遼州戦記 播州愚連隊
焦っているように食い気味にしゃべる清原に安東は少しばかり不安を覚えていた。
「現在大麗での同盟機構設立準備会議に出席中のムジャンタ・ラスコー陛下ですが……」
「偽者だろ?あの人が今の状況を見逃すわけが無いよ。実際彼の被官の池君と佐賀君が我々の支援に回っているのが信じられないくらいだ」
驚く様子の無い清原。その姿に安東は一抹の不安を覚えた。
「事態は悪い方には進んでいない。すべてが予定通りだ。後は……」
そう言うと清原は机の端末を操作する。そこに移るのは主な嵯峨家の被官達だった。
「間違いないのは嵯峨が今回の戦いには家臣達に身の振り方は自由にと伝えていることだ。とりあえず地下の佐賀高家卿と池卿はこちらに取り込んだ……」
髭の目立つ凡庸な顔立ちの佐賀高家侯爵。先代の西園寺家当主、西園寺重基公爵の気まぐれで彼の三男の嵯峨惟基が跡目を継がなければ自分が嵯峨の名を名乗れたと年中口にしている反骨の男。彼が烏丸に擦り寄ってきたのは当然だと安東も思っていた。だが嵯峨の三侯爵の中で池幸重(いけゆきしげ)が同調するとは安東も思っていなかった。先の地球との戦いで火星奪還に燃える地球軍を巧みな用兵で翻弄した陸軍の策士。西園寺派の重鎮でアフリカ戦線で勇名を轟かせた醍醐文隆将軍とは同じ地球方面軍で戦った同志である。たとえ陸軍では烏丸派が優勢だとは言え、そちらに尻尾を振る理由が池には見つからなかった。
「浮かないようだな『胡州の侍』殿は」
そう言ってにやりと笑う清原の顔。正直安東はそう言うところがこの恩人の嫌いなところだった。妙に自分の手柄を誇って見せる。実際池の説得を行なったのは清原であり、他の誰もが説得はできないだろうと思っていた池を引きずり込んだことで陸軍では醍醐卿の勢力を大きく削ぐことに成功したのは事実だった。
「胡州南極基地の防衛部隊……あまりに鍵を握りすぎていると思うんですが……」
「だからだよ。醍醐君も馬鹿じゃない。決起までに相当数の陸軍士官の行方が消えていると言う報告もあった。いくつかの地表コロニーの防衛部隊が我々に対して音信を途絶しているところから見て彼らを率いて宇宙に上がって決戦を挑むのが醍醐君のプランだろう……だから彼を宇宙に上げないためには南極基地の防衛部隊を引き込む必要があるんだ。それくらいは分かるだろ?」
時々見せる相手を見下すような表情の清原。実際主義主張ではなく清原と言う人物が嫌いで西園寺派についている将校がかなりいるのも安東には分かった。ただそれだけ説明をしても納得しないような安藤に清原は不機嫌そうな態度になる。同時に大臣の執務机に来客が告げられた。
「私だ」
『烏丸卿がお見えになりました』
「そうか。では私が行こう。それと安東君」
得意げに顔を上げる上官に仏頂面しか見せられない安東。その様子に少しばかり顔をゆがめた後、満面の笑みで清原は立ち上がって安東の肩を叩いた。
「大丈夫だ、気にすることは無いよ……そうだ。このところ家にも帰っていないだろ?たまには顔を出して恭子さんを安心させてやれ」
そう言うと清原は笑みを浮かべて大臣室を出て行く。安東は相変わらず腑に落ちない表情で恩人に続いて居心地の悪い陸軍大臣の執務室を後にした。
動乱群像録 29
安東は車から降りると玄関で立ち止まった。
「御前……」
「いや、いい。気にしないでくれ」
心配そうに言葉をかけてくる運転手の田中にそう言うと玄関を開いた。目の前に座っている安東の子供時代からこの家に仕えている飯田という名の下男が眠りから覚めて驚いた表情で安東を見上げた。
「これは!御前!」
「気にするな。たまたま暇ができたから帰ってきただけだ」
そう言うと安東は静かに腰を下ろして軍用のブーツを脱ぐために腰をかける。
「恭子様は今日は発作もなく……」
「分かってる。ちゃんと顔は出すさ」
妻の恭子の名前を出されて少し照れながらコートを飯田に差し出した。
恭子は病んでいた。医師は心労がたたっていると言うが、それだけが原因でないのは安東にも分かっていた。確かに彼女は兄の赤松忠満と夫との対立に心を痛めていたのは事実だが、それ以上に何かがあるのではと安東は医師を問い詰めて答えを引き出した。神経系が次第に衰弱して死に至る病気。医師は安東にそう打ち明けた。神経系に欠陥がなければサイボーグ化しての延命は可能だが、肝心の脊髄から小脳にかけての神経に問題があるとなれば話は別だった。
延命の道が無い。そのことは恭子には黙っているが、彼女もうすうす感づいているらしく最近は軍務で忙しい安東がたまに顔を出しても会おうとしない日が続いていた。
「それじゃあちょっと見てくるよ」
軍靴を脱ぎ終えた安東は飯田にそう優しく言い残して廊下を恭子が暮らしている別館へと進んだ。彼の領邦である羽州はアステロイドベルトでも大型の小惑星が多く存在していて資源に恵まれたところだった。父母に早く死なれて姉であり今は敵である赤松家に嫁いだ姉の貴子と二人で烏丸卿の後見で暮らしてもこの中堅貴族にしては大きな帝都屋敷を管理できる程度の収入はあった。
庭の大きな緑色の岩に目をやると、そこには恭子の姿があった。
「恭子!起きていて……」
安東が思わず素足で庭に下りたのを見て恭子は驚くような表情で手にしていたトンボ珠を振り回しながら別館の方へと消えていった。
そのまま駆け出した安東。だが閉め切られたふすまを見てその手は戸から離れていた。
「おかえりなさい……」
ようやく搾り出したと言うような恭子の声に静かに頷く安東。何も言えずにただ日暮れの庭にたたずむ。
「調子はどうなんだ?」
「悪くは無いです」
扉の裏に張り付いて開かないように踏ん張っている恭子のことを思うと安東は胸が締め付けられる気持ちになった。始めは二人はこうではなかったはずだ。安東はそう思い返してみる。
高等予科で将来の士官として過ごしていたとき。喧嘩ばかりの彼の日常に西園寺家の三男の西園寺新三郎、その学友として付いて回る赤松忠満、そしてなぜか馬が合って共にすごしていた濃州候の時期当主である斎藤一学。士族などの子弟の通う陸軍予科などの不良と悶着を起こして怒鳴られるのは赤松と安東。二人は自然とお互いの家に入り浸るようになった。そんな中で次第にお互いの姉と妹に引かれていったのは不思議なことだった。
「実はな……」
ようやく士官学校に進むという日、赤松家の洋風のリビングで寝転んで漫画を読んでいた安東に正座をしている赤松の姿を見つけてめんどくさそうに安東は起き上がった。
「恭子がな……貴様のことを好きなんやて」
赤松の言いにくそうな表情の後ろの扉にじっと張り付いている恭子。赤松の知らない話だったが当時すでに恭子と安東は付き合っていた。それを赤松が知らないと言うことに気づいて噴出しそうになるのを我慢して尋ねる。
「で?」
真剣な赤松の表情が面白くて安東は漫画を脇においてソファーの上から見下ろすように土下座する親友の姿を見下ろしていた。
「別に……そんな、特にお願いは無いんやけど」
「そうか、なら野暮なことは辞めとけ」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直