人間だもの。
そりゃゲイの気持ちなんてわかんないよね、とわりと冷淡なことを言いながら、私はそんなふうに考えていた。
…………人間だもの、だって。
(…相田みつをじゃあるまいし)
笑ってしまった。
ガサッ、カサカサ、しゅる、ザーッ
イヤホンから流れる古いロックを聞きながら、静かな本棚の間で黙々とブッカーを貼っていく。書店から届いたばかりの真新しい本をビニールコーティングする作業は、図書委員の仕事で私が得意とするものの一つだ。本棚の間に点在する椅子に腰かけて、膝に置いたカッター板の上でビニールカバーを切っていたら、うつむけた視界の端に見覚えのある黒髪が現れた。
「さーや」
「………んん? どうしたの、えんちゃん」
「あんたね、桧山小太郎だけはやめときなさいよ」
顔を上げた先で、同じ図書委員の岸円────えんちゃんが仁王立ちしていた。
私はとりあえず手を止めてイヤホンを外す。相変わらず、素晴らしいくらい前置きを無視した会話の仕方だった。どこからどうしてその言葉が飛び出したのか、理解力の低い人間にはわからないだろう。
「あはは、やだなあ、誤解だよ」
「じゃなきゃ何だって言うの? アレは男女問わず来る者拒まず主義なんだから、好きになった方が馬鹿見んのよ」
「知ってるよ。えんちゃんこそなんで知ってるの?」
「家が近い」