祭りのあと
「あ〜〜あ。そば屋なんて因果な商売ね」
「その愚痴がでたら、もう限界ね」
帰った客のどんぶりを片付けながら愚痴るあかねに八重が笑いながら言う。
「そうだねぇ」
と、板前の菊地が厨房の奥から相づちを打った。
「なによぉ。菊さんだってお祭り好きじゃない」
「まあね」
老舗のそば屋の娘あかねは祭りが大好きだ。けれど、祭りともなれば店はかき入れ時。御輿や山車にくっついて歩くヒマなどとうていありはしない。
「あかねちゃん。ちょっとヒマになったから、見てくれば? こっちはやっておくから」
同い年のいとこ八重は、ふだんは都会で働いているが、かならず祭りの時期になると手伝いに戻ってくる。
おそらく、あかねよりもこの商売が好きで、合っているのかもしれない。
「まったく、そば屋の跡取り娘だっていう自覚がないのかね」
あかねの母親が呆れてつぶやいたが、あかねは聞こえないふりをして、
「ほんと? 八重ちゃん。ありがと!」
と、そのことばをまってました! とばかり、さっさとエプロンを外すと、店から出て行こうとした。
そこへちょうど数人の祭り装束に身を包んだ男たちが入ってきた。
「お、あかね。祭りに行くのか?」
その中の一人、浩二が声をかけた。
浩二はあかねとは同級生で、高校までずっとクラスが一緒だった。しかも、二人は何かというと口げんかをしていた。
「相手がいるのか? いないんだったらおれが……」
「おあいにくさま! つきあう相手はいっぱいいるから」
浩二が悪態を言い終わらないうちに、あかねはぴしゃりと入り口の扉を閉め、外に出た。
まわりにいる浩二の仲間はくすくす笑っている。
「ふたりとも素直じゃないんだから」
八重が菊池にこっそりささやくと、菊池も納得したように腕組をしてうなずいた。
「八重ちゃん。まずビール」
浩二が言った。
「おまえ。彼女ほっといていいのか?」
仲間の一人が浩二に言うと、ほかの男たちも口々に言い出した。
「好きなら好きって言えばいいのに」
「じょ、冗談じゃない。あんなおてんば」
すでに酒を飲んで赤い顔をしていたが、ますます赤くなって、浩二はさかんに否定していた。
威勢よく飛び出してきたあかねだが、ひとりぼっちで祭り囃子を聞くというのもさびしいものだ。
連れになりそうな友だちの姿を探したが、あいにくみつからない。
そうなると、やけにカップルが多く見えてきて、ますます気が滅入ってきた。
「母さんは、わたしと菊さんを一緒にさせようって魂胆なのよね。それで店を継がせようって」
まだ母から話は聞かされていないが、毎日一緒に店に出ていれば母親の考えていそうなことはよくわかる。菊池はあかねより八つも上だが、性格がいいのは十分承知している。
(でもね……)
あかねはほうっとため息をついた。
(菊さんが好きなのは八重ちゃんなのよ。八重ちゃんだってたぶん……)
そうなのだ。菊池はいい人で、あかねのことを妹のようにかわいがってくれる。だが、それ以上では決してない。あかねにしても同じだった。兄のように慕ってはいるが、それ以上の感情などもてないのだった。
「あ〜〜、だめだめ。浴衣でも着ないと気分がでないわ」
あかねはきびすを返して家に戻った。店の脇を通って玄関へ向かう途中、先ほどの客の声が聞こえてきた。
「で、浩二。おまえいつ出発するんだ?」
「うん。この祭りが終わったらすぐなんだ」
「なんだ? どこに行くんだ?」
「オーストラリア」
(え?)
一瞬、あかねはどきっとした。
(なに? あいつ。なにしに行くの? オーストラリアだなんて)
思わず、耳をそばだてた。浩二の声は聞こえない。まわりの男たちが話を進めている。
「漁業の研修だよ」
「へえ。そりゃすごい。で、いつまで?」
「三年くらいだよな。いや、向こうで嫁さん見つけて一生かも」
と、ひときわ大きな声で言ったのは、同じく同級生の義治だった。かなり酔いが回っているようだ。
(さ、三年も?)
