小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

アンジェラ

INDEX|1ページ/6ページ|

次のページ
 

 ── 1 ────

 十一月ともなれば景色が精彩を欠いてしまう海岸線の小高い岬に、その背に失われた翼の痕跡だけをなごりにする、ひとりの少女が暮らしていた。彼女は背の高い白髪の老人とともに暮らしていた。ふたりが血族にあったのかは定かではないが、彼らは岬の突端に古くから構える石造りの邸宅にいつの頃からか移り住み、入り江に栄えた港町からはどこか疎隔した、ふたりだけの生活をそこでおくっていた。
 少女は華奢であり肉体の魅力には乏しいといえ、人形のように美しい。老人は常に銀縁の眼鏡を鼻に掛け、表情に乏しく、そして彼が膝にのせる書物のように寡黙であり、けれどそのことを実際に知る者は、少女の他に少なかった。少女はリアス海岸の岸壁に沿う小径を下っては、港に肉類や葉野菜を買いにあらわれた。冬には修道女のような装束を、皺や一切のほつれをみせず着込んでいた。夏には袖なしのワンピースに日除け帽という格好で、たとえその一日が海の凪ぐ蒸し暑いものとなったとしても、必ず薄生地のショールでその細い肩を隠していた。
 邸宅でのべつ変わらないふたりの生活は、およそ簡素なものだった。窓から見渡せる水平線と、ふたりが読み進める活字のなかに、そのすべてがあるとしてよかった。ともに各々の部屋の窓際で、格子の影が掛からない場所をえらんでは、それぞれがそこに木椅子を置き、窓外の柔らかい輝きでページを照らしながら書物を読んだ。老人は古い歴史家の書き記した長大な戦史を読み進め、終いまで読んでしまうと、ふたたび始めから読みはじめた。少女が好むのはそれ以前に記された神話ばかり。生い立ちの記憶でさえ失った彼女はそう、神話のなかで生きているとしてもよいくらいだった。
 書物のなかの神々の世界、そしていつの頃から繰り返されているここでの暮らしの他に、彼女には慣れ親しむことのできるものが無かったに違いない。あの細い小径を下ってゆき、食料の買い出しで町の人々と接したとしても、彼女にはまるでそれら一つひとつの面持ちが、自分とはなんら関係のない人たちのものに思えたのだった。彼女は決してそのことをくちにしないが、こうして共に暮らしているあの老人、いまだ逞しさすら感じさせる体躯の持ち主であるあの老人でさえ、その点では同じといってよかったのだ。ここでの暮らしはまるでそう、初巻の失われた書物の下巻、まるでその書き出しといって差し支えないものだった。彼女がこの下巻を書き出すにあたり想起とするものがあるのだとするならば、それは彼女自身の蒼白な背に残された、翼の痕跡だけだったに違いない。
 老人が午睡に就くのを見はからって、彼女はその痕跡をこの日もまた確かめるのだった。胴着を肩から滑らせると、胸を隠すように前に抱き、窓際の壁に掛けられた姿見にその背を押しつけるように近づいて、前に持つ手鏡のなかを真剣に覗き込む。合わせ鏡に映るものは、生え替わりで失われた鹿の角、その基部にあるものにどこか似ていた。力を込めると左右それぞれが自在に動いた。そしてそのことを意識するとそれからは、部分にむず痒さのようなものが残るのだった。少女はそれをまるで悪しき疾患のように、それでいてなにか神聖なもののように眺めては、うっとりとした面持ちになる。胴着を背負うように着なおすと、その美しい顔を姿見に映し、ゆび尖でくちびるを撫でるような、そんな悪戯な仕草にする。
 どれほど心を抑えたとしても、少女はきっとそのことを、いつの日か思い描きはじめるに違いない。わたしは翼をもぎとられた天使なのだ。かつてはこの地上ではなく、眩い煌めきに包まれる、天上の楽園で暮らしていたのではないか。どうしてこの翼は失われてしまったのだろう。わたしは地上の者にこの身を射られ、翼をもぎとられてしまったのではないか。あるいはこの現実はひとつ罰であり、それに値する大きな罪を、どこかで犯してしまったのではないか。
作品名:アンジェラ 作家名:さかきさい