狂宴の先
「ああ、嫌ですわ。また失敗ですのね……」
自然とため息がこぼれた。
快楽と言うものは過ぎ去ってしまえばあっけない。今回の実験についてももう少し楽しんでいたかったというのが本音だった。スウェラにとっては久しぶりに得られた興奮だったのだ。
だが、愉しさ、というその感情が過ぎ去り、落ち付いていくごとに周りが見えてくる。成功の確率は確かに低かった。本来であれば到達不可能だと思われた最後の仕上げを欲張ったのも悪かったのだろう。結果は見ての通りの有様。見渡す周りの情況が、スウェラに一層のけだるさをもたらした。
「こうなってしまうとさすがに片づけるのが面倒ですわね」
実験台の上には残りの肉体が占拠している。檻まで飛び散った肉片は他の実験動物が始末してくれたが、それ以外のものは研究室中にも汚らしく飛び散っている。コレをどうやって片づけたものか、スウェラは頭を悩ませた。
いっそ実験動物たちをすべて解き放って、始末させてしまおうか。そう考えていた時。それまでスウェラと実験対象にされた男以外、人と呼べる存在はいなかったはずの部屋に、ふと別の声が響いた。
「手伝ってやろうかい、スウェラ嬢ちゃん?」
まるで皮肉を言うような調子の男の笑い声。声をかけられたスウェラは一瞬驚きに動きを止め、それからいら立ちを隠さずに振り返った。
「あら、これはこれはザフォル様、いらっしゃっていたのなら一声かけてくださればよろしかったですのに」
「そりゃ失礼。けど、目が笑ってないぜ、スウェラちゃん。実験中もそうだったが、今の顔も鏡で見てきたらどうよ?」
「……! 何を、おっしゃりたいのかしら。わたくしには理解できかねますわ……!」
言葉だけは穏やかに装ってやろうとしたのが馬鹿だったと、スウェラは思った。
言動も行動もすべてが一々かんに障る男だった。だが、それだけがスウェラをいら立たせる原因ではないことは、スウェラ自身が一番よく知っていた。スウェラにとって、すべての同族を支配するためには、この男こそが目の上のたんこぶであり、最も嫌悪する相手であった。
男はザフォルと言い、スウェラとは同じ一族、つまりガルグの民であった。しかも、ただの民ではない。破壊者アルスに最初に生み出された対の二体のうちの一体。つまり現状において唯一、一族の長と並ぶだけの力を持つ存在であった。
本来なら、この男も長ヴァシルと共に一族の崇拝を受けているはず。けれど、ザフォルはそうはなってはいなかった。ヴァシルや一族とは距離を取り、常に単独行動を好み、時折ふらりと現れては余計な騒ぎを起こして一族の統率を妨げる。口を開けばふざけているとしか言えない言動をする。
そして何よりスウェラがこの男を嫌う理由と言えば、この男こそが、本来ガルグにおけるのすべての研究の責任者だったという事実。今でこそスウェラがそのほとんどを引き継いで最高責任者となり得たが、この男が残した遺産には、スウェラには理解できない研究と、その成果が詰め込まれていた。
こんなのらりくらりとした道化のような男に自分自身の最大の専門分野でさえ適わない。それが、その事実が、スウェラのプライドを幾度となく打ちのめしてきた。たとえガルグの一族の者でなくともそんな男に、好意などを抱けるはずもなかっただろう。
もはや言葉を繕うこともせず、スウェラは言い放つ。
「それで、今日は何の御用でおいでですの? 用事がないのでしたら、実験の邪魔ですわ。お引き取りいただけませんこと!?」
「まあまあ、そうカッカしなさんなって」
しかしザフォルは手近にあった機材の上に腰かけ、そしてスウェラの感情などなんでもないかのようにタバコを吸い、よれよれの白衣をはだけながらくつろぎ始めた。
なぜこんな男に、ガルグの内部だけでなく自分自身の実験室ですら、我が物顔で居座られなければいけないのか。その不本意さにいらだちが募っていくものの、ザフォルを強制的に排除するだけの力も権限もスウェラにはない。結果として行き場のない怒りは廃棄物となり果てた男の残骸や、奇声を上げる実験動物たちへと向けられる。
「お前たちも少し静かになさい!!」
感情に任せ、高熱の黒い炎をスウェラは手から放った。それらは男の残骸を一瞬で溶解し、蒸発させ、そしてそこから飛び火した炎が一部の実験動物たちをも焼きつくす。部屋の中には、焼け焦げた肉や毛並みによる異臭が立ち込めた。
「ありゃ、結局灰にしちまったのか。かわいそうに」
タバコをくゆらせながら黙って見ていたザフォルが、その様にぽつりとつぶやいた。スウェラはその台詞に耳を疑った。
「はっ! かわいそう? ガルグの頂点に並び立つ御方の台詞とは思えませんわね。まるで、あの愚かな人間どものようではありませんの」
人間どもは他者を憐れむ。それはガルグの民には理解しがたい感情だった。むしろそれこそが人間を愚かだと思う理由だとさえ言えるほど。
他人がどうなろうと、ガルグの一族であればそんなことは絶対に思わない。人間どもがそんなことを思うのは、彼らが愚かで弱々しく、無力であるが故だ。
しかし自身もガルグの民であるはずのザフォルは、まるでその感情を理解しているかのように続けて言った。
「愚か、ねぇ。そういう風に言うおまえさんらの方が、哀れだと思うがね」
「哀れですって!? 聞き捨てなりませんわ!」
「そうかい? だったら何度だって言ってやるよ。それに、だからこそ女神の国に勝てやしなかったんだろうしなぁ」
「な……! 言うに事欠いて貴方は何をおっしゃいますの! わたくし達が人間の愚かさに、それゆえにあの女神、いいえシーヴァンの女王どもに負けたとでも、貴方はおっしゃいますの!?」
なんという暴言だろう。いかにザフォルといえども許しがたい台詞。むしろ、ガルグを本来率いる者であるはずだからこそ、認めるわけにはいかない、ガルグの存在を否定するような台詞だ。
しかしそれでもザフォルは断言する。
「負けただろ。おまえさんの言うその愚かな人間どもが『聖戦』と呼ぶ戦いで、俺たちの根本である始祖アルスを封じちまったんだしね。さっきの野郎の台詞にはおまえさんああ言ってたが、それが十分な鉄槌って言えると俺は思うがね」
「ありえませんわ! 結果はどうあれ我らはこうして存在しているではありませんの! それにアルス様だって、一時的に眠りにつかれたにすぎませんわ。わたくし達の力で間もなくよみがえられるはずなのですから!」
「よみがえる?」
ゾクッと、スウェラは背筋に寒気が走るのを覚えた。ゆらりと周りの大気までが揺らぐ。ザフォルがスウェラを見つめる。その目は、この男には見たこともないほど冷ややかだった。
「ああ、そうかもしれんな。とんでもない犠牲を払って、ヤツはよみがえるだろうよ。眠ってくれてた方が幸せだったかもしれねぇのに」
「な、何をおっしゃいますの……。あの方が目覚めるためならば、人間ごときの犠牲が、どれほどのもの……」