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たかむらかずとし
たかむらかずとし
novelistID. 16271
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遠いどこかの6分21秒(10/22更新 静帝短編集)

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レモンの午後




 静雄さんは時々レモンの匂いがする。
 もしかしたらレモンじゃないのかもしれない。
 柑橘系の、苦いような、甘いような匂い。
 煙草と、レモンと、どこか甘い匂い。
 静雄さんの匂いが、する。




「…あんだよ」
 静雄さんが笑いを含んだ声で僕の首の後ろに触れる。
 僕は静雄さんの肩に顎を乗せて深く息を吸う。
 静雄さんの匂いがする。
 煙草の香りは髪から。
 レモンの匂いは首筋から。
 甘い匂いは、…どこからだろう。
 向かい合って抱きついて、僕よりはずっとがっしりしてるけど、でも太いとも言えない、ごつごつとした腰に足を巻き付ける。
 かかとで背骨の尖りを撫でる。
 いてえよ、と静雄さんが笑う。
「痛いわけないです」
「お前な」
 静雄さんの指が僕の頸椎をこんこんと叩く。音が脳へ響く。ちょっと不快。うう、と口の中で呻くと、指が宥めるようにそこを撫でる。
 僕はまた息を吸う。
 匂いがする。
「だからよ、」
 静雄さんは今度は不思議そうに呟く。
 僕は顎を乗せたままぱくぱくと口を開け閉めしてみる。
 かつ、かつ、こつ。静雄さんの肩の骨と、僕の顎の骨がぶつかる。
 頭蓋に音が響く。
 ちょっと面白い。
「だから痛えって」
 腰に回っていた静雄さんの腕がひょいと僕の頭を掴む。静雄さんの掌は僕の頭をほとんど掴めるぐらいに大きい。ちょっと大げさだけど。
 静雄さんは薄いガラスでも掴むみたいに、そっと僕の頭に触れる。時々、彼は僕が酷く壊れやすいものだと思っているんじゃないかと思う。間違いではない、少なくとも静雄さんと比べたら。僕は髪の毛越しに静雄さんの掌の熱を感じる。気持ちいい。
 静雄さんは僕の頭を掴んで、顎を浮かせると、今度は鎖骨の辺りに当たるように下げてしまう。僕の大して高くもない鼻でも、むぎゅとちょっと潰れる。
「…鼻なくなっちゃうんですけど」
「おう、かわいいだろうな」
「何言ってんです」
 静雄さんがくつくつと笑う。ちょっと不愉快。口を開けて鎖骨を噛む。シャツがあってうまくいかない。レモンの匂いがする。レモンと、ちょっと煙草。
「おい、シャツなんかうまくねえぞ」
 静雄さんは背骨をなぞる。僕はあむあむと静雄さんの鎖骨を噛み続ける。歯に骨の感触。薄い皮膚の感じは分からない、シャツがあるから。シャツなんかなきゃいいのに、と思わないでもないけれど、まだちょっとそんな時間じゃない。
 僕はまた息を吸う。レモンの匂い。
 静雄さんの匂い。
「みーかーどー」
 静雄さんが言う。
 ちょっと困惑気味。
 いいにおい。
「静雄さん、いい匂いがします」
 あ、と静雄さんが呟く。
「いい匂い…」
 静雄さんはあああ、と溜め息のような声をつく。
「何の匂いだろう。静雄さん、香水つけてます? 柑橘系の、」
「あのな!」
 静雄さんは僕の脇に手を入れてがばりと持ち上げる。
 ソファに座った静雄さんを、つり上げられた僕はぱちくりと瞬きをして見下ろす。親指が肋骨の上の方に当たる。思わず声が出そうになる。眉をひそめると静雄さんは余計にうめいた。
「ああああ、もう! 帝人、お前な!」
 一瞬の浮遊感。
 強い腕が僕を抱く。今度はからだの真正面。横抱きにされて、尻の下に固い腿を感じる。
 キス。
 息継ぎを許された時にはソファが背の下にあった。
 目尻にたまった涙を静雄さんの指がぬぐう。
「いい加減にしとけ」
 キス。
 蛍光灯を遮って、静雄さんの影が僕の視界を埋める。
 その目はとろりと欲望に溶けている。
 藪蛇。
 僕は腕を伸ばして静雄さんの首を引き寄せ、その匂いを吸い込んだ。




「いいにおい」
「……お前な…」


 

 時間のことは、とりあえず忘れてしまおう。
 午後一杯、僕はいいにおいを楽しむことに決めた。