小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

初恋の亡霊は静かに笑う

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 翌日、起きたら俺はベッドに寝かされていて、久坂はコタツにもぐっていた。一応は先輩に布団を譲ってくれたと言うことだろう。最後の最後に年上扱いしてくれたわけだ。コタツで寝たおかげで寝違えて首が痛いと、あとで散々文句は言われた。
「まさしく恋の真骨頂ね。恋に落ちるのに理由はいらないって典型」
「あはは、本当にぼたんさん、ドリーマーだなぁ」
「でも、実は今でも好きなんでしょう? 環ちゃん、いい顔してるわよ」
「まさか、何年前の話だと」
「成就しないまま、キレイに終った恋はね、理想化されてしまうものなのよ。特に初恋の場合ね」
「初恋? 俺の初恋は小学生の時でしたよ」
「それは女の子?」
「もちろん」
「じゃ、やっぱり初恋じゃないの。男は久坂くんが初めてなんでしょ?」
「それはそうだけど」
 成就しないまま、キレイに終った恋は理想化される――確かにそれはあるかも知れない。
 自覚してから何人かと付き合ったけど、どれも長続きしなかった。ようやくお互いの性格なりを知って、これからってくらいになると途端に冷めて、だんだん間遠くなる。そして自然に消滅する。このパターン。
「初恋は実らないものなんだから、そんなもんでしょう? 俺の話はこれでおしまい。次はぼたんさんですよ」
「私の話なんて、環ちゃん、腐るほど聞いたでしょう?」
 そりゃ、聞いたけど。これ以上、俺の話を掘り下げられても。
「環ちゃんの話の方がよっぽど新鮮だわ」
 時計は午後11時になったところ。開店して四時間経つけど、今だに客なし。グラスを磨くのにも飽きてきた。そろそろぼたんさんの好奇心満々な目からも、解放されたい。
「あら、いらっしゃいませぇ」
 救世主到来。
「今日みたいな日でも開けているんだね、助かったよ」
「お珍しいですわね、樫山さま。今日はお連れがいらっしゃるのね?」
 常連客の樫山さんだ。いつも一人で来ては、ベルギー産のチョコレートとぼたんさんオススメの洋酒を飲んで行く。ヴォーチェ・ドルチェの常連はたいていこのケースが多い。ふらリと一人で立ち寄って、2、3種類のチョコレートとそれに合わせた酒を、ゆっくり味わっていく。元が取れているかどうかは別として、毎日、それなりに席は埋まっていた。
 ぼたんさんが言うように、今日の樫山さんには連れがいる。若いのが3人くらい。本当に珍しい。
「彼の送別会でね、最後だから僕の隠れ家に連れて来たんだよ。何か適当に出してもらえるかね?」
「わかりました。皆さん、甘いのは大丈夫かしら?」
 表情がやっと見えるくらい落とした照明だけど、連れの三人がぼたんさんを見て多少、驚いているのがわかる。最初にここに来た客はまず、『彼女』を見て似たような反応をするから面白い。斯く言う俺もそうだった。190近い長身に広い肩と厚い胸板。どう見ても男にしか見えない四角い顔…にもかかわらず厚化粧で形(なり)は女なんだから無理もない。ちなみにぼたんさんの仕事着は和服。銀座のママに激しく憧れているからだった。
「じゃ、環ちゃん、これでお願いね」
 送別会の3次会くらいか。まずはシャンパンで乾杯ってところだろう。チョコレートはビター・テイストのアマンド・ショコラ。甘いのが苦手なヤツがいるんだなと、一年経ってようやくわかるようにもなって来た。
 やっといつものヴォーチェ・ドルチェ――やれやれだ。


「越野さん」
 気がつくと、カウンターに一人座っている。樫山さんが連れてきた三人の内の一人だろうが、聞き覚えのある声だった。
「誰?」
「俺。久坂です」
 久坂? 久坂知章?
「おまえ、久坂か?」
 手元を照らす為のミニ・キャンドルを一つ、カウンターの上に置いた。小さな炎の向うに、懐かしい顔が浮かぶ。
「久しぶり」
と笑う顔は確かに久坂だった。
 小説なんかでよくある話だ。初恋の相手とか過去の恋人の話なんかをすると、決まってそいつが偶然にも登場する。まさに今、その状況だった。
「ひさしぶりだな、元気だったか?」
「それはこっちの台詞だ。どこに雲隠れしたかと思ったら。確かメーカーに就職したんじゃなかったっけ?」
「一年前に転職したんだ」
 ぼたんさんがオーダーを持ってやって来た。ちらりと、久坂と俺を交互に見る目は意味深な表情が浮かんでいる。俺の前に座る男が件(くだん)の久坂だと気づいたのかどうかはわからない。ただ出来たカクテルを手にして戻る際、ウインクを寄越した。
「何か、作ろうか?」
「じゃあ、ドライ・ジンを」
 ドライ・ジンに合うチョコレートって何だろう。とりあえずヴォーチェ・ドルチェ特製のチョコ・クラッカーでも出しておく。
「髪、長いから初めはわからなかった。結わえたの見て、越野さんじゃないかって気づいたんだ」
「ここのオーナー命令。長い方が似合うし、それっぽいからって」
「確かによく似合ってる」
「そりゃ、どーも。おまえは小奇麗になったな?」
「営業ですから、身だしなみはちゃんとしないと」
「大人になったなぁ」
 トレードマークだった不精髭も剃られ、金田一耕助みたいにボサボサだった頭も、こざっぱりと刈り上げられている。あの頃の面影は、口調の中にしか残っていないように思えた。
「変った店だな? 酒のアテはチョコレートしか置いてないなんて」
 カウンターの脇に設えられたチョコレート専用の冷蔵庫兼ショーケースを、久坂は珍しげに見ている。ぼたんさんを見た時同様、これも初めて来た客の典型的な反応と言える。
「ぼたんさんが好きなんだよ。そのチョコ・クラッカーも彼女の作」
「彼女って、あの人、男だろ?」
「心は純真可憐な乙女だそうだから、彼女って言わないとすねるんだ」
 久坂が噴出した。声を抑えた笑いが、拳で隠した口元から漏れている。俺も釣られて笑ってしまった。久坂の肩越しにこっちを窺い見るぼたんさんの大きなシルエットが見える。残念ながら、あなたの期待する甘い会話にはならないと思うよ。


 樫山さん達は小一時間ほど飲んで帰って行った。帰り際、チョコレートの詰め合わせがぼたんさんから久坂に渡された。久坂は親父さんの経営する会計事務所を手伝うために、会社を辞めて実家のある明石に帰るのだと言う。
「いつの間に会計士の資格なんて取ったんだ?」
 大学の時はバイトに明け暮れ、前後期の試験の度に「あれもこれも落としたかも」と大騒ぎしていたのに。
「俺は案外、堅実なんだよ」
 来週の大安に交際中の彼女と式を挙げるのだとか。本当に堅実だ。と思ったら同期と思しき若い連れが、「出来ちゃった結婚なんです」と教えてくれた。別に出来ちゃった婚が堅実の否定にはならないけど。
 彼らが帰ると、店の中は途端に静かになる。今夜、ぼたんさんがセレクトしたBGMは途中からバラードばかり。なんだか意図的な物が感じられて、俺は苦笑せずにはいられなかった。
「でも、いい男ねぇ、久坂君。環ちゃんが面食いだって、よーくわかったわ。それで? 何年かぶりに再会した初恋の君はどうだった?」
 多分、この一時間弱、聞きたかったことに違いない。
「さすがに変ってましたね。今はあんなですけど、学生の時はもっと小汚かった」