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しん よしひさ
しん よしひさ
novelistID. 17130
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たかが映画、されど映画

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まあだだよ

 1993年

監督 : 黒澤明
出演 : 松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ
脚本 : 黒澤明
原作 : 内田百聞
音楽 : 池辺晋一郎

 どんどん大型化していき、誰もが次の超大型焼却を辟易しながらも楽しみにしていた黒澤作品の最後期、彼が示したのは、城郭どころか、社会事件も、イデオロギーさえもない、ただネコさんを愛する老教師の映画でした。
原作は内田百聞。
かなり大きく脚色してあります。
  文筆業に専念するため、教師を辞した老教師と、彼を慕ってやまない幾多の生徒たちの交流を先の大戦を挟んで描いたものです。 
愛すべき良き人たちだけしか出てこない作品です。
ここではMPさえ良き人です。
「悪人なんか決して踏み込ませないぞ」と宣言しているかのようです。

 家にも家財にも無頓着、心を痛めるのはネコさんに対してのみ。
現実にはこんな人はいない、こんな生徒はいない、こんな住人はいない。
そう、実体はネコさんだけなのです。
だからこそネコさんが消えた時、作品全体がこんなにも狼狽してしまいます。
唯一の現実が消失してしまうかのように、猫を捜す老教師のクシャクシャの涙の中に大きなとまどいが浮かびます。

 作品後半、存在しない無数の良心が金ムクに押し寄せ「もういいかい」と問いかける。
社会の中の良心の貧困さに「まあだだよ」と応えるしかないキン無垢な魂。
私はこのシーンを観たとき、老教師の屈託のない笑顔に何故か黒澤の孤独の影を感じてしまいました。
こんなに悲しい場面はないと思ってしまいました。
「笑われもせず苦にもされず、私はこんな人になりたい」"なれはしないと知っているから、なりたい"と願った賢治の遺言と黒澤の願いが、私の中で重なります。

 黒澤は、「こんな風に死にたい」とこの作品を最後の作にしたように思えます。
この後に撮ったものは、私小説風のごくプライペートなものだけでした。
寂しさを包み隠した大団円、この作品をそのように見る人は少ないのでしょう。
「こんなものが黒澤の最後の作品なんて!」そう云う人の方が多いのです。
寂しいを解しない人々が、この国にはとても多くなってしまいました。
こんな世の中で年をとっていく私は、口の中に含む「もういいよ」を何時吐き出すべきなのか、深く深く胸を撃つ作品です。