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視野の重なり

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 作業服は何のことだかわからぬまま取り残される。俺はとりあえず立ち上がって、もうドアから出て行こうとしている眼鏡について茶番の舞台を後にした。哀れみを請うような作業服の視線が背中に突き刺さってくる。定員オーバーなのだろうか、俺が体を傾ける度に狭すぎる階段は哀れみを請うような悲鳴を上げた。脚が少しばかり震えているようで、その音を聞く度に俺は何度と無くバランスを崩しかけた。下りきって下の詰め所、現場から帰ってきたらしい作業着の一団が詰め所の真ん中の応接テーブルに群がって煙草を吸っている。眼鏡は彼らを無視してそのまま玄関まで早足で進む。自動ドアを滑り抜け、行き着く先は石ころだらけの駐車場、不器用に頬を歪めて笑いのようなものを浮かべると、背広の内ポケットから財布を取り出して千円札を二枚俺の手に握らせた。
「まあ、結果は何とも言えない……と言うか、うちの会社はワンマンな所があるから。まあ、たぶんもう少ししたら連絡しますから、今日はこれくらいで勘弁してやってください」
 ようやくのどに支えていたことを吐き出してさっぱりしたとでもいうように、眼鏡は無愛想に背中を向けると事務所の中へ消えて行った。
 茶番の後、あれほど荒んで見えた地面の一欠片すら思わずひれ伏してみたくなるほど愛しく、懐かしく見えるような気がする。やけに軽く感じる腹を気にしながら、薄汚い門柱を通り抜ければ、先ほど代わりののないはずの産業道路が目の前に飛び込んできた。割れたアスファルトからは、枯れかけの雑草が伸び放題に伸びて、ただひたすら帰って眠りたいという衝動によって動かされている足を時に押しとどめようとする。だが俺は無理に同じベースで歩道もない、本道を歩き続けた。鉄柵や金網や、放置された鉄骨や積み上げられた土管。これらの時代の忘れ物の間を、薄汚い事務所の群が塗りつぶすのに懸命な埋め立て地。日の光りが煤で濁った雲の間からこぼれ落ちてくる。きっと人から見れば眼にゴミでも入ったかのようにもとれるように、俺は何度となく乾燥した瞼に指を擦り付けた。その間も俺の足は止まることを知らない。顔を上げて、急に視界が開けたと思えば運河。そしてその脇には代わり映えのしないだだっ広い道が飽きることもなく続いている。それを横切ると、貨物の引込み線の脇にある歩道のようなものの上へ辿り着いた。そこには三台ほどの営業車両が忘れられたように止められ、その脇では背広姿の営業マンがなにやら談笑に花を咲かせていた。奴らは俺の姿を見かけると一様に顔を顰めて、そのままそれぞれに小脇に持った書類ケースや、携帯電話を取り上げて軽くお互いに挨拶もそこそこに、車に飛び乗って走り去って行った。俺とともに彼らに置いてけぼりを喰らった倉庫の群は巨大に過ぎた。果てしなく続くかと思えた引込み線は、本線へ合流するために俺を見捨てて高架の上へと消えて行った。俺は道端に置き去りにされた苔の生えたライトバンのように途方に暮れつつも、そのまま高架沿いの道を進むことを選んだ。地響き、そして警笛。一瞬視界が曇り、そして晴れて、その先にはまたコンテナーターミナルの大きすぎる影。俺の脇では背の高さを優に超えるようなアワダチソウが風にそよいでいる。小人になっていた俺は急ぎ足でかすれきった横断歩道の上を通り抜けた。視界の果てには電機会社の研究棟が俺の視界を遮るように突っ立っている。俺の足ははじめからわかっていたとでもいうようにその隣の未整備地区、轍の目立つ草むらの中を突っ切って行く。地面に白いものが目立つのは、貝殻だろうかそれとも腐った紙切れだろうか。
 草むらが途切れて現れたのは何の変哲も無い住宅街だというのに、俺には立ち入るのが躊躇された、建て売りの規格の表情のない一戸建ての密集した小道の上、太陽は何処へ行ったのか分厚い錆色の雲に覆われている。間遠に吹く風は道端のプラタナスの梢を通り過ぎたままの姿勢で俺の頬を撫でる。寂しげな通路といった風情の十字路には、車の影どころか人通りもなく、人影は偶にベランダに干してある洗濯物でも取り込もうという主婦が顔を出すくらいだ。右の足を踏み出せば、がらんどうの町にこつんと音はこぎみよい音が響く。さもそれが当然というように立ちはだかる高層マンションの間を通り抜けてメインストリートの振りをしている皐の生垣の続く大通りに出れば、その音に誘われたように小型車や軽自動車やらが、夕方の雀さながらに群れて俺の目の前を走り去る。道はどこを向いてもただ一点、貨物船に無理に取り付けられた薄汚れた駅に向かって延びている。人々はそれぞれに駅から遠ざかり、そして駅へと向かう。そんな彼らを後目に空はトーンを落とし続け、影のような雨粒が俺の後頭部を軽く叩いた。自転車の主婦は車から降りて、買い物籠から折り畳み傘を取り出す。まあ別にそれは人の話だ。女子高生がアーケードに駆け込む。さすがにこれは少しばかり工夫をしなければなるまい。俺は歩道に乗り上げて止められた軽自動車を避けながらアーケードばかり派手な商店街の中に駆け込んだ。洞窟じみたその中には個人商店の群。客はすべて視界の果てのスーパーに向かって歩いて行く。そんな中、海よりの工場の群から来た買い出し部隊だろうか、上っ張りの若い女子事務員達が花屋の前で立ち話をしているのが見える。すべてが流れる通路に、まるでどぶ川の杭に引っかかったゴミ袋といった格好で早引けの白髪のサラリーマンが白い眼で睨みつけているのも気付かない振りをして、アーケード一杯になって二、三人群を作りつつ雑談に花を咲かせている。俯いて彼らの手にするつるされたビニール袋から飛び出している模造紙をへし折らないように注意しながら通り抜けようとした。弾みがついて見上げればその中の一人が俺に頭を下げている。仲間の輪から少し離れてただじっとデッドストックとなったゴムの木の葉を丁寧に撫でている。よくその表情を観察しようと眼を凝らすと、それを避けるように向こうを向く。そんな俺の動作がいかにもわざとらしく見えたのか、ソフトクリームを持ったその中のリーダー格とでも言った女がいかにも迷惑そうな視線を俺のほうに向けてくる。俺はそれに向かって答えるという訳でもなく通り過ぎ、彼女達の視線を避けるべくアーケードに沿って道を折れ曲がると、目の前の喫茶店に転がり込んだ。
作品名:視野の重なり 作家名:橋本 直