「私」と三人の女
紫陽花が死んだ
私は頭をぽりぽりと掻いた。
あぁ、面倒くさい。
こんな面倒なことは初めてだった。
何故だか私が今夜殺そうと思っていた男が既に瀕死になっている。
まぁ、好都合といえば好都合か。
薄いナイフが刺さった瀕死の男は荒い息でうつ伏せのまま私を見上げた。
「…なんだ、お前かよ。」
でぶでぶとした唇がくっついたり離れたりして言葉を吐き出す。
私はポケットをまさぐって煙草を探した。
「あぁ、残念ながら私だ。悪いな。」
「…別に悪かないけどよ…いや、むしろ好都合だな…。」
私は先程自分が考えたことと同じことを桑田が呟いたため少し驚いた。
驚きついでに深く息をはく。
「…あのさ、お前が俺殺したことにしてくんない?」
桑田が唐突に言った。
別に元々そのつもりだったから問題は無い。
「わかった。そうしよう。」
私は煙草を口にくわえ、慎重に腰を曲げてやつの背中や刺さったナイフにぺたぺたと触った。
赤色が私の手にも移る。
私は少し顔をしかめた。
「…おっまえ…躊躇とか質問とか…しろよ。」
桑田は呆れた顔で呟いた。
「どうでもいい。お前に興味はない。」
私は事実を述べたまでなのに桑田はハハハとさも愉快そうに笑う。
自分に無関心と言われ喜ぶやつを初めてみた。
「…じゃ、まぁ聞けよ。なんかだんだん感覚なくなってきたしよ。…あれだな、死の間際って案外苦しくねーのな。」
「私は別に聞きたくないのだから早く話せ。家に帰って本が読みたい。」
私は夕方買ったばかりの本について考えた。
面白ければ1時間で読める。つまならければ3日かかるが。
「…んだよそれ…。ま、いいや。…刺したのさ、俺の妹なんだよね。」
「そうか。」
「そうなんだよ…。なんかさ、あいつ…あいつタカシが好きだったんだって。」
「タカシは案外モテたんだな。」
分からないでもない。
やつは他人に興味がない私にすらいたく興味をもつ様な男だったから。
私は煙草を持った手を下にぶらりと下ろした。
「…だからさ、俺がタカシを殺したこと10年たった今でも恨んでたみたいだな。」
桑田がそこまで言って静かに笑った。
今にも泣きそうな笑い声だった。
「…女だってばれたからか?」
桑田の笑い声がぴたっと止まった。
私は再び煙草を口にふくんだ。
「…知ってたのか…。」
「勘だ。」
桑田は苦しそうに、知ってたのかぁ…ともう一度呟いた。
私はまぁな、でも今は男なんだろ。と返事をした。
桑田はそれを聞くと、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「…だよなぁ…そう言ってくれるやつも世の中にはいるんだよなぁ…。でもよ、あの時はもう終りだと思ったんだ。タカシに知られたら…無花果にも知られちまう、そしたら嫌われるって…。むしろ嫌われたけどな!…当たり前か…。」
桑田が静かに深い溜め息をついた。
それは笑い声にも聞こえた。
私はもう二度と動かなくなった男の背中に呟いた。
「さよなら紫陽花。」
二度と呼ばれなくなった、彼の名前を。