あかねは自分が動揺していることに疑問も持たず、立ちつくしていた。
「あら。あかねちゃん。もどってきたの?」
その時店の勝手口から出てきた八重が声をかけてきた。
「あ、うん。やっぱり浴衣着ようと思って。走ってきたら息が切れちゃって……」
あかねは立ち聞きしていたのを悟られないように肩を大きく動かした。
「そうよね。やっぱり」
八重は笑いながら大きくうなずくと、干してあったザルを手にとると、勝手口から厨房へ戻った。
あかねは急いで玄関に回り、二階の自分の部屋に行くと浴衣を引っ張り出した。
そして手早く着付けると、鏡に映った自分の姿を見た。
「わたし……なにやってるんだろ」
そば屋という商売が決してきらいなわけではない。でも、このまま親のあとを継いでそっくり店を任されて安穏と暮らして行くことに少なからず疑問があった。
かといって何かやりたいことがあるわけではない。
母の思うとおりに板前の菊池と一緒になるのがいいのだろうか──いや、よけいな苦労などせずにすむことを考えたらそれが一番いいことなのだ。
結婚なんてまだまだ先だと思っていたが、今年は二十六歳になるのだ。自分はよくてもまわりは放っておいてはくれない年だと言うことも十分承知している。
「よう。あかね」
浴衣に着替えて再び外に出たあかねは、通りにでたところで、店から出てきた浩二と鉢合わせた。
「毎度ありがとうございます」
あかねはわざとらしく、営業スマイルで言うと足早にその場を離れようとした。
ところが浩二が腕をつかんだ。
「待てよ。一緒に行こうぜ」
「やだ。やめてよ、ヨッパライ」
「おれは酔ってなんかいないぞ」
山車が移動しているらしく、だんだんと囃子の音が小さくなっていく。と、かわりに、御輿の謡が聞こえてきた。
「お。来た来た。あかね。おれの勇姿を見せてやる。余計惚れるぜ」
言うが早いか、浩二は御輿の方へ駆けていった。
「ば、ばかじゃないの! だれがあんたなんか」
浩二は御輿の真ん中に陣取った。
「せいや! せいや!」
浩二が発するひときわ大きなかけ声に呼応して、担ぎ手たちは一斉に御輿を持ち上げた。
ひとしきり高く御輿を掲げてから、再び担ぎ出すと、今度は浩二が歌い出した。
さっきの担ぎ手の声よりもよく通る。いい声だとあかねは思った。が、すぐに打ち消した。
(だめだめ、褒めたらつけあがるわ)
けれど、ずっと目は浩二に釘付けだった。あかねは浩二の声を聞きながら考えていた。
(腐れ縁だわね……)
浩二は店の常連客のひとりと言うだけではない。
幼稚園の頃から高校まで浩二とは一緒だった。浩二は成績はよく、進学を勧める教師のことばを振り切って、卒業すると家業を継いで漁師になった。
あかねは短大に行ったが、一人暮らしはさせてもらえず、家からの通学だった。だからふたりともこの街から離れたことはない。
あかねはいつも家を手伝っていたから、浩二が店にやってくると必ず顔を合わせた。
顔を合わせると、浩二は必ずあかねをからかう。あかねはそのたびにムキになって言い返すのだった。
「その愚痴がでたら、もう限界ね」
帰った客のどんぶりを片付けながら愚痴るあかねに八重が笑いながら言う。
「そうだねぇ」
と、板前の菊地が厨房の奥から相づちを打った。
「なによぉ。菊さんだってお祭り好きじゃない」
「まあね」
老舗のそば屋の娘あかねは祭りが大好きだ。けれど、祭りともなれば店はかき入れ時。御輿や山車にくっついて歩くヒマなどとうていありはしない。
「あかねちゃん。ちょっとヒマになったから、見てくれば? こっちはやっておくから」
同い年のいとこ八重は、ふだんは都会で働いているが、かならず祭りの時期になると手伝いに戻ってくる。
おそらく、あかねよりもこの商売が好きで、合っているのかもしれない。
「まったく、そば屋の跡取り娘だっていう自覚がないのかね」
あかねの母親が呆れてつぶやいたが、あかねは聞こえないふりをして、
「ほんと? 八重ちゃん。ありがと!」
と、そのことばをまってました! とばかり、さっさとエプロンを外すと、店から出て行こうとした。
そこへちょうど数人の祭り装束に身を包んだ男たちが入ってきた。
「お、あかね。祭りに行くのか?」
その中の一人、浩二が声をかけた。
浩二はあかねとは同級生で、高校までずっとクラスが一緒だった。しかも、二人は何かというと口げんかをしていた。
「相手がいるのか? いないんだったらおれが……」
「おあいにくさま! つきあう相手はいっぱいいるから」
浩二が悪態を言い終わらないうちに、あかねはぴしゃりと入り口の扉を閉め、外に出た。
まわりにいる浩二の仲間はくすくす笑っている。
「ふたりとも素直じゃないんだから」
八重が菊池にこっそりささやくと、菊池も納得したように腕組をしてうなずいた。
「八重ちゃん。まずビール」
浩二が言った。
「おまえ。彼女ほっといていいのか?」
仲間の一人が浩二に言うと、ほかの男たちも口々に言い出した。
「好きなら好きって言えばいいのに」
「じょ、冗談じゃない。あんなおてんば」
すでに酒を飲んで赤い顔をしていたが、ますます赤くなって、浩二はさかんに否定していた。
威勢よく飛び出してきたあかねだが、ひとりぼっちで祭り囃子を聞くというのもさびしいものだ。
連れになりそうな友だちの姿を探したが、あいにくみつからない。
そうなると、やけにカップルが多く見えてきて、ますます気が滅入ってきた。
「母さんは、わたしと菊さんを一緒にさせようって魂胆なのよね。それで店を継がせようって」
まだ母から話は聞かされていないが、毎日一緒に店に出ていれば母親の考えていそうなことはよくわかる。菊池はあかねより八つも上だが、性格がいいのは十分承知している。
(でもね……)
あかねはほうっとため息をついた。
(菊さんが好きなのは八重ちゃんなのよ。八重ちゃんだってたぶん……)
そうなのだ。菊池はいい人で、あかねのことを妹のようにかわいがってくれる。だが、それ以上では決してない。あかねにしても同じだった。兄のように慕ってはいるが、それ以上の感情などもてないのだった。
「あ〜〜、だめだめ。浴衣でも着ないと気分がでないわ」
あかねはきびすを返して家に戻った。店の脇を通って玄関へ向かう途中、先ほどの客の声が聞こえてきた。
「で、浩二。おまえいつ出発するんだ?」
「うん。この祭りが終わったらすぐなんだ」
「なんだ? どこに行くんだ?」
「オーストラリア」
(え?)
