魔術師 浅野俊介4
(なんて精神力だ!)
浅野は思った。沢原は悪魔の誘導に必死に逆らっているのだった。誘導されたままだったら、側壁に激突して今頃は沢原も浅野も命を落としていただろう。
ブレーキを踏みっぱなしのため、焦げくさい臭いが充満している。止まるが早いか、車が爆発するのが早いか…。
浅野は意を決して、額に人差し指をかざし、強く念じた。
リュミエルとキャトルがそれぞれ檻に封印されている姿が見えた。
(なるほど、あの女!…頼む…リュミエル、キャトル…力を貸してくれ!)
浅野は一筆書きで、自分の前の空間に六芒星を書いた。そして人差し指を額にかざし、
「召喚!」
と叫んだ。すると車の前にキャトルの獅子が現れて、車を炎の体で包み止めた。
沢原が運転席から降り、浅野に手を差し出した。浅野はその手を握って、引っ張られるように車を降りた。
上を見上げると、女がリュミエルの手から出された帯に巻き付かれもがいていた。
「リュミエル!帯を切って離れろ!」
リュミエルは浅野の言う通りにして離れた。
浅野は女に向かって五芒星を一筆書きし、人差し指を額にかざすと「封印!」と言った。
女はもがいた。簡単には封印させようとはしなかった。
「くそ!どうすればいい!」
浅野がそう歯ぎしりした時、カーナビのテレビから圭一の歌が流れてきた。エンジンは切れていなかったようだ。
圭一は「アメイジンググレイス」を歌っている。
女の様子が変わった。力が抜けて行くように動きが緩やかになっていた。
「!!」
浅野は車に入り、カーナビの音量を上げた。
圭一の清廉な声が響いた。
女はとうとう動かなくなった。
浅野は五芒星を引いた。そして人差し指を額にかざし、
「封印!」
と叫ぶと、女が消え、リュミエルの帯だけがするすると落ちてきた。
「やった…」
浅野がその場に膝をついた。
沢原が驚いて浅野の傍にかがんだ。
「大丈夫ですか!」
「ええ…」
浅野は息を切らしながら答えた。
子猫に戻ったキャトルが、沢原の車の上で箱座りをして、あくびをした。
小さくなったリュミエルはそのキャトルの背に倒れ込むように乗っかっていた。
……
翌日、ニュースらしいニュースもなかった。
沢原は「あれ?」とテレビを見ながら呟いた。
昨日、何かあったような気がするのだが…。
「何か夢見たのかな?」
沢原は首を傾げた。
携帯電話がなった。
恋人の未希からだった。
「はいはい。…ん、構わないよ。今から車でそっちに向かうから。で、昨日は同窓会どうだった?口説かれたんじゃないか?…なかった?…嘘だろう?…わかったわかった…とにかく今から迎えに行くから。」
沢原は笑いながら電話を切った。
……
沢原は車の運転席のドアを開いた。
「!!そうだ!!」
沢原は助手席側に回った。
「?あれ?」
助手席側のドアには、傷一つない。
「やっぱり夢か…。浅野さんがマジシャンだからって、ファンタジーな夢見ちゃったなー。」
沢原はシートベルトをつけ、サイドブレーキを下ろすと、車を発進させた。
……
対して、浅野は自宅でぐったりとベッドで体を横たえていた。
「神経が持たん…。」
浅野はそう呟いた。
多分、あの悪魔の女は誰かに召喚され、浅野の命を狙ったのだろう。
ちなみに悪魔と魔女は別物である。悪魔は基本的に性別はないので、女の形をした悪魔というのが正しいだろう。
(沢原さんには悪いことしたなぁ…。)
悪魔の誘導を振り切るなんて、よほどの精神力がないとできない。普通は意識を奪われるはずなのだ。
「お礼を言いたいけど…言う訳にもいかないしなぁ…」
そう浅野が呟いた時、呼び鈴が鳴った。
浅野は起き上がらなかった。
人差し指を額にかざした。
「転送」
そう言うと、ベッドの傍に、キャトルを抱いた圭一が現れた。
「びっくりした!」
圭一が言った。浅野が力無く笑った。
「昨日…大変だったそうですね…。」
圭一が言った。肩にはリュミエルが座っている。
「ああ…。でも君の歌のお陰で、なんとか封印できたよ。」
「そうですか…」
圭一が少しほっとしたように言った。
「浅野さん、何か食べましたか?」
「うんにゃ」
「じゃ何か作りますよ。待ってて下さいね!」
「はーい」
圭一は浅野の呑気な返事に笑いながら、部屋を出て行った。
リュミエルとキャトルが、浅野の枕元に残っている。
「君らも疲れただろう?」
リュミエルがうなずいた。キャトルは「にゃあ」と鳴いた。
「ほんと助かったよ。封印を解く自信なかったけど、君達の助けがあったお陰で解けた。俺はマスターでもないのに、ありがとな。」
リュミエルがぷいと横を向いた。顔が赤くなっている。照れ臭いのだろう。キャトルは嬉しそうに「にゃあ」と鳴いた。
「…でも…圭一君の歌は、本当の悪魔まで癒すんだなぁ…。本人が気づいてないのが、またじれったいけどな…」
キャトルは「にゃあ」と鳴いた。
「お前はすぐ寝ちゃうじゃないか…」
浅野が笑った。
その時、玄関の方から圭一の声がした。
「浅野さーん!買物行って来まーす!今日ハンバーグでいいですかー?」
「圭一君の手作りかい?」
「もちろんです!食堂より美味しいの作りますよ!」
「よっしゃー!気をつけてねー!」
「はーい!」
玄関が閉まる音を聞いてから、浅野は「あーあ」と言った。
「この穏やかな時間、いつまで持つのかな…。」
リュミエルとキャトルが一緒にため息をついた。
(終)