深海ネット 前編
パソコンをシャットダウンする。真っ黒になった画面をぼんやりと見つめていた。画面の向こう側にレイカの姿を思い浮かべる。帰りに改札を通っていく、あの後ろ姿だ。きっともう二度と見ることができない姿。
誰かとのつながりが、また一つ途絶えた。慣れたことのはずだった。でも、なんだか心にしこりが残る。名残惜しい気すらする。俺は自分が思っていた以上に、依存していたのかもしれない。このネット心中計画に、そしてレイカに。今、レイカに切り捨てられたということに気づき、俺は目指すものを奪われた感覚に陥っていた。舞子と最後に会った一年前の、あの感覚に似ていた。この世から楽に消えるという目標を失ったということは、俺はこの先長い人生と、また再び向き合わされることになる。
久しぶりに、「心中掲示板」にアクセスしてみた。レイカから連絡が来なくなった今、俺は新たなネット心中計画に参加するしかなかった。集団行動など、俺には向いていないかもしれない。でも、「道具」と「確実さ」をもう一度求めることしか、俺ができることは無いのだ。しかし、予想はしていたものの、なかなかめぼしい募集が見当たらない。しばらく見ない間に新しい書き込みは数多くあったが、冷やかしや煽りの書き込み、ただ死にたいということだけが書かれているもの、自殺防止サイトへのリンクなど、俺が必要としていないものばかりだ。やはりレイカのようにきちんとした募集は無さそうだ。俺は大きな魚を逃してしまったのだろう。
しかし、掲示板を過去のページに遡っていくと、意外な書き込みに行きあたった。ジョージが、ネット心中のメンバー募集をしていたのだ。車は用意できます、と書いてあることから、きっとあのジョージで間違いないだろう。書き込みの日付を見ると、四日前。俺が最後にレイカにメールを送った翌日だ。これは一体どういうことだろう。レイカは新たなメンバー募集をするつもりは無いと言っていた。ならば、これはレイカとは関わりのない募集であろう。ということは、レイカとジョージの間でも、計画が破談になったということか。
頭が混乱する。俺だけがメンバーから外されたということでは無かったのか。あの計画自体が無くなってしまったのだろうか。そしたら、レイカはどうするのだろう。あんなにまで死に執着を持って、一刻も早く決行したがっていたレイカは、今どうしているのだろう。
いつもの時間になって、チャットルームに顔を出す。
「この間はありがとうございました」
前回に引き続き、みんなはわかばの恋愛話で盛り上がっていた。
「別に俺はたいしたことしてないけどな」
「いえいえ。周りにあまりできない話だったので助かりましたよ」
「社長は一番年上だし社会人だから、どんどん相談するといいよぉ」
ミミが言う。俺なんか社会から閉ざされている人間なのに、よく言ったもんだ。やはり、同じ人間でも社会人という肩書きだけで評価はがらりと変わるものだ。、
「ミミさんも、私より年下なのにしっかりした意見持ってて羨ましいですよ」
「えぇ、そんなことないって!」
「おいおい、たまには俺にも頼ってくれよー」
いち太郎が泣き顔の顔文字と共に発言する。
「もちろんです。いち太郎さんも同じ大学生として、いろいろ話聞いてくださいね」
「あはは。まあ僕はほとんど大学行ってないけどね」
わかばもすっかりこのチャットに馴染んできたようだ。タイピングも早くなってきたのか、会話にもスムーズについていけている。
「あ、今テレビ観てる人いる?」
確かいち太郎は、いつもテレビをつけっぱなしでパソコンをやっているはずだった。何か面白いことでもあったのか、唐突に話題を変えてきた。
「アタシは観てるよー」
「私は観てませんが」
「俺も見てないよ」
俺の部屋にはテレビが無かった。観るためには居間に行かなくてはならず、それが億劫だったが、今となっては観たいものなんか無く、不自由はしていない。
「埼玉の女子高生殺人事件の男、逮捕されたってさ!」
時間帯的に、どの局もニュース番組をやっているのだろう。
「本当ですか?今テレビつけてみますね」
「あー、ホントだぁ」
話についていけない。俺はテレビも新聞も用無しの人間だ。埼玉の女子高生殺人事件なんて、初めて聞いた。
「ごめん、最近仕事が忙しくてニュースに疎いんだけど、その事件って最近のもの?」
ずっと黙っていても不信に思われると思い、とりあえず事件の話を振ってみる。
「そうだよー。男に監禁されていた埼玉の女子高生が殺されたって事件」
発言と同時にいち太郎は、どこかのサイトのアドレスを教えてくれた。
「ここのサイト、その事件のことがまとめられてるんだ」
そこまでしてくれたのはありがたいが、俺は本当は別にそんな事件の詳細など興味はない。
「そうなのか。よく知ってるな、そんなサイト」
「ホント、いち太郎っていろんなこと調べてるんだねぇ」
「この事件はちょっと興味あったんだ」
「卑劣な事件ですよね。自殺サイトで自殺志願者を装っていたなんて」
自殺サイト。わかばの発言に、急に鼓動が大きくなる。
「なにそれ、どういうこと?」
思わず突っ込んで訊いてしまう。
「この男、自殺サイトでネット心中の相手を募集するフリして、やってきた相手を自分が殺したんですって」
わかばが丁寧に解説してくれる。
「そんな話なのか」
「社長、ホントにニュースに疎くなってたんだねぇ。今どこもその話題で持ちきりだよぉ」
「ああ、全然知らなかった」
「ならさっきのサイト行ってみなよ。犯人逮捕で早速更新されてるよ」
いち太郎が言う前に、俺はそのアドレスをクリックしていた。チャットのとは別の画面が開き、そのサイトが表示される。
《埼玉女子高生殺人事件 自殺サイトでおびき出して殺害
十五日未明、埼玉県浦和市の空きアパートにて県内の高校に通う女子生徒(十八)の遺体が発見された。女子生徒のパソコンの履歴から、自殺サイトを通じて出会った男と会う約束をしていたと見られ、現在男の行方を追っている》
事件の詳細がめいっぱい載ってある画面をスクロールしていくと、一番下に「速報!」と大文字で書いてあり、その枠の中に犯人逮捕の情報が載せられてある。丁寧にも、逮捕されたばかりの犯人の写真まであった。
息が止まるかと思った。視線を画面から離せない。自分の脳みそをフル回転させても、この現実をすぐに理解することができない。別画面では、三人が呑気にまだチャットで会話を続けているが、もうそちらの方を気にする余裕など無い。一体どのくらい画面を見つめていただろう。いくら見つめても、見間違いなんてことはなかった。
写真には、ジョージの顔が写っていた。