HTMLちゃんとCSSくん
俺はこれでも結構モテるんだ。
顔だっていいし服だって気を使ってるし、背は少しばかり低いけど年齢を考えれば平均値だ。成績だって悪くはないし、スポーツもそれなりに得意。唯一辛いものが苦手という弱点はあるけれど、だからといって食べられないわけじゃない。
自分で言うのもなんだが、俺は稀に見る有料物件なのだ。よすぎるわけでもなく、しかし全体的に見て悪いところは特にない。女子にとって、これほど美味しい物件はそうそうないに違いない、と思う。
だというのに、この世界で俺が一番俺に惚れてほしいと思っている相手は、俺のことを微塵もそういう対象として見てくれない。
「HTML、どこいくんだよ!」
「学校では先輩ってつけようね、CSSくん」
「いいから、お前どこいくんだよ」
先輩に向かってお前なんて生意気な後輩だなぁ、と言いながらも楽しげに笑い、さっさと昇降口にむかって歩いていく。傾きかけた太陽の光を浴びることでところどころ茶色に見えるきれいな髪をなびかせながら、HTMLはひょいと手をもちあげて商店街の方向を指差した。
「今日ね、PerlちゃんとRubyちゃんとお茶の約束してるの。だから一緒に帰れないよ」
「じゃあそこまで送っていくから」
「いいよ、すぐ近くだもん」
「いいから!」
若干強い口調になってしまった俺に、HTMLはほんの少しだけ不満そうな表情を見せたが、「別にいいって言ってるのに」と文句を言いつつも俺の同行を了承した。教科書のつまった学生鞄を持つ手を背中にまわし、丁寧にかかとを地面につけながら歩いているHTMLに、俺は彼女の背中を見ながら言いようのない焦燥を感じた。
物心ついたとき、俺はすでにHTMLのことがすきだった。自分では覚えていないが、たぶん、この世に生を受けた瞬間から、俺はずっとHTMLのことがすきだったんだと思う。なぜ覚えのないことをそう簡単に決め付けられるのか、と問われれば、俺は簡単に答えを返すことが出来る。だって、そもそも俺は、彼女のためにこの世界に生まれてきたのだ。
HTMLの規則正しい足音が鼓膜に届き、手を繋ぐことが物理的に可能なこの距離にもどかしさを感じる。ほんの少し手を伸ばせば触れることができるのに、もう何年もの間この距離は保たれたままだ。だいすきな彼女にふれたいと思いながらも、臆病な俺はそれを行動に移すことさえできなかった。俺は、彼女に聞こえないように小さくため息を吐いた。
俺がこの世に生を受けた理由。それは、ひとえに彼女、HTMLのためだ。俺の使命は、彼女を助けること、彼女をうつくしくすること、彼女をきれいにみせること。とにかく、彼女のために尽くすことが、俺のすべてだった。俺は、そのために生まれてきた。
俺のまわりをぐるりと見渡しても、俺のような存在意義を持った奴はひとりもいない。皆それぞれひとりひとりの役割をもっているが、「誰かのため」という依存性の高い役割を持った奴は誰一人として存在しなかった。皆、個々の力で何かを為すことが出来る存在だった。俺だけが、違かった。
俺は、俺ひとりでは何もできない。俺がいくらひとりで頑張ったところで、その奮闘は誰の目にも見えず、そして何の結果も生まないのだ。努力が他人の目にさらされる必要があるとは思わないが、努力が何の意味も為さないとなれば、それは無意味でしかないだろう。
俺は、HTMLのためにしか頑張れない。彼女をきれいにみせるためだけにしか、俺の力は役立たないのだ。それが俺の存在意義で、すべてだった。だから、俺の努力はすべて彼女だけに向けられる。彼女を通して、俺の努力は報われる。
俺には彼女が必要だった。HTMLがいないと、俺は何の意味もなさないから。HTMLが俺のすべてだった。すきだった。どうしようもなく。
それはもうきっと、恋なんてものを軽く飛び越えてしまっていると、知っていた。
「ねえ」
「なんだよ」
イチョウの並木から、はらりと黄色い葉が落ちる。それを眺めながら、俺はHTMLの声にこたえた。
「私ね、たぶん、もうすこしで、協会に呼ばれるから。そしたら、しばらく学校休む」
「……ああ、そんな時期だっけ」
「うん。でも、そんなに長くかからないと思うから」
だからその間よろしくね。HTMLは、こちらに視線を寄越すことなくそう言った。何をよろしくされたのかはよく分からない。おまけに俺は、彼女ではなく舞い落ちるイチョウの葉を眺めていたから、彼女がどんな表情をしていたのかも分からなかった。
「でも、お前が前に協会に行った時、二ヶ月くらい帰ってこなかったじゃん」
「今回はそんなにかからないよ、きっと。4.01の時は、結構色々大変だったから」
「……でも、今回の変更って相当でかいんだろ」
俺たちの間で「協会」と呼ばれているW3Cに彼女が赴くのは、だいたい彼女の仕様に変更や更新がなされる時だ。呼ばれれば、彼女はそれを断るすべがない。
そしてその間、俺は当然のごとくひとりになる。
「……さみしい?」
「そんなわけあるか」
くすり、と笑いながら問うHTMLに、俺は虚勢しか返せない。いくら否定の言葉を吐き出したところで、それが嘘であることなんか、きっと彼女は分かってしまっている。
秋独特の冷たい風が頬をなでる。その風に彼女の髪がゆらりと揺れて、それまでずっとイチョウを見ていた俺の視線がそれに奪われた。きれいだった。
「すぐ帰ってくるよ。私だってはやく帰ってきたいもん。Perlちゃんとね、美味しいケーキ屋さん教えてもらう約束してるの。それから、Rubyちゃんには、この前読んだ面白い漫画貸してもらうんだ。PhotoShop先生からの宿題だってまだまだいっぱい残ってるし。AS先輩にもらったライブのチケットだってあるし。それに、」
ざあ、と風が吹く。秋風は、冬のような冷気を孕んでいるわけではないのに、しかし人肌を震わせるだけの冷たさをもって吹きすさぶ。夕暮れを迎える前の太陽が、彼女のきれいな髪を明るくそめていた。彼女は、瞳をほんのりと細めて、微笑んだ。
「JS先輩にも会いたいし」
俺たちのような存在に神がいるとは到底思えないが、仮に存在がいるとして、俺は神様というものは本当に残酷だなぁ、と彼女が頬を染めるたびに思う。俺にとってHTMLのその言葉が、どれほどの破壊力をもっているのか、彼女はきっと露ほども分からないだろう。
HTMLがいないと何もできない「俺」という存在をこの世に生んでおきながら、彼女が見ているのは俺じゃない別の誰かなんて。まったく、神様なんて理不尽のかたまりだ。
ほんのりと頬をそめて、うすい唇で弧を描いて、うっとりしているその目にはこの世のものではない他のうつくしいものを映している。彼女をそんな風にさせる存在が、羨ましくて憎たらしくてたまらない。
俺がこの世に存在する理由は、彼女を、HTMLをうつくしくすることだ。それなのに、そうやって微笑む彼女は、世界のどんなものよりもうつくしい。
「早く帰ってくるから、ね?」
作品名:HTMLちゃんとCSSくん 作家名:みなみ