遼州戦記 播州愚連隊
「まあしばらくは安泰と行きたい所だが……どうなるか」
「どうなるかではなく我々がどうするかだと思うのですが……」
黙っていた楓の突然の言葉に魚住も明石も彼女の顔を見た。
「見ないでください。恥ずかしい……」
その急に見つめられて恥ずかしがる姿に魚住と明石は大笑いを始めた。
「それじゃあ出るか?」
魚住の言葉で三人は立ち上がった。
「勘定、ここに置いとくから」
「有難うございました!」
魚住が三人分の代金の札をテーブルに置いて立ち上がる。明石は麺を半分残して不思議そうにつけ麺を眺めている楓の肩を叩くと店の外に出た。
官庁街には珍しいラーメン屋。大きく伸びをする明石の前に見慣れた緑色の髪の男が立っていた。
「おい、何してるんだ?」
黒田が偶然を装うように立っていた。彼が恐らくは明石達を訪ねてきたことは表情を見れば分かったのでつい明石の悪戯心が刺激された。
「この店な。たくさん食うと安くなんねん」
「ホントか?」
「明石……デマは止めろよ。それより俺達を探してた面だな」
「まあ……あれだ。気晴らしも必要だからな」
そう言いながら海軍省に向かう道を歩き始めた明石達についてくる黒田。
「飯は良いのか?」
「まあ取り調べの間に軽くつまんでたからな」
黒田はそう言うと明石達の後ろを歩いていた。路地を出ると大通り、その道は胡州帝国海軍省の巨大な建物に続いている。回りのビルの塀には先日の内戦の跡を象徴するように弾痕があちこちに見て取れた。
「このまま帰ったら……黒田に悪いか。ちょっと中庭で食休みと行こうじゃないか」
明石のにこやかな顔を見るとそのまま魚住は表玄関を無視して車止めを突っ切って歩き出す。歩哨達は佐官の制服の三人と下士官の制服の女性兵士がなぜ玄関に入らないのか不思議がっているように視線を明石達に向けてきた。それを無視して明石は芝生の広がる中庭に先客がいるのに気がついた。
「遅いじゃないか」
にんまりと笑う別所を見て明石はため息をつく。
「心配しただけ損した気分やデ」
「心配か?そりゃあ結構だ……まあ疲れてるのは事実だがな」
そう言うと明石達に向き直り胡坐をかく別所。魚住はさっさとその隣で寝転がる。黒田は別所と顔を突き合せるのが飽き飽きしたというようにその隣に正座する楓の脇にどっかりと腰を下ろした。
「タコもゆっくりしろよ。休めるうちに休むのが鉄則だろ?」
笑みを浮かべる別所に催促されて明石ものんびりと腰を下ろした。
「これからどないなるんやろな」
「それが分かれば苦労しねえよ」
明石の言葉に即答する魚住。楓は苦笑いを浮かべながら隣で転寝し始めた黒田に目を向けた。
「寝かせてやれよ。俺も寝たいくらいだ」
「休める時に休むんじゃ無いのか?」
「減らず口を」
魚住の言葉に苦笑いを浮かべるとそのまま別所は芝生に寝転がった。
動乱群像録 88
「なかなか面白い奴等みてえじゃねえか……いいねえ忠さんは」
胡州帝国海軍省。式典に顔を出しただけでそのまま着流し姿で第三艦隊司令室を訪ねてきた嵯峨。にんまりと笑いながら食事を済ませて芝生で談笑している明石達にその視線を投げていた。
「自分の娘もおるやん。自画自賛はやめてんか……」
赤松は執務机で端末をたたきながらそう応える。部屋に響くタイピングの音。嵯峨は飽きたというようにそのまま当然のように応接セットのソファーに腰を下ろした。
「兄貴の組閣……大河内さんに召集かけるらしいじゃねえか。大丈夫なのか?」
「ああ、だいぶ良うなってるらしいで。何でも清原はんが決起したと聞いたら『ワシが締めたる!』って叫んで病室で暴れとったって話やからな」
嵯峨と赤松。二人にとって海軍の重鎮大河内吉元元帥は高等予科学校の校長というイメージがいつまで経っても抜けなかった。そしてそのカイゼル髭を思い出せば今は亡き斎藤一学と安東貞盛の顔が思い出された。
「おう、新の字。暇みたいやな」
ようやく作業を終えた赤松が立ち上がる。その有様を呆然と見上げる嵯峨。
「まあな。墓参りか?」
嵯峨はそう言うと立ち上がった。そして同時に来客を知らせるベルが赤松の机の端でなった。
「誰やね……」
「貴子さんだな」
『まあ、新三郎さん……お久しぶりですわね』
紺色の留袖に映える目鼻立ちのはっきりした女性の姿に頭を掻く嵯峨。そして彼女の隣にちょこんと立つ赤松の娘直満の姿を見ると自然と嵯峨の声に緊張が走った。
「ちょうど良いですね、貴子さん。実は……」
「貴子、待たせたな。とりあえず下で待っててくれへんか?この馬鹿にも墓参りくらいさせたいよってに」
そう言うと赤松は伸びをして机の隅においてあった制帽をかぶって首もとのボタンをしっかりと締めなおした。
動乱群像録 89
静かに廊下を出る二人。
勝利の余韻に浸ることも許されず緊張した空気の流れる海軍省。その廊下を黙って二人は歩く。エレベータ。消費された物資の計算書を手にした事務官達に押されるようにして二人はそのまま一番奥に追いやられた。
「あ!赤松将軍」
「ええで、仕事が一番大事や」
そんな赤松の言葉に疲れた笑みを浮かべると事務官はすぐ次の階で開いた扉から出て行く。赤松は笑顔で彼等が隣の資料室に走っていくのを見守った。
「戦争は……本当に物量の浪費だからな」
「そう思っとんなら胡州の海外資産の凍結解除をなんとかせいや」
そんな赤松の不満に懐手の嵯峨がにんまりと笑う。ドアが開きセキュリティーチェックを済ませた二人の前には貴子が立っていた。そしてその隣には先ほどまで庭で話をしていた明石、別所、魚住、黒田そして正親町三条楓の姿があった。
「忠満さん。この人達も付き合いたいんですって」
貴子の笑みを含んだ言葉に思わず赤松の顔が緩んだ。
「楓。どうだ、部隊は」
久しぶりに会う親子の姿をほほえましげに巨漢の明石が見下ろしている。
「勉強になります。色々と」
「ああ、そうだ。未来の旦那は見つかったんか?」
赤松の言葉に楓は理解できないと言うような顔をしていた。
「忠さん……こいつは兄貴の所の要の馬鹿にご執心でね。お前さんのお袋みたいに」
父の言葉に顔を赤らめてうつむく楓。明石達は楓の父親のよく分からない言葉にしばらく呆然と楓を眺めていた。
「なんや……女子(おなご)同士がええんやな」
赤松の言葉に楓が頬を赤らめる。その話を初めて知った明石達はただ呆然と楓を見つめていた。
「そういうわけ。じゃあ別所君、車を」
貴子の言葉にはじかれるように別所と明石が走り出した。
「いろいろ大変ですね、嵯峨殿も」
「まあね」
黒田の言葉に嵯峨は大きくため息をついた。
「それにしても……むなしい勝利ですね」
魚住の言葉。それを避難するように貴子が振り返った。弟の信念を貫いての死。それを受け止めている彼女には魚住の言葉は軽はずみに思えていた。
「まあ……あれや。人間の人生は一度しかない。ワシも貞坊もそれをかけて動いた。そしてそれに付き合って死んじまった人間がいる。そういう事実は受け止めとかんとな」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直