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「月傾く淡海」   第一章 最も旧き一族

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「--襲津彦さまを貶めるようなことを言うんじゃないわよ」
 倭文は幾分低い声で反駁した。
 実のところ、「葛城襲津彦」は倭文が最も尊敬する先人だった。その点でいえば、この奇矯な神への崇拝を遥かに上回る。
「それに実際、葛城は常に他氏族との抗争を繰り返してきたのよ。その度に傷ついたり、危機を迎えたりしてきたわ。……今の立場は、一番効率のいい方法だった。生き残るために……」
 そう言っている内に、倭文は現実を思い出して憮然となった。
 また今、この時、葛城は窮地を迎えたではないか。しかもよりによって、自分が(事実上)一族を率いなければならないときに……。
「……泊瀬の大王以来の後継のごたごたがやっとおさまり、葛城が立てた若雀の大王の後見として盤石を固めようという所だったのよ。しかも、これから后妃を送りこもうとしていたのに。あの大王は、皇子も皇女も残さないまま、死んでしまったじゃないの!」
 叫ぶと、倭文は乱暴に肩の髪を払った。
「間違いなく、これから宮殿は混乱を極めるわ。泊瀬の大王の時と同じよ。皇族には、もうめぼしいのが残ってないんだもの。……しかも、これを機に今まで葛城に反目してた連中が立ち上がるでしょうよ、きっと……」
 倭文は珍しく、腹立たしげにまくしたてた。
 --考えるだけで、気が滅入る。
 同じことが起こるにしても、何故先代や次代の時ではなかったのか。ほんの少しずれてくれれば、まだよかったのに。
「--一言主。……葛城は、どうすればいい?」
「……うーん。その問いには、答えたくない」
 一言主は、無邪気に無責任なことを言った。
「ふざけないで。あなた、葛城の託宣神じゃない。何か言いなさい」
「俺は葛城の地祇だし、葛城が好きだけど……別に、どうしても護らなきゃいけないとも、思っちゃいないんだなあ」
「ああ、そう……」
 一言主の返事を聞いて、倭文は力が抜けた。……いや、こういう奴だとは、知ってはいたが。
「でもおかしいじゃない、倭文? 俺が、お前を気に入ってるのはさ」
 一言主は倭文の顔を見て嬌笑を浮かべた。
「葛城の最も旧くて純粋な血を引いているとこ。人並み外れて武術の腕がいいとこ。結構綺麗な顔してんのに、わりと表情の乏しいとこ。恵まれてて期待されてるのに、あんまりやる気のないとこ。……この四つだぜ? それなのに、一族のために躍起になるなんて、らしくないよなあ」
「……私だって、面倒なことは嫌い。できるなら、放り出したいわ。でも、やりたくなくても、やらなきゃいけないときがあるよ、人間にはね」
 倭文は、自身に言い聞かせるように言った。
 弟に首長を任せた時は、まだ平和な時代だった。このまま順調に行けるだろうと思ったからこそ、後見に回ったのだ。
 だが、時流は思わぬ方向へ向かって傾き始めた。
 この難局をあの単純な弟に任せたままにすれば、間違いなく葛城は道を過つだろう。
 自分の生まれた一族が危機にあるというのに、知らん顔をしているわけにはいかない。
「ふううーん。……変なの」
 一言主はどうでもよさそうに呟いた。
 そして再び、眼下の盆地へその顔を向ける。
「……ねえ、倭文。ここには都があって、人がいて、食べ物や衣もあって……豊葦原の中で、人が欲しいものはなんでもある。--でも、一つだけ、この地にないものがあるんだ。何だと思う?」
「ここにないもの? さあ……」
「--淡海(うみ)だよ」
 一言主は鋭く言った。
「この地には、たゆたう水の護りがない。--それが、ただひとつ、けれど決定的にここに欠けているものだ。……ここで起こる全ての禍いは、その不均衡に原因がある……」 淡々と呟いていたかと思うと、一言主は急に倭文の方を向き直った。
 突如彼の周りに、威容に満ちた気配が漂う。
「--葛城の倭文姫。近つ淡海の国へ行くがいい……」
 一言主は厳然と告げた。
 その凄味のある声は、直接倭文の頭の奥へと響いてくる。
「湖国に、お前の求めるものがある」
「近つ淡海(ちかつおうみ)の湖国(ここく)……淡海の国……近江?」
 倭文は、一言主の言葉をひとつひとつ確認するように反芻した。
 近江は、山背の向こうの国だ。確かにそこには、巨大な真水の海があると聞いたことがある。
「……それは、言離(ことさか)? 葛城の一言主」
「--我は、悪事も一言、善事も一言に言い述べる神なるぞ」
 そう言うと、また突然一言主の雰囲気が変わった。
 彼は、倭文を嘲弄するように唇を歪める。
「俺は、託宣を下すだけ。どう判断するかは、聞いた奴次第さ」
「今この時に、私が葛城の地を離れる、っていうの?」
「それもいいんじゃねえ? さっき、逃げ出したいって自分で言ってたろ。それもまた、
一つの手さ」
「だからって……」
「葛城の首長は香々瀬だ。お前はただの王族、王の姉ってだけさ。--お前がどこで何をしようが、お前の勝手だろう?」
 枝の上で立ったまま腕を組むと、一言主は突き放すように言いきった。
「--決めるのは、いつだって人間さ。神はそこまで面倒見ねえよ」


(第一章おわり 第二章へつづく)