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スカイグレイ
スカイグレイ
novelistID. 8368
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停滞

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               ***

「俺がN島の住民を全員殺したんだ」
 夫ははっきりとそう言いました。
 夫の目は私の目を捉えて離しません。殺したんだ、という言葉が頭の中で何度も
何度も響きます。
「どういうこと、ですか?」
 私の声は、自分でもわかるほど震えていました。
「南天が消えた数日後、俺はついに見つかって、もといた部隊に連れ戻された。脱走兵ということで、扱いはそれはもうひどいものだった。そして、命令されたんだ。N島に毒ガスを撒け、と」
 先日、南天さんとしていた毒ガスの話は、このことだったのです。命令の正確な内容はこうだった、と夫は続けます。
「毒ガスの効果を確かめるための実験を行う。島民が全員死亡したら実験は成功。俺はその毒ガスを噴出させる係を押し付けられたんだ。もしできないのなら殺すと脅された。俺は従うしかなかった。俺は島民何千人の命より、俺の命を取った。……軽蔑したって構わない。だが、これだけはわかっていてほしい。俺は死にたくなかった。お前に会いたかった」
夫の目が、すうっと細くなりました。
「あの娘はせめて、一番最初に死なせてやりたかった。恐怖も何も感じないうちに、何もわからないうちに死なせてやりたかった。だから、殲滅作戦は、俺の滞在している小屋から始めることにした。……いつものように訪ねてきた娘は、ガスマスクを付けた俺を見て驚いたようだった。俺は、右手でガスを噴出させるためのレバーを引いた。娘は驚いた表情のまま、倒れて、死んだ」
夫は淡々と語り、あの娘が苦しまずに済んだならいいが、と付け加えました。
「あともう一つ告白させてくれ。爆発に巻き込まれて右手を失ったというのは嘘だ。この手は、自分でやった」
「どうして!」
 私は思わず叫んでいました。自分で、とはどういうことなのでしょう。まさか、まさか。
「あの娘に対するせめてもの贖罪だ。……いや、言いわけにすぎないということはわかっている。本当は、あの娘を殺した自分の右手が気味悪くて堪らなかったんだ。N島中にガスを撒いた後、小屋の中にあった斧で自分の手首を切り落とした」
「どうして、どうして」
 夫は、どうしてを連発する私を宥めるように、少し語調を和らげました。
「……さあ。本当はあの時何を考えていたのか、俺にもよくわからない。気が付いたら、手と手首が離れていた。……幻肢痛があるというところでは、ある意味繋がっていると言えるかもしれないがな」
 そう言って夫は自嘲的に笑いました。それからふと、真顔になって、
「さあ、お前は俺をどう裁く?」
 と、私に尋ねました。

 気づけば私は、思いきり夫の左手に噛みついていました。私の歯型が夫の皮膚に刻み込まれればいい。なんて浅ましい独占欲! わかっています。わかっているのです。ただ私は悔しいのです。島の娘ごときの死が夫の右手を失わせ、あまつさえ彼女が夫の記憶に残ったことが悔しくて悔しくてたまらないのです。私の犬歯が夫の手に食い込んでいくのを感じます。もっと深く、もっともっと深く刺さればいいのです。夫の表情をちらと盗み見ると、痛みに顔をしかめながらも、どこか満足そうな顔をしているように思うのは、私の気のせいでしょうか? さあ私の歯よ、骨まで達すればいい。この左手は私のものです。誰にも渡しません。
 結局私は、我儘なのでしょう。我儘を許してくれる夫に甘えているだけなのでしょう。けれど私は今はそれでいいのです。今ここに私がいて、夫がいることだけが大事なのです。
 口の中で血の味がします。私の歯が夫の左手の皮膚を食い破ったのでしょう。私はその血を一気に啜り上げたのでした。

 私は夫を愛しています。夫も私を愛してくれています。夫が殺人者だからといって、それがなんだというのでしょう? 悪いのは夫ではないのです。全て、戦争のせいなのです。
 今はもう、何も考えたくありません。私は刹那の快楽と満足を追求したいのです。
 ああそれでも! 私は願わずにはいられないのです。

 どうか私たちの未来に幸多からんことを!
作品名:停滞 作家名:スカイグレイ