携帯彼氏4
CLUB COSMO。この店が今の俺の仕事場だ。
まだ新しい店で、上からの締めつけはそう厳しくない。互いにしのぎを削る水商売にしちゃあ、ホスト同士の仲もそれなりにいい、アットホームな雰囲気な店だ。ま、だからこそ売り上げはチェーン店の中でも毎回下位で、時々店長は俺たちの見えない場所でこっそりため息をついているのを俺は知っている。
俺はこの店のホストで、立場は二番目。ナンバーワンは、最近本店から梃子入れでやってきた。
店は繁華街の目抜き通りから一筋ずれた細い通りにある。怪しげでなく、しかし騒がしい場所でもない、ビルの地下フロア。看板はひっそりした地味な文字だけだから、会員制ではないけど実質は常連客ばかりになっている。
店に向かう道のりは見慣れた姿のまんまだ。なのに、俺の目の前には見慣れないでかい男の金髪頭と、男の腕に自分の腕を巻きつけてはしゃいでる俺の客が視界を塞いでる。
なんでこうなったんだ……?
俺の百回目のため息なんか二人ともまったく気づいちゃいない。
「蘭ちゃん、今日はヒロちゃんも一緒に飲みましょうよー!」
さっきまで仕事の愚痴をこぼしていたアコは、今やすっかりご機嫌だ。
ヒロ、いや、俺の携帯である男は黙ってニコニコしている。案外無口だ。そういえばこいつは、命令や質問には答えるけど、自分から話す事はほとんど無い。
聞き上手、って訳か。だから押しの強いアコに気に入られたんだな。
「ヒロちゃんって、体は大きいのに初心よね。可愛いんだから!」
きゃっきゃとはしゃぐアコの上機嫌に水を差したくはないが、俺は無理やり携帯男とアコの間に割り込んだ。
「ごめんよ、アコ。うちの店じゃ新入りはまずバックヤードかウェイターからなんだ。テーブルに着くのはまだ早いんだよ」
「ええーつまんない。両手に花だと思ったのにぃ」
きょとんとしたままのヒロからアコの腕を取り上げ、俺はとっておきのスマイルをアコに向けた。
「寂しいな。アコは、俺と二人きりだとつまらない?」
低めの声で、わざと耳元で囁いてやれば、どんな強い女だって悪い気にならない。案の定アコも嬉しそうに微笑み、俺の腕に手を廻した。
「蘭ちゃんにやきもちやいてもらうの、初めてね」
どうだ、これがナンバーツーの実力ってもんだ。
チラリと後ろを振り返って見たら、ヒロは相変わらずニコニコ笑って俺たちを見ていた。
なんか、拍子抜けするな。大抵の男は嫉妬をあらわにした目で俺を睨むのに。
あ、そうか、こいつは男じゃない、携帯電話だったっけ。そもそも人間じゃないんだ。そうは見えないけど。
改めて見れば、そいつは本当に人間にしか見えなかった。耳にも頬にもちゃんと産毛が生えてるし、目だって潤って見える。広い背中、肩甲骨の影、襟足の柔らかそうな金髪、男にしちゃあ大きな目、横顔でもわかる長いまつげだって不自然な生え方じゃない。
ヒロの姿にぼんやり見とれていた俺を見上げ、腕を絡めたアコがチラリと不審そうな顔をした。やばいやばい、女から意識を離すなんていつもの俺じゃない。俺は慌てて彼女の背中に手を添え、精一杯の優しさを込めて微笑み、店の中へと彼女をエスコートした。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、ホテルのような落ち着いた雰囲気のクロークがある。
上品で、黒服を隙無く着こなした渋い中年男が現れて、実にスマートに客に向かって一礼する。うちの店では、下っ端なんかじゃなく店長が客を出迎えるのだ。このサービスは高級感を求める女性に受けていて、中には店長を指名したいと言う客もいるらしい。
店長は慣れた手つきでアコのジャケットを預かり、俺の後ろに立つ金髪頭を見て一ミリだけ眉を上げた。
「アコ、先に座っててくれる?すぐに行くから」
「わかってるわ、蘭ちゃん。ヒロちゃんは今日が初日なんでしょ?頑張ってね、ヒロちゃん!」
アコがひらひら手を振ると、携帯男も満面の笑顔で手を振り返す。なんだろう、この、色気のない二人のやり取りは……
アコのエスコートを待機していた大に任せると、大は好奇心いっぱいの目でヒロをチラリと見ながら去っていった。やる気満々の若手ホストのあいつにしてみれば、新しいライバルの登場に気もそぞろなんだろう。
「店長、ちょっといいですか」
俺の言葉を待たずに、店長はヒロの金髪頭をじろりと見て、顎をしゃくる。俺はぼんやり突っ立ってるヒロの袖を掴んでクロークの奥へ引きずった。奥は事務所と従業員のロッカーに続いているのだ。
ごちゃごちゃした狭い事務所に入った途端、店長は渋い顔をして俺を睨んだ。
「困るよ、蘭ちゃん。いきなりなんなの?ホスト志望の子?うちは本店のテストをパスしないと雇わないって知ってるでしょ」
「すいません、店長。こいつ、今日一日バックで働かしてもらえませんか。雑用でいいんです、それに給料無しでかまいませんから」
「給料なし?いいの、それで?」
店長は驚いてヒロの顔を見上げたが、ヒロはよくわかってない顔でニコニコしていた。まあそうだよな、携帯に給料は無い。
「は、あの、私は蘭様の物なので、お金の必要はございません」
……………なんか今、問題発言があったような……いやしかし確かにこいつは、俺の携帯……いや待て、男が物発言とかまずいまずい!
俺が青くなっていると、店長は何故だかやたら生暖かい目で俺を見、うんうんと頷き始めた。
「あ、そういうこと。大丈夫、二人の事は秘密にしておくよ。ホストにゲイは珍しくないからね、安心して」
「ちょ……!店長、違います!こいつはそんなんじゃなくて!」
「『蘭様の物』だなんて、今時の子にしちゃロマンチックな事言うねえ。そういうの、僕、嫌いじゃないのよね」
「そ、そうじゃなくて、こいつは俺の、いやその、遠い親戚なんです!」
「いいのいいの、そんな言い訳しなくても。蘭ちゃんとは長い付き合いになるけど、知らなかったなあ。もう、水くさいよね蘭ちゃん。大丈夫!秘密は守るから、安心して」
「安心できませんよ!」
「あ、そうだ、そうだよね、ごめんごめん。今日はこの子の働きぶりを見て、契約するか判断したいんだけど、それで安心でしょ?」
激しく勘違いをした店長は、感動した様子で俺と携帯男の顔を交互に見ている。その目がミョーに優しい。絶対頭の中で勝手に俺とヒロの感動的物語を作っているに違いない。いい人なんだが、このお人好しぶりには毎回呆れる。
いやいや、呆れてる場合じゃない!
「そうしてもらえたらありがたいです。でも俺とこいつはそんな仲じゃありませんから!」
何がなんだかわかっていないヒロは、俺と店長の顔を交互に見下ろし、おどおどしだした。
「あの、私はどうしたらよろしいんでしょうか?」
店長の誤解を解いていたら、アコを長く待たせてしまう。仕方ない、しばらく適当に誤解させておこう。
「いいから今夜は店長に従って、適当に仕事してろ」
「は、はい!わかりました」
「じゃ、また後でな」
俺がそう言って事務所を出ようとすると、ヒロは泣きそうになって俺の背広を掴む。
「えっ、私を持って行って下さらないんですか?」
「いいからお前は店長についてけって。俺には仕事があるんだよ」