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深海ネット 後編

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6.微光


 
 思っていた以上に寒い。駅だから人は周りに腐るほど居たけれど、肌に当たる風の質が全く違う。同じ日本でも、ちょっと海を超えるだけでこんなにも空気が違うものなのか。レイカやいち太郎が住んでいるこの地に自分が立っている。そのことが、不思議でたまらない。
 札幌駅に到着してすぐ、携帯電話を取り出した。レイカに電話をするのは、メールを貰った日以来だ。ここまできて、また電話がつながらなかったらどうしようかと思ったが、思いのほか、あっさりつながった。そして、呼び出し音は、鳴ってすぐに途切れた。
「もしもし」
 レイカの声だ。良かった。まだ、無事に生きている。
「河野です。河野明です」
 考えてみれば、俺が声を出すのは初めてかもしれない。
「……やっぱり」
「メール、読みました」
「……」
「今、札幌駅にいます」
「えっ」
「レイカさんの住んでるところは札幌じゃないのかもしれない。でも、ここに来れば、少しは近づくだろうし、なんとかなるかなって」
「ちょっと待ってください。言ってることがわかりません」
 電話の向こうでレイカは動揺しているようだった。でも俺は、構わず話を進める。
「あのメール、サインですよね」
「サイン?」
「サインていうか、SOSかな。今までのレイカさんのメールには、感情が無かった。なんていうか、必要最低限のことしか書いてなかったですよね。でも、ジョージの事件以降のあなたのメールには、自分のことが少しずつ出てきていた」
「……」
 レイカは一気に黙り込む。
「どういう理由なのかは俺にはわからないけれど、きっとレイカさんは抑圧されていたんだと思います。でも、俺あてのメールには、それが少しずつだけど解放され始めていた。それに気づいたから、俺は今ここに居ます」
 話ながら、声が震えていた。ここまできて、まるで見当違いなことを一人で口走っているような気がしてならなかった。でも、それならそれで良かった。俺は、レイカに自分の思ったことを全て伝えたかった。
「ここに来れば、何かが変わるんじゃないかと思って」
「……どうして」
 やっとレイカが話し始める。振り絞るような声だ。
「どうしてそんなことわかるんですか」
「俺も同じだったんです」
「同じって」
「自分のこと。どうしようもない無職だってこと。誰にも知られたくなかったし、知られたら嫌われるし、実の親父ですらこのことは知らない。だけど、レイカさんには言えたんです。余計な労力とか勇気なんかいらず、自然に」
「そんな。でも、私は」
「自殺がいいとか悪いとか、そんなことはどうでもいい。死にたいことが悪いことなんじゃない。俺だって、一度は死ぬことに縋っていた人間です。でも、今はちょっと違う。もし、レイカさんの今を変えられるのが俺ならば、俺はまだここに存在していていいんじゃないかって、そう思って」
 捉えようによっては、利己的な考えなのかもしれない。誰かの助けになることで、自分の存在価値を上げようとするなんて。でも、正直な気持ちだった。生きることを考え始めている自分がいるだけで、充分じゃないか。
 話し終えた後、軽く息切れをした。こんなに興奮して話をしたのは初めてだ。とめどなく言うだけ言った後に訪れた沈黙に、心臓を大きく動かされる。うるさいくらいの鼓動を、全身に感じる。
「……一時間かな」
「え?」
「あと一時間待っててください。そこで。どこか喫茶店に入っても構いません」
 わけがわからなかったが、とりあえずぐるりと周りを見渡して、時間が潰せそうな場所を探す。駅の改札口の横にあるミスタードーナツが目に入った。
「一時間で行きます。そちらに」
「じ、じゃあ、ミスドに……」
 急な展開に、こっちがおどおどしてしまう。
「はい。待っててください」
「えと、ホントに、来るんですよね」
「……行きます」
 そして、通話が切れた。でも俺は、しばらく携帯を耳から離すことができなかった。レイカが来る。まさか、急にそんなところまで話が進むとは予想外だった。
 
 ミスドに入ると、客席はほとんど埋まっていた。コーヒー一杯だけを注文し、店内の奥にある喫煙席に座った。唯一空いていた、二人用のテーブルだ。目の前にレイカが座るのを、想像する。レイカが現れたら、安心して泣いてしまいそうな気がした。煙草に火をつけようとする手が震える。緊張しているのだ。
 しばらく店の入り口を見つめていた。赤いコートを探していたが、さすがにまだ見当たらない。だいたい、本当にくるのかもわからない。ジョージの事件もあって、こういうことに敏感になっていてもおかしくないはずだった。

 ふと、今は無き「心中掲示板」のことを思い出す。死にたい、自殺したいと思っているやつらが集うはずの掲示板。負のエネルギーをめいっぱい含んでいた。そんな光の当たらない深海のような掲示板で、俺はレイカを見つけたのだった。そう思うと、可笑しくて頬が緩む。死のうと思って訪れた場所があったから、俺はこうして結果的に生きることを考えていられるのだった。あのココロという女だって同じなのかもしれない。死ぬことを考えたつもりが、実際に死に近づいたら怯えてしまった自分がいて、生きる選択肢を見つけた。「心中掲示板」を訪れたことで、生きる道を選んだのだ。
 ジョージが起こした事件以降、あらゆる自殺サイトが規制され始めているらしい。でも、俺はそんな必要ないのではないかと思ってしまう。自殺サイトのような場所があるからこそ、救われている人間は少なくないのではないだろうか。現実の世界では、死にたいなんて感情をなかなか受け入れてはくれない。そういう感情を吐き出せる場所があり、吐き出せる人に出会うことは、決して悪いことではないのだ。

「河野さん」
 声がして顔を上げると、真っ赤な色が目に入る。目の前に、レイカが立っていた。
 何か言わなければ。そう思いながら、レイカを見つめた。相変わらず、病的なほど色白だ。前回と違うのは、寒さのせいか若干頬がピンク色に染まっていること。そして、その顔には表情があることだ。困惑したように眉毛が下がっていて、目にも力が感じられる。コートの袖からわずかに見える腕には、包帯が巻かれてあった。きっと、傷がリストバンドだけでは隠し切れないほどになってしまったのだろう。一人で自分を傷つけるレイカを想像して、胸を刺されるような痛みを感じた。
「生きてて良かった」
 思わず口に出してしまう。言ってからハッとした。レイカは一瞬言われたことが理解できない、という顔をしたが、次第にその表情が崩れていく。
 レイカは泣き出した。嗚咽のような声が聞こえて、店内にいる客たちが怪訝な目をしてこちらを振り向く。レイカはそんなことお構いなしでその場に崩れ落ち、漏れる声も大きくなった。小さく丸まったその折れそうな体を、俺は不思議と穏やかな気持ちで見つめていた。レイカが泣いていることが、安心だった。
 席を立ち、目の前でうずくまるレイカの背中にそっと触れてみた。コート越しでも、しっかり温かい。こんな一見人工的な体にも、ちゃんと血が通っているのだ。それがわかっただけでも、ここまで来た甲斐があったのだと思う。
作品名:深海ネット 後編 作家名:さり