遼州戦記 播州愚連隊
「ホンマに!ええ加減にせえよ!人の命で遊ぶのは……」
よろけた嵯峨。その口元に血が浮いていた。それをぬぐうと嵯峨は今度は片膝を付いて醍醐の肩を叩いた。
「確かに……忠さんの言うことももっともだね」
そう言いつつ嵯峨は相変わらず不機嫌そうに立ち上がるとそのまま椅子に戻った。
「とりあえず首と胴体がつながった感想はどうだ?」
「お許しいただけるのですか?」
嵯峨の投げやりな言葉に佐賀は少しばかり笑みを浮かべて顔を上げる。
「まあ姉貴にさあ。殺すなって言われてるんだよ。これ以上人死にを出して何をしたいんだってね」
嵯峨の義理の姉、西園寺康子。その化け物じみたこの内戦での戦いの噂が駆け巡っているだけに彼女に諭された嵯峨が無理をしないのを納得して赤松は自分の席に戻った。
「兄上……」
「すまん……文隆」
力が抜けたように頭を下げる弟をなだめる兄。その様子に嵯峨の視線は惹きつけられていた。
「なんやかんや言いながら血のつながりってのは重要なんだねえ」
赤松のそう言う旧友の表情が複雑なものになっているのを察した。母の同じ唯一の弟ムジャンタ・バスバを政治的取引の関係で斬殺しなければならなくなった時。それ以上に父、霊帝の送り名のムジャンタ・カバラと死闘を繰り広げた少年時代からこの男には誰も信じられないという信念が芽生えたのかもしれない。そんなことを考えながら貧弱な少年としか見れなかった13歳の時の出会いのことを思い出す。
「それにしてもええのんか?まもなく影武者さんが帝都に入国することになってんで」
「あっ!」
思い出したように立ち上がり頭を掻く。そして腕の端末で時間を確認して大きくため息をつく嵯峨。
「つまらないことに時間使っちゃったよ……あと二時間で鵜園殿で宰相の任命式だ」
「お上、お急ぎください」
気分を切り替えた醍醐は立ち上がると自分の端末を開いて陸軍省に連絡を取る。そんな勝者達を眺めながら決して自分が許されることはないと思いながら佐賀は一人で床に座り続けていた。
動乱群像録 87
「暇やな」
そう言いながら明石はこってりと油の浮いたラーメンを啜っていた。その目の前では静かに楓がどうしたらいいのか分からないように座っている。
「いいんだよ、好きに食えば」
魚住はもうすでに頼んでいた替え玉が来るとそれをラーメンの中に入れてしまった。第三艦隊クルーは久しぶりの休日を楽しんでいた。パイロットは三分の一が戦死。明石も例外ではなくこの数日は戦死した部下達の家を訪問して頭を下げる日々が続いていた。
官庁街や上流貴族の住む屋敷町などは今でも多くの武装した治安維持部隊が闊歩しているがこういった下町にくるともうすでにそんな堅苦しい雰囲気は抜けていた。
「おやじ!ワシにも替え玉や」
そう言うと明石はどんぶりをカウンターに載せた。うれしそうに頭を下げながら麺を湯に投ずる大将。
「しかし……別所の奴も災難だな。しばらくは海軍での官派の取調べがお仕事だ。パイロット上がりの俺等にはつらいよ」
「それを言うなら一番の悲劇は黒田やろ。付き合いがいいのも考えもんや」
大将が差し出した替え玉入りのどんぶりを受け取りスープに麺をなじませる明石。その様子にようやく踏ん切りが付いたというように楓は麺に箸を伸ばす。明石は決起した士官達の取調べに立ち会っているだろう別所達を思い出していた。官派の士官達が自分の正当性を叫びながら状況説明に応じない姿勢を貫いている様は鉄や続きの別所をねぎらいに行った時に目にしていた。そしてこの戦いが根深くこれからも遺恨として残るだろうと想像して少しばかり憂鬱な気分になったのを思い出した。
「……そのまま麺を取ってだし汁につけて食べる。簡単だろ?」
そう不器用につけ麺を箸でつかんでいる楓に教えながらチャーシューをかじる魚住。上官の言葉に仕方が無いというように楓が麺をだし汁につけた。
「しかし……あの噂はほんまやろか?」
「噂って?」
魚住のとぼけた表情に明石は大きくため息をついた。
「あの中央突破を狙った官派の部隊がとんでもない望遠距離から狙撃されて流れが変わったって言う噂だよ」
「そら初耳やな。詳しく話せ」
箸を握りなおした明石は興味深そうに魚住の顔を見つめていた。
「法術の話は知ってるか?」
「突然なんやねん……法術?修験道の一種かなにかか?」
魚住の突拍子の無い話に呆然と訪ねる明石。そしてその言葉にかすかに動きを止めた楓を見て魚住はどう話を切り出したらいいか考えた。
「正親町三条曹長。何か聞いたことがあるか?」
「な……何がですか?」
「お前の親父さんの嵯峨惟基や伯母の西園寺康子様。そして……」
魚住が追い詰めるたびに小さくなる楓。明石もこれを見て少しばかり不審に思った。
「隠し事か?隠さなあかんことならこいつなんて無視してやり」
「ひでえなあ。実際さっきの狙撃手の話を聞きたがったのはタコじゃねえか」
「まあそうなんやけど……なあ」
明石が目をやると鳩が豆鉄砲を食らったようにあたふたと麺を啜る楓。この少女の過去に何があるかを明石も知りたくないわけではなかった。
嵯峨惟基。元々かなり胡散臭い人物の娘である彼女が知っているかもしれない秘密。そして一族である西園寺康子の秘密について何かを知っていることはすぐにわかった。それでも明石がそちらに話題を振らなかったのはその秘密が今は知るべきじゃない事実だと言うことを直感していたからだった。
前の大戦の終戦前日。特攻用の兵器のメンテナンスを頼みに言った際、明石は見たくも無い出撃表を見ることになった。そこには貴族は原則として特攻部隊としては出撃させないと言う注意書きが書かれていた。艦には明石以外は爵位を持つ人物はいなかった。そして明石は所詮は寺社貴族の次男坊ということで士族や平民上がりの同僚達や上官達と同じ恐怖を体験していると信じていた。それが裏切られた時。その仕組みを知ってしまった時。もうすでに戦後のドヤ街を徘徊する運命は決まっていたのだと明石は思っていた。その時に感じた知りたくない事実に出会う衝撃を思い出すと自然と明石の表情は曇った。
「ワシは聞きとうない」
明石はいつの間にかそうつぶやいていた。
「聞かせろとか聞きたくないとか面倒な奴だな」
そう言うとニヤリと笑って黙り込む魚住。その様子になぜか満足げな楓。
「まあ知らんでもええことなのはようわかった。で?」
「で?ってなんだよ」
魚住はそう言いながら手元の携帯端末を開く。そしてそのままいくつか操作をすると明石の腕の携帯端末が着信を知らせた。
「あんまり広めたくは無かったんだがな。一応法術に関する陸軍と海軍の資料で俺が届く範囲のものは送ったぞ。もしもっと深入りしたければ別所に聞け」
そう言うと魚住は立ち上がった。
「そう言えば……久しぶりに野球でもやりたいな」
「メンバーがおらん」
「まったく空気が読めん奴だな……何も職業野球をやろうってわけじゃねえんだから」
呆れたようにそう言うとボールを投げるフォームを再現してみせる魚住。その様子を苦笑いで眺める明石。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直