一瞬、あかねはどきっとした。
(なに? あいつ。なにしに行くの? オーストラリアだなんて)
思わず、耳をそばだてた。浩二の声は聞こえない。まわりの男たちが話を進めている。
「漁業の研修だよ」
「へえ。そりゃすごい。で、いつまで?」
「三年くらいだよな。いや、向こうで嫁さん見つけて一生かも」
と、ひときわ大きな声で言ったのは、同じく同級生の義治だった。かなり酔いが回っているようだ。
(さ、三年も?)
あかねは自分が動揺していることに疑問も持たず、立ちつくしていた。
「あら。あかねちゃん。もどってきたの?」
その時店の勝手口から出てきた八重が声をかけてきた。
「あ、うん。やっぱり浴衣着ようと思って。走ってきたら息が切れちゃって……」
あかねは立ち聞きしていたのを悟られないように肩を大きく動かした。
「そうよね。やっぱり」
八重は笑いながら大きくうなずくと、干してあったザルを手にとると、勝手口から厨房へ戻った。
あかねは急いで玄関に回り、二階の自分の部屋に行くと浴衣を引っ張り出した。
そして手早く着付けると、鏡に映った自分の姿を見た。
「わたし……なにやってるんだろ」
そば屋という商売が決してきらいなわけではない。でも、このまま親のあとを継いでそっくり店を任されて安穏と暮らして行くことに少なからず疑問があった。
かといって何かやりたいことがあるわけではない。
母の思うとおりに板前の菊池と一緒になるのがいいのだろうか──いや、よけいな苦労などせずにすむことを考えたらそれが一番いいことなのだ。
結婚なんてまだまだ先だと思っていたが、今年は二十六歳になるのだ。自分はよくてもまわりは放っておいてはくれない年だと言うことも十分承知している。
「よう。あかね」
浴衣に着替えて再び外に出たあかねは、通りにでたところで、店から出てきた浩二と鉢合わせた。
「毎度ありがとうございます」
あかねはわざとらしく、営業スマイルで言うと足早にその場を離れようとした。
ところが浩二が腕をつかんだ。
「待てよ。一緒に行こうぜ」
「やだ。やめてよ、ヨッパライ」
「おれは酔ってなんかいないぞ」
山車が移動しているらしく、だんだんと囃子の音が小さくなっていく。と、かわりに、御輿の謡が聞こえてきた。
「お。来た来た。あかね。おれの勇姿を見せてやる。余計惚れるぜ」
言うが早いか、浩二は御輿の方へ駆けていった。
「ば、ばかじゃないの! だれがあんたなんか」
浩二は御輿の真ん中に陣取った。
「せいや! せいや!」
浩二が発するひときわ大きなかけ声に呼応して、担ぎ手たちは一斉に御輿を持ち上げた。
ひとしきり高く御輿を掲げてから、再び担ぎ出すと、今度は浩二が歌い出した。
さっきの担ぎ手の声よりもよく通る。いい声だとあかねは思った。が、すぐに打ち消した。
(だめだめ、褒めたらつけあがるわ)
けれど、ずっと目は浩二に釘付けだった。あかねは浩二の声を聞きながら考えていた。
(腐れ縁だわね……)
浩二は店の常連客のひとりと言うだけではない。
幼稚園の頃から高校まで浩二とは一緒だった。浩二は成績はよく、進学を勧める教師のことばを振り切って、卒業すると家業を継いで漁師になった。
あかねは短大に行ったが、一人暮らしはさせてもらえず、家からの通学だった。だからふたりともこの街から離れたことはない。
あかねはいつも家を手伝っていたから、浩二が店にやってくると必ず顔を合わせた。
顔を合わせると、浩二は必ずあかねをからかう。あかねはそのたびにムキになって言い返すのだった。