狂宴の先
一瞬で目の前の光景は真っ白な世界に変わった。いや、目に見えていたわけではない。視界がそっくりそのままスウェラから消えたのだ。眼前に広がっていた炎に包まれた研究室はスウェラの世界からは消え失せ、代わりに何もない白が広がる。
四方八方どこを見ても光ばかり。まぶしい。スウェラにとって、いやガルグの民にとってはあまりに眩しすぎる。光の洪水に身が焼き滅ぼされる。
こんなところになど居れない。闇を。ガルグが何よりもいとおしく思う闇を早く。
見つけたのは光の果て。その、ある一点の闇をひたすらにスウェラは求めた。
ガルグは不死。しかし死に値する傷を負えば肉体は死を迎える。その間、精神はガルグが何より嫌う光の中に堕とされる。まるで全ての罪を、穢れを洗い流されてしまうかのような光の恐怖。
こんなところになど居ることはできない。ガルグの存在を真っ向から破壊するような光の中になど、居るわけにはいかない!
絶叫を伴ってスウェラは再び覚醒した。失った頭蓋が再構築されその崩れ果てた顎が形成されると共に声とならなかった雄叫びが悲鳴となる。
だが、再形成された鼻が、耳が、そして目が感じたもの。再び目の当たりにしたものは、白い世界と大して変わらない絶望の世界。
あたりには白煙が立ち上り、しかし視界を覆い尽くすほどではなく、ぎらつくほどの陽の光が燦々と降り注ぎ、その光景をスウェラに突き付ける。あたりには焼け焦げた機材だったはずの残骸や実験動物たちの死骸が炭となって蹴散らされ跡形も無くなり、まるで闇の獣たちが陽光によって焼き殺された後の惨状のようですらあった。
「なんということですの……」
破壊し尽くされたスウェラの、いやガルグの宝。跡形もなくなった、全ての知識。
「許しませんわ……。許しませんわザフォル!」
しかしもはやスウェラの絶叫に応える影も気配もない。あの男は全てを破壊し尽くし、どこへともなく消えていった。ガルグに、長ヴァシルに反旗を翻し、そして逃げたのだ。自分の犯した罪を認めることも無く、ガルグを裏切った。
こんなことをしてのけて、あの男はこの期に及んで飄々とどこかをうろついていると言うのか。許せるわけも無い。許されていいわけも無い。
「あの世の果てまででも追いかけてこの手で滅ぼしてやらなければ。ええ。全ガルグの使命としてあの男を追いつめなくてはなりませんわ!」
「ええ、その通りですよ、スウェラ」
突如として現れたその冷ややかな声に、スウェラは狂喜した。
「ああ、ヴァシル様!」
反射的に跪かざるを得なくなるほどの、畏敬。静かなる闇。太陽の日の下でも消えることのない闇の存在。まさしくガルグの長であるその人が、スウェラの前にたたずんでいた。
ヴァシルは普段静かにそして冷酷に、物事に取り乱したりはしない。けれどそのヴァシルもその時だけは煮えたぎる怒りを抑えきることはできないようだった。
「これは落とし前をつけてもらわなければならないでしょうね。スウェラ、すぐにも他の者を率いてあの男を追いなさい。我らを裏切ることがどういうことか、思い知らせてやらねば」
気押されるほどの感慨。鬼気せまるほどの殺気。ああ、これこそまさしく我らが指導者の奇跡。あのザフォルなど足元にも及ばない。
スウェラはすぐさま長の命を遂行するため号令をかけた。自らの配下だけでなく他のガルグの民にも呼びかけた。もとよりあの男はガルグの民の嫌悪を買っていた。誰もがあの男を追いかけた。これなら必ずやあの男も観念するだろうと確信していた。
実際何度も追い詰めることはできた。しかしその存在に迫ることはできても、誰もザフォルを仕留めることはできなかった。何度となく追跡劇は繰り返された。
一人、また一人と追跡から離脱するものが現れた。無駄だと悟ったのだろう。それに、研究の資料はすべてが灰と化したわけではなかった。わずかに残ったバックアップによって、再開できることが判明した。
もはやザフォルのことなど、忘れていた。そんなものにかかずらっているくらいなら、人間どもに復讐する手立てを皆求め始めた。
そんな中、一人の少年が気がついた。ザフォルを追う間、たった一人それに参加しない存在がいたことに。もともとその存在は長からの直接の命令で、常に単独で動いていた。だからこそ誰も、狩りに参加していないことに疑問を持たなかった。
しかしそれがいつの間にか連絡が付かなくなっていた。誰一人、行方を知ってはいなかった。長ですら。
その存在の名はアルスと言った。破壊者アルスと同じ名を持つ、一番新しいガルグの民。それはザフォルが生み出した、破壊者の欠片と言われる、破壊者アルスの魂の一部を持って生まれた少年だった。
何もかもしてやられたのだと言うことに気づくには、あまりにも遅く、そして重大すぎる事態だったのだ。
聖歴元年。それは、シーヴァンの民が女神シーヴァネアの加護の下、破壊者アルスと彼の存在が生み落とした闇の一族ガルグを打倒し、世界に平和がもたらされた年。
それから何千の年月が流れ、ガルグが雌伏の時を過ごす中で、一人の少年が誕生する。アルス・ガルグと呼ばれる少年は、ガルグの民であったザフォル・ジェータによって生み出されたと言う。
それがある日を境に行方知れずとなり、やがてサーレス・アルバと名を変えて、世界に再び現れることになる。
しかし、それはまだしばし先の話。彼がその後どうなるのか。そしてガルグと言う一族の行く末がどうなったのか。それはまだ、誰も知るところではない。
そう。誰も。