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深海ネット 後編

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番外編2.ミミ



 最近、残業が多くなってきた。家に帰ると、既に夜十時。慌ててメイクを落としながらパソコンの電源を入れ、起動している間に顔を洗う。コットンに含ませた化粧水を顔に叩きながらチャットルームを開き、乳液をなじませながら表示されているメンバーのチェック。良かった、いち太郎がいる。
「こんばぁ」
「おっ、ミミ!こんばんは」
 幸い、メンバーはいち太郎一人だけ。社長が来るまで、二人で話せる。
「ミミ、最近来るの遅いよね」
「ごめんねぇ。もうすぐ英語のテストで、勉強してたぁ」
「テストなんだ?こっち来て大丈夫なの?」
「うんっ。みんなと話したいしねぇ」
 テストか。そんなもの、最後に受けたのはもう十年以上前。その古い記憶を辿って、いち太郎と話す。私はここでは十八歳の女子高生なのだ。例えパソコンの前で目元のしわ伸ばしシートを張っていようが、画面上ではそれなりの話題を展開しなければならない。

 三十路を超えた独身女性が世の中でどんな評価を受けているかくらい、わたしだって知っている。実際、若い後輩が寿退社するたびに、周りの人間の態度が変わっていくのをひしひしと感じている。やけに優しいというか、哀れまれているというか。そして十歳も離れた新入社員の女の子からは、こうはなりたくないという視線を浴びる日々だ。被害妄想なんかじゃない。事実として、わたしの周りで起こっている。
 でも、ここでは違う。わたしをきちんと女として扱ってくれるのだ。確かに、歳は偽っている。キャラクターだって、わざとらしいくらい可愛く演じている。けれど、それでもわたしは嬉しかった。わたしの発言ひとつひとつに反応してくれる人がいる。それだけでも充分満たされている。

 でも、あんなに毎晩楽しかったはずのチャットに、最近イラつくことも多くなった。その原因が、新入りのわかばという女。
「恋人が、ワガママなんです」
 今日は、恋愛相談をするつもりか。ますます気に食わない。女子大生で、彼氏がいて。もうそれだけで、わたしには嫌味にしか聞こえない。そんなの悩みなんかじゃなく、単なる自慢じゃないの。
「ワガママってどんな風に?」
「自分の意見を押し付けるんです」
「それは問題だねぇ。アタシなら我慢できないよ。わかばちゃん可哀相だなぁ」
 チャットで恋愛自慢するなんて、可哀相なやつ。
「わかばちゃんみたいな子に、そんなワガママ野郎は勿体無いよ!」
 いち太郎が言う。一番気に食わないのはこれだ。いち太郎が、完全にわかばにばかり入れ込んでいる。今まではずっとわたしに構ってくれていたのに、新しい女が紛れ込んだだけでこの状況。わかばに話を振ってばかりで、つまらない。もっとわたしに注目してほしいのに、わかばが来てからどうもペースを乱される。
「自分の意見の押し付けか……」
「おっ。社長、何か言いたそうだね」
「わかばの彼氏は、同級生なのか?」
「はい。大学の同級生なんです」
「それなら、ワガママになっても当然かもしれないな」
「えっ、そうなんですか」
「立場が対等だから、仕方ないよ。それに、意見を言ってくれるってのは、信頼関係ができてるってことじゃないか」
 社長は、いつも何かを悟ったような話し方をする。ここでは最年長ということになっているが、所詮二十六。私より六つも年下だ。
「なるほど!さすが社長だね。言うことが大人だよ」
「信頼関係ですか」
「そう」
「わかばちゃんはさぁ、その彼氏さんに言いたいこと言えるのぉ?」
 わかばの恋愛話なんか広げたくないけれど、発言しないのもおかしいだろう。それにミミは、どんな相手でも人懐っこくて、可愛らしい発言を絶やさない。ここではそんな存在で、それでちやほやされてきたのだ。
「いえ、なかなか」
「言いたいこと言えないってことは、わかばが相手に完全な信頼を置いてないってことなのかもしれないぞ」
「社長さんの言うこと、一理あるかもしれません」
「だろ?」
「やっぱ、わかばちゃんも彼氏さんのこと信頼してもっと思ってることぶつけちゃえばいいんだよぉ」
 そして自力で解決して、もうここで話すようなことはやめてね、と心の中で呟く。
「そうですね、ちょっとそうしてみます」
「ガンバ!もしまた何かあったらアタシ達が聞くからねぇ」
 我ながらミミらしい発言だと思って、顔がにやける。
 ここのメンバーは、わたしのことをどのように想像しているのだろう。若くて、元気で、今時で。男が振り向くような、可愛らしい彼女にしたい女の子だろうか。少なくとも、今パソコンの前にいるような、仕事で疲れた顔をしている張りの無い肌をしたおばさんは思い描かれないはず。
 顔が見えなくて本当に良かった。目元に張ってあったしわ伸ばしシートを剥がしながら、そう思う。こんな姿見られたら、いち太郎も社長もわかばも、きっと見向きもしてくれないのだろうから。
 ただ、わかばさえ来なければ、わたしはこのチャットで紅一点。もっとちやほやされていたのだけど。



作品名:深海ネット 後編 作家名:さり