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12月 影絵の家

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くたびれた団地の白壁に木々の影が揺れて、夜になった。
 彼女は気紛れな夜の精だ。僕は2階の窓辺に凭れ掛かり、彼女を待つ。つい今しがたソーセージとキャベツのスープに黒パンの簡単な夕食を済ませたばかりで、満たされた心地よい腹がお供だった。
 強い風が吹いて、目の前にある猫の額程の公園に植えられている、見当違いな桜の巨木に茂る今年最後の僅かな葉を揺らす。夏の間に鮮やかに生い茂った葉は、秋を迎えて朽ち、ようやくぶら下がっているものだから堪らない。乾いた悲鳴を上げながら風に舞い散っていく。肥満児が、休む間もなく次々口に放り込むポテトチップのような音。痛々しい悲鳴。
 僕はその様子を影として、白壁越しにじっくりと眺めていた。影だけのドキュメンタリー映画を見ている心地だ。いや。過去になっていく過程を眺めているから、既に過去になった映画ではない。いつもとお馴染みとはいえ、リアルタイムのライブ映像か。いや。どっちだって構わない。繊細な美しさである事には変わりない。時間が余っている僕は、二酸化炭素と一緒にくだらない思考を垂れ流していた。
 すると、いきなり素早くなにかが横切った。まるで、兎かなにかが横から一気に飛び越したくらいの速さだった。僕は微かに笑い、階段を降りて行く。
「おかえり」彼女はブーツの紐を解く手を止めて、11月の風に散々抱擁された冷ややかな顔を上げた。
「何か食べる?」
「いらない。食べてきたから」彼女は言って、コートを脱ぐと玄関に投げ出し奥の部屋に行った。僕はコートを拾ってハンガーにかける。
 彼女はソファーに深く腰掛けて相変らず冷ややかな目で僕を見つめていた。「まだ寒い?」彼女は首を横に振り、又僕を見つめた。「どうしたの?」
「もう、来れないかもしれない」彼女は言った。「好きな人が出来たの」
 子どもの頃のある朝、目が覚めたら家中誰もいなくなっていて一人で置いていかれた。そんな気持ちだった。見慣れた家の中が急によそよそしく見えて、昨日までの時間に一人だけ残された。自分だけ、まだ過去にいるような感じ。もしかしたら、今この時はやけにリアルだけど、夢なのかもしれない。
目の前の彼女と彼女の周りの景色、僕の足下全てが大きく揺らいで、まるで3Dの映画みたいだ。だのに僕の体は勝手に、いつもの様にワインを出し、グラスを2つ並べている。本当に何の意識もなく。
「そう・・・」
 僕は平静を装ってワインを開け、彼女のグラスにワインを注いだ。
 彼女に初めて会ったのも、3年前の確かこんな夜だった。


 自宅を仕事場にしていて、あまり仕事がない暇な僕が、習慣のように窓辺に寄り掛かって、部屋の電気を消して、安ワインをちびちび飲みながら外を眺めていた。嵐のように風が強い月夜、そうあれも秋の始めだった。白壁に映る美しく荒々しい影絵の有様は、下手なB級映画より迫力があった。
 公園には木の葉が舞い散り、乾いた砂がスネアの如く調子をつける。野良猫一匹いやしない。そんな晩だった。
 ゆっくり月が雲に隠れて、辺りが薄い闇に包まれた。僕は目が慣れるのを待って、何度も瞬きをした。そんなに目が良い方ではなかったからだ。けれど眼鏡やコンタクトをつけるのも、あまり好きではなかった。落ち葉に混じって、なにかが動いている。それを見極めようとしていた。時々見える線や形しか見えなかったが確実になにかいる。
 不意に月が顔を出した。僕はハッキリと認めた。確かにいた。髪の長い女が踊っていた。木の葉と見まがう程の軽やかさでクルクルと踊っていた。顔まではわからないが、その身のこなしはまるでつむじ風みたいだった。僕はすっかり魅せられて、飲みかけのワインが倒れて絨毯にシミを作り続けているのも気付かないで見つめていた。僕の体の細胞1つ1つが全てが彼女に向かっていた。心と呼ばれている普段は何処にあるのかわからないものが、ハッキリと胸の真ん中で脈打って絶えず体に波紋を送っている。
 どのくらい踊っていたのだろうか。風が何処か他所に遊びに行ってすっかり静かになった頃、彼女は踊りを止めてしなやかにすっと立った。時間が静止した高貴な空間。妖精かなにかのようだ。拍手をするのも下品な気がして、僕は声をかけた。
「ワインを飲まない?」彼女はゆっくり僕の方を見た。
「いいわよ」
 彼女はアジアン系の奥二重を持った、シャープな顔立ちをしていた。しかし、体のラインは隅から隅まで溜息が出る程美しく、無駄な物は全くついていなかった。長く細い指先から爪に至るまで、完璧な体だった。
 彼女は柔らかいストレートの髪をかきあげ、ワインのグラスに口をつけた。あんなに長時間激しく踊っていたのに、全く疲れていないみたいだった。敬意を込めて、ワインはとっときのボトルを開けた。
「美味しい」目を瞑り、彼女はワインを味わった。僕は彼女の一挙一動にあまりに見とれ過ぎてしまいワインを口元にこぼしてしまった。それを見て彼女は鈴のような高い涼しい声で笑った。
 次の日も、その次の日も、彼女は夜来ては踊ってワインを飲んだ。そして、いつのまにか僕と寝るようになった。
 どうやら、彼女は有名なハンバーガー会社の広告チラシ作成をしているらしかった。よくポストに無断で突っ込まれているハンバーガー店の特典付きチラシだ。僕はこの一口目のインパクト勝負的な美味しくもないファーストフードのチラシが嫌いだった。大体にして突っ込まれる頻度が多過ぎる。週に2回、多くて3回は同じチラシが突っ込まれる。いくらハンバーガー好きでも週に3回も行ってたんじゃ体が持たない。と僕は思う。行かない者にとってはゴミになるだけだ。
「毎日毎日ハンバーガーよ。私はハンバーガーが別段好きと言う訳じゃないんだけど、その会社しか受からなかったから」
「ダンスでやっていく事は考えなかったの?」
「ダンスの需要は少ないの。とてもそれだけじゃ無理よ」彼女は2杯目のワインを一気に飲み干した。
「今度、本物のハンバーガーを作ってあげるよ」僕はつい最近まで高級レストランの調理師として結構有名だった。腕を故障してしまい引退したが、少人数の家庭料理なら何とか作れる。
「私、ハンバーガーにはうんざりしてるの。仕事以外では見たくもないわ」
 彼女は暗くした部屋で、白い肌を煌めかせ言った。窓から入る明かりで天井に彼女の動く影が伸びた。仰向けになっている僕の影はない。美しい彼女の影が部屋を自由に動いている。僕はそれを見つめる。

「同じ会社の人で、私のダンスをとても評価してくれて、知り合いでニューヨークにダンスの会社を持っている人がいるからって紹介してくれたの」彼女は今までと打って変わって、とても嬉しそうに話した。
「そう。良かったじゃない」僕は力なく頷いて、空いたワインの空き瓶をキッチンに持って行った。
 シンクに空き瓶を置いて、水道の水を入れて振る。僕の頭の中も同時に振られているようだ。そうか。彼女は僕以外の男の前で踊ったのか・・・僕だけが見る事を許されていると勝手に思っていた、あの風の様な踊りを。
作品名:12月 影絵の家 作家名:ぬゑ