遼州戦記 播州愚連隊
その言葉に一同は唖然とした。すでに越州の艦隊はかなりの損害を出して撤退を開始していることくらいは佐賀も知っていると思っていた。
「その話でしたら……」
参謀の一言に自分の他力本願な本音が出たことに少し後悔しながら仕方なく佐賀は言葉を続けようとした。
「勝てなければ意味は無い。あの茶坊主もそれを知って沈黙しているんだろうからな」
佐賀の卑屈な笑み。そして裏千家の流れを汲む新泉流茶道の家元でもある嵯峨を『茶坊主』と言う言葉に参謀達は苦笑いを浮かべた。
殿上嵯峨家の家督。四大公の一つとして知られるその地位は長く不在が続き、地下佐賀家の当主である佐賀高家は泉州をはじめとするコロニー群の管理を代行している西園寺家に何度と無く足を運んでその家の家督相続を運動していた。だがそれは無駄に終わって西園寺家の三男と言う地位の西園寺新三郎に奪われることになった。
先の大戦では憲兵隊の隊長として幾多の戦争犯罪に手を染めて捕虜として地球に送られた新三郎こと嵯峨惟基の非道を訴えて廃嫡と自分への相続を訴えたが殿上人は誰一人彼の言葉に耳を貸すことは無かった。そして遼南皇帝として立った嵯峨を指を咥えて見ているしかない自分を影で嘲笑している目の前の参謀達にどういう顔をすればいいのか佐賀は分からなかった。
今回も西園寺派に付くことを強制されるかと思えば、嵯峨の言葉は自分の態度は勝手に決めろと言う投げやりな言葉だけだった。同僚の嵯峨家三家老の池幸重は西園寺基義が嫌いだと平然と言ってのけ、烏丸派の重鎮として胡州陸軍の西園寺派の軍を釘付けにするために南極基地に居座って同僚の醍醐文隆の軍が動くのを待ち構えている。
そんな状況だったが、佐賀はこの状況でもまだ迷っていた。
「越州の脅威が無いと分かれば第三艦隊は全艦をこちらに向けてくるんだろ?」
佐賀も自分の言葉が震えていることは分かっていた。参謀達の表情は変わらないが誰もが腹の中では自分の優柔不断にあきれ果てているだろうと思うと自分自身に腹が立ってくる。
「それでは高家様……」
参謀の一人、片目のアサルト・モジュールパイロット上がりの大佐が仕方が無いと言うように口を開く。それにすがるような目を向ける佐賀。他の参謀達が唖然としているのを知りながらも佐賀はその大佐の言葉にすがるしかなかった。
「動くタイミングをずらせばいいのですよ。どちらが勝つか。分からない現状では烏丸公にだけ恩を売るのは得策ではありません。ゆっくりと戦闘宙域に現れて勝ちそうな軍勢に協力する。それが昔から一番賢いやり方です」
佐賀は自分が言いたかったことを代弁してくれた片目の大佐、小見胤継にすがりつきたい気持ちをようやく抑えて咳払いをした。彼には周りの部下達がその卑怯極まりない策に同調するだろう上官をあざ笑っているような妄想に駆られながらしばらく呆然と周りを見渡した。
「日和見を決め込めと言うのか?」
佐賀の言葉に誰もが少しばかり複雑な表情を浮かべた。そしてその顔つきが佐賀をさらに苛立たせた。確かにそうすれば参謀達の身分は保証されるのは間違いなかった。だが寝返りを打った自分への世間の風当たりは想像するだけでぞっとした。
「日和見とは言い方が悪いですね。ただ戦いに間に合うかどうか分からない事情が多くあると言うことですよ。清原提督には醍醐派の陸軍部隊のけん制が必要だったと、赤松さんには烏丸派の勢いに飲まれたと説明すればいいだけの話です。ある意味事実ですから」
片目の鋭い眼光が佐賀を貫く。そしてその口元の笑みが佐賀に決意を迫った。
「……文隆の軍は何隻の艦艇を用意できるんだ?」
佐賀は熟慮の後そう言って視線を机の上のモニターに落とした。参謀達は安堵したと言うように資料を探し始める。
「恐らく南極基地の艦艇に池少将は手をつけないでしょうから。多ければ戦艦『伊勢』級を三隻。巡洋艦は五隻ほどがあるはずです。軌道上に待機している同調した泉州の艦艇を含めれば我々と同規模の艦隊を編成できるはずです……」
そこまで言うと片目の参謀は明らかな笑みを佐賀に向けてくる。
「それなら警戒は必要だな。我々にはその脅威……いやその監視をする義務があるだろ?」
小声でささやく佐賀。その落ちつかない様子に参謀達はまた不安にさいなまれているような顔になる。
「だれか……不服なものはいるのかね?」
明らかに泣き言のような調子で佐賀がつぶやくが誰一人それに答えるものは無い。自分がどう言う部下に出会ったのかを佐賀はここで始めて思い知った。
『文隆、赤松君……君達がうらやましいよ……俺にはろくな部下がいない』
自分の決断力の無さを棚に上げて佐賀はそう心の中で独り言を繰り返すだけだった。
動乱群像録 40
「そないに緊張することあらへんで」
しきりと軍服のカラーを気にする正親町三条楓を見ながら不器用に敬礼しながら第三艦隊旗艦『播磨』の艦隊司令室に明石は入った。『至誠』の文字の掛け軸がかかった司令の執務机には赤松忠満が一人、筆でなにやら書付を残しているところだった。
「おう、タコとお嬢か」
そう言うと真剣な面差しを崩して立ち上がり応接用のソファーに二人を導く赤松。女性としては長身の180cm近い楓と同じくらいの身長の赤松だが比べてみるとどうしても背の低い人物に見えて2mを超える大男の明石はどうにも苦笑してしまう。
「あーなんかええもん無かったかな……」
「さすがに酒はあかんのと違いますか?」
「誰が酒出すなんて言うかいな。甘いもんのはなしや」
上官が二人とも関西弁を使うのを見ながら硬い表情で楓は明石の隣に腰を下ろした。
「特命……ですよね」
楓の言葉に赤松の表情がほぐれる。そして赤松はそのまま忙しく明石達の正面のソファーから飛び上がるようにして執務机の上の和紙の書簡を手にとって応接用の机に置いた。
「手紙ですか……それを届ける為に戦線を離脱しろと?」
明石は静かにそう言って書簡に視線を向ける。楓は少しこの先の赤松の言動が予想できたと言うように不機嫌そうに頬を膨らませた。
「済まんなあ。ワシは知ってのとおりの恐妻家やからな……」
そう言って頭を掻く。公私混同。本来そんなことをしない人間と思っていた明石だが、その赤松の食えない表情に苦笑いを浮かべるばかりだった。
「手紙を届ければいいんですね」
硬い表情のまま楓は静かに書簡に手を伸ばそうとした。
「ですが……敵艦隊を迂回するとなるといつ着くか分かりませんよ」
楓の言葉はもっともな話であるが明石は少しばかり赤松の表情から仕掛けがあることを見抜いた。
「正親町三条曹長。君の専用機は清原派の艦隊には連絡してあるから。攻撃は無いと思うた方がええな」
そんな赤松の言葉に楓の顔が青く染まった。
「僕が……いえ、自分が女だからですか?」
赤松も明石も大きくため息をつく。しばらくの沈黙。ようやく息を整えた赤松が口を開いた。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直