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「聖バレンタイン・デー」

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 完璧に堕ちてたはずだ。
 それなのに。
 「本当に驚いた」
 身体に影響を与えられるほど強力な暗示の支配を、いったいいつの間にどうやって解いたというのだろう。
 「バーカ」
王子は拳銃を投げ捨てて、克紀に向かって舌を出し、
「俺が天ちゃんに傷つけるわけないだろ」
誇らしげに言い放った。
 「それはまたやる気の出ることを言ってくれる」
 克紀はようやく手元のガラス片に気づいて足下に散らばる破片の中に投げ捨てた。
「不用意に逆らうと自分の身体に傷を負うよ」
かしゃりとガラスが音を立てる。
 「…あ」と、声を上げて王子は光の身体に手をついた。
 「松本」
 光は王子の身体を支えて身を起こした。
 「ほらそんなに傷だらけになって」
 克紀の声に王子の身体が反応する。襟元から覗く首筋や手の甲に赤くみみず腫れが浮かぶ。
 「聞くな」
 光は王子の頭を抱いて耳を塞いだ。
 「不思議だな。暗示は効いてるのに」
 首を傾(かし)げる克紀を光は睨みつけた。
 「こいつも言ったろ。こいつが俺に傷をつけることはないって」
 「どうして――」
どうしてそんなことが言える。自身を傷つけるよう命じたなら間違いなく従ったはずだ。他人のためにどうしてそこまで強く――。
 「ムダに一年タダメシ食わせてないさ」
 光は王子を抱えて立ち上がった。
 「天ちゃん腹減ったぁ」
腕の中で王子がか細い声を上げる。
 「犬でも三日餌を与えれば恩を忘れないというが――――面白い、松本王子」
 部屋を出て行く二人を克紀は楽しげに見送った。
 「天ちゃん、俺、頑張った」
「ああ」
「チョコくれる?」
「ああ」
「手作り?」
「ああ」
「うわあい」
嬉しそうにばんざーいと手を挙げる王子に、今日ばかりは感謝せずにはいられなかった。
 ――今日がバレンタインでよかった――――。何かを食わせる以外に王子を喜ばせる方法を知らない光は、心底そう思った。