魔術師 浅野俊介9
氷の魔王
浅野がいなくなった。
圭一は朝から浅野の携帯に電話を何度もしたが、ずっと繋がらないことに不安を感じていた。だがバー開店の時間になったら来るだろうと思っていた。
…しかしバーを開く時間になっても浅野は姿を現さなかった。
今までにないことだった。
圭一は一人でバーを開けた。そして、遅刻してでも来てくれることを期待した。
だが、閉店の時間になっても浅野は来なかった。
客には高熱を出していると嘘を言った。
翌朝になっても浅野は姿を現さず、心配になった圭一は、リュミエルに頼み、交信を頼んだ。…だが、リュミエルの交信には引っ掛からなかった。
「いったいどうしたんだろ…?なんか胸騒ぎがする。」
圭一が声楽レッスン室に篭ったまま、何もできずに時間を過ごした。
………
浅野は人間界と魔界の間にいた。だが完全に意識はない。
氷の魔王に氷づけにされ、横たわっていた。
寝ているところをそのまま襲われたのだった。そして、魂も凍らされているため、リュミエルの交信に引っ掛からなかった。
「人間もたまにはいいことを教えてくれるなぁ…。教えられた通り、捕まえてみたら思わぬ上物が来たものだ…。さあて…こいつをどうしようかな…。」
氷の魔王は両手をすり合わせ、浅野を見下ろしている。
「天使と人間の子はさぞかし美味しいらしいが、そのまま食べちゃもったいないし…」
その時、魔王に部下が交信してきた。
「なんだ?…うん…清廉な歌声を持つ魂をソースにするとうまいぞって?…本当か?」
魔王は気づかないが、その時、浅野の顔が少し歪んだ。
「若くてうまい?…いいねぇ…。じゃお前捕まえて来い。なるべく急いでな」
魔王は浅野を見て「もうちょっと待ってね。美味しく食べてあげるから。」と言ってその場を去った。
……
圭一は浅野のマンションのエントランスにいた。だが、何度呼び鈴を押しても、返事がなかった。
諦めてエントランスを出ようとした時、「はい?」という浅野の声が帰ってきた。
圭一は顔を輝かせて、「浅野さん!」と言った。
「圭一君か。」
その声とともに、圭一の姿が消えた。
キャトルがしきりに鳴いている。菜々子はキャトルを専務室に置いて「夕方に帰ってくるからね」と秘書を連れて出張に出てしまったのだった。キャトルだけでは、瞬間移動はできない。そのため、リュミエルを必死に呼んでいるのだが、リュミエルは今魔界に行ってしまっていて、キャトルの声は届かない。
「さっさと帰ってきなさいよ!この役立たず!」
キャトルは、鳴き声の可愛さからは想像できない魔界の言葉でそう毒づいていた。
……
圭一は驚いて辺りを見渡していた。見渡す限り氷の世界だった。
「浅野さんの部屋じゃない…」
圭一はそう呟いた。
「そりゃそうだ。」
浅野が苦笑しながら、圭一の前に現れた。
「浅野さん!…もうどうしてたんですか!僕本当に心配して…」
圭一はそこまで言って、目を見開いた。
「ん?どうした?圭一君…」
「違う…」
「何が?」
「浅野さんじゃない…」
浅野が大笑いした。
「何言ってるんだよ、圭一君!俺だって!」
圭一は黙っている。
「ほら圭一君、おいで。」
浅野が手を差し出した。
圭一は浅野を睨みつけて言った。
「浅野さんは…?」
浅野は目を見開いている。
「圭一君…なんだその目は…俺が信じられないのか?」
「浅野さんをどこへやったんや!!」
圭一の言葉が大阪弁になった。怒りのため素に戻ったのだった。
浅野はにやりと笑って、圭一に手をかざした。
「!!」
圭一の足が凍りついた。徐々に上へ凍りついていく。そして顔だけを残して止まった。
浅野の姿が、魔王に変わった。
「案外威勢がいいんだな。清廉な歌声を持つ魂だというから、どれだけおとなしい子が来るのかと思ったら…。」
魔王は大きな氷の箱を出現させた。
「!?…浅野さん!」
それは氷の棺だった。その中で浅野がいつもの黒の服を着て横たわっている。
「…死んでる!?」
圭一がそう思わず言うと、魔王が笑った。
「死んだらうまくない。」
「!!」
「君をソースにしてかけて食べようと思ってね…」
「!!」
圭一は魔王を見た。魔王は圭一のあごを取ってじろじろ見ながら言った。
「でも、君がメインというのもいいなぁ…。生体つきのメインディッシュか…。」
「僕と…入れ替えて…」
圭一が震えながら言った。寒さで唇が真っ青になっている。
「…僕と浅野さん…入れ替えて…」
魔王は嬉しそうに笑った。
……
浅野はいつの間にか、部屋に戻っていた。
両手で顔をこすり、頭を振った。
「何かおかしいな…」
浅野は呟いた。
携帯を開き、圭一にかけようとした。
「!!」
日付がおかしい。自分が思っている日から2日が経っている。
リュミエルがキャトルを肩に乗せて現れた。
「お前!いつ戻った!?」
「戻ったって?…」
浅野がキョトンとして答えた。
「マスターは!?」
「今、圭一君に電話しようと思ったんだけど…今日って何日?」
リュミエルの顔から色が失せた。
……
「最高のメインディッシュだ!」
魔王は圭一の眠る棺の上から、顔のあたりを撫でた。
「清廉な歌声を奏でる魂は清廉な心から生まれるってね…まじでうまそう!楽しみだなぁ…」
「魔王さま」
「うん?…ああ、料理人か。」
「そろそろ、仕込みの準備を…」
「そうだね。でも待って!この子が刻まれる前にもっと、この姿を見ておきたいから…」
料理人はため息をついた。魔王が指をくわえて言った。
「ねぇ…姿煮にできない?」
「色変わっちゃいますよ。」
「それも嫌だなぁ…じゃやっぱり焼いて。レアでね。」
「はい。では棺を開けてもらえますか?」
「うん。ああいとしの清廉な魂ちゃん…美味しくなって帰っておいでね。」
魔王は棺を開けた。
圭一が目を覚ましたが、すぐにガタガタ震え出した。
「生体があると、こうなっちゃうんだよね…。大丈夫。すぐに、魂を剥がしてあげるから。」
圭一は魔王に手を取られて震えながら起き上がった。
「さっきの元気よさがなくなっちゃって、ちょっと残念だなぁ。」
料理人は、震えて立てない圭一を横抱きにして連れて行った。
「さて!ひと寝入り!起きたらご馳走ご馳走!」
魔王は、寝室に鼻歌を歌いながら入って行った。
……
料理人は、圭一を氷の板の上に乗せた。
圭一の震えは止まっている。気を失わされているのだ。
「…全くあの魔王様も、ろくに報酬もくれないくせに、言いたいこと言いやがって…」
料理人は大きな包丁を取り出した。
「…この子も可哀相に…。食べられるにしてももっといい人に食べられるべきだろう。」
「じゃ、その子買うよ。」
料理人は突然の声に、驚いて振り返った。
金髪の青年が立っている。何か金持ちに見えた。
「え!?…でも…この子がいなくなると…魔王様に…」
「そこらへんの木切れを焼いてもわからないよ。あの魔王は。」
「…確かに…」
料理人は思わず言った。
「僕がその子を買う。金貨100枚でどうかな。」
「100!?枚!?」