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スカイグレイ
スカイグレイ
novelistID. 8368
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人魚

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まさか、このような都で人魚を見るとは思ってもおりませんでした。
わたしの故郷は海辺の町ですから、ごくたまに人魚を見たと言う者もおりましたが、それは大抵法螺話か、もしくは何かの見間違いということで片が付いておりました。けれども今、わたしの目の前にある、水で満たされた大きな透明の箱の中に入っているのは、どう見ても人魚なのでございます。
明らかにこの国の住人のものではない黄金色の髪の毛、青い目。肌は一度も日の光を浴びたことがないかのように白く、軽く触れただけで傷を付けてしまいそうです。上半身には何も纏っておりませんが、下腹部より下の、本来脚であるはずの部位は深緑色の鱗に覆われた大きな魚の尾です。その尾を除けば彼女――いえ、人ではないのですから「それ」と言う方が適当なのかもしれません――は、惚れ惚れしてしまうほど美しい女でした。

さあさ、もっとお側にお寄りなさい。世にも珍しい人魚だよ。遠い遠い海で網に引っ掛かった半魚人。この機会を逃したら二度と見られないこと請け合いだよ……。

人魚が入っている箱の前で口上を述べているのは若い女でございます。辺りを見回してみれば、この部屋に集まっているのは、見物客も、警固の者も皆女です。男は一人もおりません。不思議に思って近くにいた大柄な警固の女に聞いてみますと、男は人魚の魅力に中てられてしまうので、この部屋に入ることはできないそうです。その女は、部屋の入り口でその旨は伝えられたはずだが、と首を傾げておりましたけれども、何のことはない、何時ものようにわたしがぼうっとしていただけでありましょう。困ったことに、このようなことは珍しくないのでございます。ただ何となく人並みに流されるままに歩いて行くと全く知らない場所に出た、などというのは日常茶飯事、こんなことではいけないといつも思ってはいるのでございますが、身一つで故郷を飛び出しこの都に出てきて半年、学はなく器量も悪いのが祟ったのでしょう、良い仕事にはありつけず元来の内気な性格のせいでお友達もできず、ましてや亭主などもっての外、ともかくそのような訳で独り身の気楽さ、直す必要もなかったというのが正直なところでございます。
今日はたまの気晴らしと思い立ち、つい一昨日頂いた賃金の最後の小銭まではたいて、見世物小屋にやって参りました。
蛇女――顔は女で首から下は蛇、という看板絵と違い、実際は蛇を頭からむしゃむしゃと貪り食う女でした――、ろくろっ首――これは明らかに作り物です――、小人――たまたまそういう身体に生まれついてしまったのでしょう――、牛女――膝の関節が常人とは反対の方向に曲がります――、それから最後に今見ている人魚――、異形のもの達もそうでないものもおります。
珍しいものや自分より惨めなものを見たい心の浅ましいことはよく承知しております。けれど仕方がないのです。この都会で一人きり、頼れる者もお金もなく、今住んでいる貸家さえ何時追い出されるか知れないわたしが、せめてもの慰めを見出せるように思えたのはここしかなかったのでございます。そう、わたしはまだこの者達のように檻に閉じ込められてはいないのです。それだけが救いなのです。他人の不幸は蜜の味。それを味わうためにこの場にいる者は皆、わたしと同類でございます。
それなのにどうでしょう、周りにいる女達は、都会に住む者に相応しく美しく着飾り、楽しげに笑いさざめき、歩き方一つ取っても洗練されているように思えるのでございます。この差は一体何から来るのかと考えずには居られません。わたしは怠けている訳ではないのです。朝から晩まで工場で一生懸命働き、生活を切り詰めております。それでも貯える前に稼いだお金は消えてゆくのでございます。働いても働いても楽にはならず、だからと言って、家出同然で故郷を捨てた身、今更実家に帰るわけにも参りません。……いえ、嘘は止しましょう。わたしも帰れるものなら帰りたいのです。けれどもそのためにはお金が必要なのです。汽車に乗るにも船に乗るにもお金が掛かるのですから。今のわたしにはそれらに回す余裕さえございません。嗚呼、我が身の不幸を嘆いても何にもならないことはよく存じております。それでも思わずにはいられないのでございます。何故天は依怙贔屓をなさるのか、何故わたしは他の娘のように着飾ったり、お洒落をしたり、男と恋をすることが許されぬのか、と。
わたしは幼少の頃から、勉強だけは目覚ましくできました。お前が男の子だったなら、と幾度両親に言われたかしれません。わたしが上の学校に進みたいと話した時、男の子ならまだしもうちにはそんな余裕はない、そう言われたこともございました。仮にわたしがあの様な海辺の田舎町ではなく、この都に生まれ育っていたのならこんな惨めな思いをすることはなかったでしょう。そうでなくとも男に生まれていたら、今頃は博士と呼ばれ、研究に打ち込んでいたかもしれません。もしくは、もっとお金持ちの家に生まれていたのなら、人を羨むなどという醜い感情を持たずに済んだかもしれません。またもしくは、もっと美しく生まれてきていたのなら、ずっと華やかで楽しい人生を送っていたでしょう。
わたしが出来るのは、この世の不公平を恨むことのみでございます。不公平、そう、不公平なのです。何故わたしよりも頭の悪そうな女が、着飾り、お洒落をし、恋をすることが許されるのでしょう? 何故わたしよりも馬鹿な女が、都で生まれ都で育つという特権を得ているのでしょう? 何故、金持ちの親のもとに生まれたのでしょう? 何故、美しく生まれてくるのでしょう? 田舎を出て都に行けば、わたしにお誂え向きの仕事があると思っていたのです。けれど、立ちはだかった現実は、思っていた以上に厳しいものでございました。
都生まれの都育ちという称号。学歴。金持ちの親。男を惑わす妖しいまでの美貌。わたしはどれ一つとして持っておりません。
そう思った途端、わたしにないもののうちの一つ――美貌を持っているこの人魚が堪らなく憎らしく思えて参りました。
当の人魚は先程から水の中を忙しなく泳ぎ回っております。薄暗い照明の下、その尾が左右に揺れ、鱗は艶めかしく光り、見物客を挑発しているかのようです。黄金色の髪の毛はふわふわと波打ち、青い瞳から放たれる視線はわたし達の間を通り越してゆきます。おそらく人魚は、見物客の存在など気にも留めていないのでしょう。茄子や南瓜、いえ、人魚のことですから海藻や珊瑚といったところでございましょうか。

さあさ、給餌の時間だよ。人魚の餌は魚だよ。世にも奇妙な共食いだ。見たい方は此方へどうぞ、さあさ、お早くお集まりなさい……。

先程の口上を述べた女が、再び客寄せをしております。ぞくぞくと女達が集まって参りました。
――人魚は魚を食べるんだってさ。
――やだぁ。気持ち悪い。
 気持ち悪い、と口先では言いながらも見ずにはいられない。これが人の性なのでございましょう。全く、醜いものでございます。

ここにおりますのは、一匹の川魚にございます。御覧の通り、生きて泳いでおりまする。これを一度、この箱の中に放しましたれば、一体何が起こるやら。嗚呼、想像するだにおそろしや……。
作品名:人魚 作家名:スカイグレイ