たかが映画、されど映画
悪人
2010年監督 : 李相日
出演 : 妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり
脚本 : 吉田修一 , 李相日
原作 : 吉田修一
音楽 : 久石譲
「根っからの悪人はいない」と以前は何の抵抗もなく頷いていましたが、今は「根っからの善人なぞいるはずもない」と言い放ってしまえる現状に辟易してしまいます。
この作品、キャッチコピーにも「誰が本当の“悪人”なのか?」とありましたが、「本当の」と付くところが、世の中「ただの悪人」ばかりと云われているようにも思え、またまた、やれやれな気分にさせられます。
被害者の佳乃は節操なく男を渡り歩く女で、最初の容疑者だった圭吾は底の腐った小悪人だし、そいつの金にとりまく若者も情けない小悪党ばかり。
祐一(妻夫木)の母や光代(深津)の妹も口をつくのは、いかに迷惑をこおむったかと自分の事ばかり。
マスコミの姿はいつものように醜悪の極みで、そんな取材をタレ流すTVを、当たり前のように見聞きする国民さえもがもう充分に悪人の範疇。
道を外れてしまった標的を箸をくわえて追い掛け回すような現状が描かれていきます。
加害者とその家族、被害者とその遺族、誰にも重きをおかず、在日コリアン三世監督の目は、皆んな同じだと「この国の悪人」を描いているかのようです。
ラストに祐一が光代に伸ばした手は、「蜘蛛の糸」に届かず引き離されるのか、それとも二人の指には誰にも理解されない糸が繋がったのか、ここがポイントなのでしょう。
「悪人」ばかりの中にポツンポツンと置かれた灯り、バスの運転手や、とりまきから離れようとする若者が、ほんのわずかに「善」の匂いを発し、この社会にかすかな希望を残します。
作品名:たかが映画、されど映画 作家名:しん よしひさ