むしめがね
01
眩しい朝日を惜しみなく浴びながら、見知った道を歩く。ときどきあくびが出てしまうのはご愛嬌。いつもと変わらぬ朝だから、少し早歩きしないと遅刻してしまう。
高校入学当初はそれなりに時間に余裕をもって登校していたが、一年半も経てばギリギリでも平気な度胸が身に付いた。周りにも同じ制服を着た人がどことなく急いでいるけど、走って私を追い抜いていくのはネクタイの色からして一年生。
(まだそんなに急がなくても大丈夫だよー)
なんて、心の中だけで言ってみたり。しかし急ぐことは悪いことではないので、自分も見習ってさらに足を速めた。
何かと騒がしい校舎に入り教室へ向かう。その途中で担任の先生が前を歩いているのを見つけて、先生を追い越すためにスピードを上げた。
「おはようございます。」
「おお、なんだ橘。またこんなにギリギリか?」
「朝は弱いんです。」
「気持ちはわからなくもないが…。まあ今に始まったことじゃないしな。ほら、早く教室へ行け。チャイム鳴るぞ。」
「そうでした。では先生、すぐまた後で。」
「本当にな。」
小さく笑った先生に背を向けて、先に教室に入るべく少し走った。
なんだか先生が誰かに話しかけているようだったが、その声はよく聞き取れなかった。
がらりと扉をあけ、いつものように友達に挨拶を交わしながら席へ着く。と、同時に先生が教室へ入ってきた。まさにギリギリ、でもいつも通り。
「はーいおはよー。席ついてー。」
先生がきたことによってがたがたとクラスメイトたちが自分の席へ帰っていく。私も鞄の中身を出しながらいつものようにHRが始まる声を聞いていた。が、今日はなんだか違うみたいだ。
「えー、今日は転校生を紹介する。」
「へ?」
予想していなかった朝の始まりに思わず間抜けな声を出してしまった。まぁ、みんなそれぞれに驚いて騒いでいるから、私の声なんて簡単に紛れてしまったけど。
「テン、転校生見たんじゃないの?」
その声を聞き逃さなかったのか、隣の席の梨香がそう聞いてきた。おそらく『先生を追い抜く時に見なかったのか』という意味だと思うけど…正直に言ってしまえば。
「…覚えてない。」
実際先生しか意識してなかったし、言われてみれば誰かが隣に歩いていたような気もしなくないけど、私と同じ遅刻予備軍の人だと判断して視界から追い出してしまった可能性が高い。
「あ、でも先生が誰かに話してるのは聞いた。転校生だったのかな。」
「そうかもね。あ、来た。」
入って、という先生の声とともに、明らかに教室の騒めきかたが変化した。女子特有の黄色い声に、男子のなんだか唸るような声に反応して、私達も前を注視する。
私が視界から追い出してしまったらしい転校生の男の子が、そこには立っていた。
第一印象はなんだか暗い男の子。身長はまぁ、男子高生の平均並みで細身。癖のない黒髪は綺麗だけど、少し長いせいか目を半ば以上隠してしまっている。その前髪に隠された目はびっくりするくらいに真っ黒で、少しだけ見えた瞬間息を飲んでしまった。
そしてその少しだけ見えた顔のつくりは、男の子なのにと羨ましくなるくらい綺麗な顔立ちをしていた。
「早速大人気だね。転校生くん。」
「そのようだね。」
時間は変わって昼休み。
梨香に軽い返事をしながら私はお弁当からおかずであるミートボールにかぶりつく。
ううむ、やはりおいしいミートボール。
「でも水無月くん、全然笑わないね。」
梨香の言葉に、私も人だかりの中心に飲まれている彼をちらりと見てみた。
転校生―――水無月夜宵(なんだかすごい名前)は朝、登校してから今の昼休みまでにこりとも笑っていない。笑うどころかあまりしゃべってもいない。紹介のときの挨拶だって、小さな小さな声で『……よろしく』と言っただけだったし、今だって周りに人がいるのに彼は俯いたまま話を聞いているのかいないのか、そのまま微動だにせず座っているだけだ。用事がある場合に話しかけられたときは、簡単に相槌くらいうつようだったけど、感情がまったく見えない。基本的に人とは話さないタイプのようだ。
「よく周りの子たちめげないね…。」
「拍手を送りたくなってきたよ…。」
何にも答えてくれない相手に話しかけるのは結構大変なことだろう。でも水無月くんは一般的に見てかっこいい部類に入るのだろうから、みんな仲良くなりたくて必死みたいだ。だから無視されてしまってもめげない負けない離れない。野次馬根性があまりない私とは、もはや違う世界だった。
「もったいないね。きっと笑ったらもっと綺麗だと思うんだけどな。」
「梨香、男子に綺麗っていうのはあんまり嬉しい言葉じゃないかもよ?」
「え?だって水無月くん、綺麗じゃない?」
「うーん…まあね。」
曖昧に笑って誤魔化す。しかし心の中では同意する部分がないわけじゃないけど、となんとなく思っていた。
放課後、図書委員である私はその日当番で、カウンターであくびをしながら過ごしていた。
図書室は冷暖房完備という公立の高校には魅力的な教室な訳で。しかし放課後の時間が拘束されるのは正直魅力的でもなんでもない。ぶっちゃけて言ってしまえば早く帰りたい。
しかしそこはお仕事。ここで帰ったりなんかしたら他のみんなに怒られる。
放課後のせいだろうか、数人しかいない室内を見渡してカウンターから少し離れても大丈夫だと判断した私は、机の上に『御用があればベルを鳴らしてください』と書かれた札を置いて書庫整理に向かった。幸い(かどうかは少し微妙だけど)司書の先生に整理を頼まれていた本が山積みになっていたため、しばらくは退屈せずに済みそうだ。これで眠気も吹っ飛ぶだろう。
一冊一冊確かめながら持っていく本棚ごとに分けていく。ある程度まで分けたら、自分の持てる限界まで本を持つと、足取り怪しく指定の本棚へ向かった。
そして怪しいだけあった。本棚の向こうに人が座っているなんて思いもしなかった私は、その人物の足に躓き、見事持っていた本をその人に頭からぶちまけたのだ。
「えっ、ってきゃあ!」
「っ!ぅわ!」
結果、不本意にも私は、注目の転校生の感情の浮き出た声を初めて聞いた人物になったのだった。