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結局昼過ぎまでいた明海を、バイトの娘が来たのを機会に駅まで送っていった。
「ああ、まだ朝ごはん食べてない」
LPの袋を振りながら明海はチラッと俺に視線を送った。
駅への道をそれて三多摩一二と評判の蕎麦屋に入った。
「レコード買ってあげたから驕りね」
「何云ってる。仕入れ値で持っていったくせに」
「わ、囲炉裏がある」
向かい席ではなく、二人並んで囲炉裏端へ腰を下ろした。
程なく木の御盆に載せてせいろとたぬきが運ばれてきた。
「このたぬき美味しいねー。病院でもよく食べるけど、問題にならないね」
味で知られた古い店のわりに店内の作りや品書きには気取りがなく、しかしBGMは筝曲、いつも同じ味を保っているというのが気に入っている。
「でも、うみがストーンズとは意外だった」
「そうね、再会した場所が文化会館だものね」
「モーツァルトの21番。第二楽章が始まるやいなや、二列前の右端でハンカチを取り出してしきりに目頭を押えている女性がいた。良く判っているなと関心していたら、どうも何処かで」
「見覚えあり?」
「そう、二年の教室と同じ席順だと気付いた時は、いやー、胸が高鳴ったよ。ものすごく久しぶりに」
「私だって。終って席を立ったら目の前にあなたが」
「久しぶり、としか云えなくて」
「私は、びっくりして何も云えなかった」
「何故あのコンサートに?」
「敏子がすきだったの。私はあの頃からRock女だったけれど、敏子は中学でブラバンをやっていて、最初はマーチやら課題曲ばかり聴いていたけれど、高校に入った頃から、ベートーヴェンやシューベルトを聴き始めて、特にモーツァルトのあの曲を良く聴いていたわ。誰かと付き合っていたのかも」
「......」
「ああ、ごめん。今日は雨降りじゃなかった。敏子の葬儀の日はどしゃ降で、雨の日はどうもダメ。この前はごめんね、シンミリさせちゃって。今日来たのはそれがずっと気になってたから」
「いいさ。大変だったんだな」
「ねえ、ところでさっきの話しオーケーって気付いた?怖気づいて冗談だったはナシだからね」
その次の明海の休みに、俺は店をサボって二人でアパート探しを始めた。