小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

深海ネット 後編

INDEX|5ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

番外編1.わかば


 
 ハンドルネームを決めた理由は、いたって単純だ。
 今日は、運転免許を取得した日。教習所で貰ったばかりの初心者マークになぞらえて、《わかば》。ただそれだけのことだった。ハンドルネームなんかたいして意味のないものなのだろう。ただ、チャットや掲示板において、他人と区別をつけるだけのもの。あまりかっこつけて考えるのもやりすぎのような気がしたし、だからといって本名を名乗るのも抵抗があった。
 部屋にパソコンが置かれてから一週間が経つ。大学のレポートの多さに負けて、やっと買ったものであるはずなのに、ずっとインターネットしか利用していない。大学でパソコンを使っていたときは、周りに他の学生がたくさん居た上に、使える時間にも限度があった。それこそ、講義のレポートをやるだけで精一杯だったのだ。それが自室でパソコンを使えるようになると、一気にできることが広がる。ホームページだって人目を気にせず好きなものを見ることができるし、利用時間も気にしなくていい。その開放感に浸り、気がつけば深夜までネットをつないでいるという生活をしている。

 そして、今日初めて挑戦するのがチャットだ。名前欄に《わかば》と入力し、「入室」ボタンを押す。画面が切り替わった。
「お、新人さんだ!」
「初めましてぇ」
 表示されているメンバーは《いち太郎》と《ミミ》。この二人は、俺が入室する前から会話をしていたみたいだ。チャットがどういうものなのかは知っていたけれど、自分が実際に体験するのは初めてのこと。見知らぬ人と、文字で会話する。それも、リアルタイムで。期待に胸を膨らませながらも、キーボードを打つスピードが落ちる。わずかに緊張しているのかもしれない。
「はじめまして。わかばです」
 自己紹介するのに、本名を使わないとは奇妙な感覚だ。しかも《わかば》なんて、ついさっき考え付いたばかりのハンドルネームなのに。それをまるで生まれたときからの自分の呼び名のように、紹介している。
「わかばちゃんか。可愛い名前だね」
「そうだねぇ。若々しい感じ!」
「でも、ミミも充分若々しいよね」
「きゃはは。そうかなぁ」
 次々を浮かび上がっていく文字に、俺は首を傾げていた。二人の反応に違和感を抱く。可愛いだの、若々しいだの。
「わかばちゃんは何をしている人なの?」
「大学生です」
「そっか、女子大生なんだね」
 女子大生。いち太郎のその言葉で、確信させられた。俺は、女だと勘違いされている。確かに、《わかば》は、どちらかというと女性的な名前のように感じられるのかもしれない。考えてみたらわかることだった。チャットでは相手の姿が見えないから、相手の性別ですら文字だけの情報で判断しなくてはならないのだ。そんなこと全く意識せず、こんなハンドルネームをつけてしまった。今更になって、後悔する。
 何度か誤解を解こうと発言欄に文字を入力したが、いち太郎とミミの会話の流れが速く、なかなか発言するタイミングをつかめない。会話の内容もどんどん変化していき、もう誤解を解くには遅くなっていた。やはり、チャットに慣れている人たちと、チャットもわかばマークの俺とでは、文字入力のスピードに差がありすぎる。二人は完全に「わかば=女」ということで話を進め、それを前提として俺に次々と質問を投げかけてきた。
 しかし、その質問に答えているうちに、だんだん自分が「女」として扱われている環境を楽しんでいた。普段の生活の中でそんな経験は絶対にできない。どうせなら、女として振舞うのも面白いかもしれない。別にここにいる二人に女だと思われようが、不都合なことはないはずだった。


 約束の時間まで、あと五分。
 間に合うか間に合わないか、瀬戸際のラインだ。アクセルにかける足に、力を入れる。メーターは未だ出したことない速度にまで達したが、それでも周りの車は俺を追い抜いていく。みんなどれだけ出して走ってるのだろう。遠目に見える信号が黄色になり、足の力をすぐに抜く。やはり俺にはまだ、教習中の運転が体に染み付いているようだ。
 信号待ちの間、由理の不貞腐れた顔が目に浮かんだ。あいつは機嫌が直すのに、時間がかかる。このままでいくと、今晩の食事代は俺持ちになりかねない。それはさすがに勘弁だ。信号が変わったら、もう少し強くアクセルを踏もう。

「なんだか、圭輔が運転してるなんて不思議ね」
 結局五分の遅刻となった。しかし、由理は予想に反して満面の笑みを零している。来週の生活費の切り詰めまで計算していた俺にとっては、拍子抜けだった。
「ちゃんと走れてるじゃない」
「乗ってて怖いとか思わないの? まだ免許取って二日目だけど」
「だって国が認めた資格でしょ。自信持って走ってよ」
「うーん。ならいいけどさ」
「私が横に乗ってるんだから、いくら圭輔でも気をつけてくれるはずよ」
 由理の声が弾んでいる。やはりドライブデートというものは、女の憧れだったのだろうか。ここ最近でも稀に見る機嫌の良さだ。
「でも、やっぱちゃんと付けているのね。わかばマーク」
「そりゃあ義務だからな」
「はずしてもいいんじゃない?バレなさそうだし」
 由理がフロントガラスに張り付いている初心者マークに手をかけているのが見えた。いくら機嫌が良くても、自分勝手なところはそのままみたいだ。
「ああ、やっぱり助手席っていいよね」
「やけにウキウキだな」
「だって、今日を楽しまないとね。来週からは、レポート地獄だもの」
「そっか……いやなこと思い出したな」 
「でも、圭輔はやっと家でレポート書けるようになったのよね」
「そうなんだよ。やっと買ったんだよ、パソコン」
 そう言って急に頬が緩んだ俺を見て、由理は不安そうな声を上げた。
「やだなあ。なんかオタクみたい」
「オタク?」
「パソコン買って嬉しそうな顔しちゃって。あまりハマりすぎないでね」
「ははは。大丈夫だって」
 俺は、笑いながら動揺を誤魔化した。実はここ数日、夜はずっとパソコンの前にいる、ということは黙っておくことにしよう。


 また、あのチャットルームに行ってみた。この場にいない誰かと、現在進行形で会話する。しかも、俺は女として扱われている。由理にはああ言われたけれど、ハマる要素はたっぷりとあった。
 入室すると、前回と同じように、いち太郎とミミが二人で話していた。
「おお、わかば!また来てくれたんだね」
「わかばちゃん、こんばんはぁ」
 二人とも歓迎ムードだ。見ず知らずだった誰かを、こうして暖かく迎え入れてくれる。そんな優しさが、心地よかった。
 しばらくとりとめもない話をしていると、「社長さんが入室しました」という表示が出た。《社長》。初めて見るハンドルネームだ。
「はじめまして」
 とりあえず、挨拶は欠かさない。
「わかばはね、昨日社長とすれ違いで入ってきたんだよ」
 自分で自己紹介しようとしたが、いち太郎に先を越されてしまった。そしてやはり、「女子大生」として紹介される。
「年が近くで、しかも女の子なの!アタシ、すごく嬉しいなぁ」
作品名:深海ネット 後編 作家名:さり