小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

確率二十パーセントのモノクローム

INDEX|1ページ/3ページ|

次のページ
 



 俺は今とてつもなく混乱していた。もし誰かに「いったい何に混乱しているのか」と問われれば、俺は「なんかもう全部」という答えを返すだろう。つまるところ、言葉に出来ないレベルで俺の脳内はひっくり返っていた。
 二度、まばたきをする。目の乾燥を防ぐためではない、自らの意思によるまばたきは、本来ならば必要のない僅かな時間を作り出すためのものだ。その一瞬の間に出来ることなど限られているだろうが、とにかく今の俺には時間が必要だった。一秒にさえ満たない時間だろうと、日常に欠かせない行動を自らの意思で起こすということ自体が、俺の混乱を少しずつ緩和していくような気がするのだ。
 まばたきの合間に、眼球をくるりとまわして視線の方向を変えながら、今の自分の状況を確認する。後頭部が抱える鈍い痛みを無視して、つい十分程前にかたい床の上で目覚めた体をゆっくりと立ち上がらせた。
 状況確認、まずは場所から。とりあえず、俺が今いる場所は、六畳ほどの小さな部屋だった。床、壁、天井、すべてが濃い灰色のコンクリートで、鉄格子のはまった小さい正方形が窓代わりだ。電灯は天井に備え付けられた蛍光灯が二本、しかしそのスイッチは見当たらない。結局、外の様子を見ることさえ叶わない高さにある窓のほかには、異様な存在感を放つ鉄の扉と、部屋の隅に置かれた黒い箱があるだけだった。この部屋の唯一の出入り口である扉は、まぁ予想はしていたがしっかりと施錠されていた。
 俺は立ち尽くした。自分の記憶を漁ってみても、こんなコンクリート打ちっ放しの部屋には覚えがない。おそらく俺は、自分の意思でここに来たわけではないのだろう。
 しかし、記憶にないはずのこの部屋の中で、俺は今から約十分ほど前に目を覚ました。俺の交友関係の中でこういう部屋に住んでいそうな奴は一人もいないし、何よりこの場所は人間が住むには何も無さ過ぎる。だいたい、寝る場所がコンクリートの上なんて、三日後には体中が悲鳴をあげるだろう。
 混乱に満ちた脳内が、僅かな情報を頼りにして少しずつ答えを生み出していく。シナプスとシナプスが連結し、思考がゆっくりと巡っていく感覚。人間を生物の頂点へ至らしめたその頭脳は、いかなる状態に陥ってもその役目を怠ることはしない。
 そして、数分間じっと体の筋肉に命令を送ることなく思考に没頭していた脳がはじき出した答えは、「もしかして、俺、誰かに誘拐されたんじゃね?」という、出来ることなら覆って欲しいと願わずにはいられないものだった。
 混乱は未だ続いている。身体は自由に動かすことが出来るが、後頭部には鈍い痛みがあった。おそらく、俺をここに連れてきた誰かに殴られたのだろう。その衝撃で意識を失った俺は、気絶したままこの部屋に放り込まれたのだ。扉と窓と黒い箱、それ以外に何もない部屋。住居としてはあまりにも不適切なこの部屋は、十中八九どこかの倉庫だと思われる。一瞬、SM専門のラブホテルという考えも浮かんだが、それにしては清掃用の排水溝が見当たらないので、その線はなさそうだった。
 正規の出入り口にはしっかりと鍵がかかっており、当然だが内側から開錠はできない。頼みの窓は、百七十五センチ以上ある俺の背でも届かないほど高い位置に作られていて、指をかけるだけで精一杯だった。しかし、万が一届いたところで、縦横僅か二十センチほどの窓では、たとえ鉄格子が外れたとしても外に出ることは叶わないだろう。
 蛍光灯の無機質な白い光と、小さな窓から覗く陽光。外界から差し込まれる光がある以上、時間は昼だと考えていいだろう。朝にしては日差しが強いうえ、そこまで空腹を感じていない胃を思えば夕方近いとも思えない。腹具合と気だるさから考えて、俺が殴られてから一日以上経過しているということはなさそうだった。
 そして結論に至る。やはり、視界から得た情報からすると、俺は誰かに攫われてしまったという推測が一番自然に思えた。
「意味わかんねぇ」
 無意識のうちに呟いた言葉は、自分でも驚くほどに狼狽していた。掠れながらも裏返った声色が、今の俺の心中をありありと表現していた。
 そもそも、俺はここに連れて来られる前、いったい何をしていたのか。混乱のあまり思考からすっ飛ばしていたそれを、自らの記憶を漁るようにして引っ張り出す。誤って暖炉に放り込んだ指輪を灰の中から探すかのごとく慎重に、しかし早期解決を求める俺の意思に従って性急に、該当する記憶を探した。
 脳内の映写機が、巻き戻しと早送りを繰り返しながら、記憶という名の映像を映し出す。五月十五日、水曜日。ご丁寧に日付まで掘り起こされて、そういえばそれは今日の日付だと思い出した俺は、古い映画館の映写機が映すような不鮮明な映像を脳内のスクリーンで再生した。
 野球のハイライトのような感覚で呼び起こされた記憶。後頭部がじくりと痛んだが、それに構う余裕はなかった。
 ここに連れて来られる前、俺はいったい何をしていたのか。その問いに対する答えは、しっかりと俺の脳内に存在していた。そして、その行動に至った理由も。
「……そうだ。俺は、たしか、」
 思い出した。ゆるゆると引っ張りあげられた記憶。それは、――絵のコンクールで入選を逃して、友人に馬鹿にされ、教師に諦めを勧められ、親父に笑われ、お袋に失笑され、彼女にふられ、教科書を借りパクされ、携帯をなくして、それらのことが僅か一日の間に起きたことですべてが嫌になってうっかり十二階建てのビルの屋上から地上を見下ろしてしまった、自分の姿だった。
「……俺は、死のうとしたんだ」
 鉄の扉を凝視しながら、ぽつりと呟いた。