遼州戦記 播州愚連隊
胡州本星で越州決起の報が広まっていた時にはすでに越州軍は主力を濃州第三コロニーまで進めてきていた。駐屯基地。旧式の九七式ばかりを装備している濃州防衛部隊は大半の戦力を戦闘開始三十分で失っていた。
「洋子様が出ることは無いでしょう」
斎藤一実はパイロットスーツで女性当主の前に立ちふさがった。胡州の第三艦隊が出撃準備に入ったと言う知らせとともに越州艦隊は濃州第三コロニーに照準を合わせてきていることはアクティブセンサーを見るまでもなく撃破された友軍機のビーコンでわかる程度に彼我の戦力差は違いすぎた。その様子が分かるだけにこのコントロールルームの中の士官が誰も逃げようとしないのが不思議に思える状況が展開されていた。
長い髪をなびかせながらヘルメットを手にした領主斎藤洋子は目の前に立つ大柄な一族の筆頭格の斎藤一実を見上げていた。
「私が動かなければ士気が下がります!それに一実様にはしてもらわねばならないことがありますから」
そう言って長い黒髪をヘルメットに収めようとしている。そんな領主を斎藤とその部下達は洋子の前に立ちふさがっていた。
「洋子様!あなたを失えば濃州の士気は落ちます。そうすれば赤松公の艦隊が到着したとしても……」
斎藤の言葉に洋子は大きくため息をついた。
「まるで私が無能のようなおっしゃりようですね。私も胡州の青い騎士と呼ばれた斎藤一学の妹ですわよ。それなりの活躍くらい……」
「それが甘いと申し上げているのです!戦場では強い弱いより運次第で明暗が分かれるものです。大将を失えば必然的に濃州は落ちます!」
「でも……」
そう言って口ごもる女主の鳩尾に一実はこぶしを放った。突然のことにそのまま意識を失う明子。
「大尉……」
部下達は突然の一実の行動にためらっている。一実は静かに彼女を抱えると人を呼ぶべく駆逐艦のタラップに手を振った。
「この戦いは私情で動いてはならないものなのです。一学様の守った濃州。明子様が立派に支えていって下さらなければ意味がありません」
そう言うと事態を理解した兵士達は気を失ったままの洋子を担ぎ上げる。
「それでは濃州勢の力とやらを越州のならず者に見せてくれようか」
一実の笑いに周りのパイロットスーツの男達も笑顔を浮かべる。そしてそのまま駆逐艦のタラップに向けて無重力空間を浮いたまま進んでいくことになった。
『濃州はそうやすやすとは獲られませんよ……』
心の中でつぶやく一実。彼がそのまま無重力空間を進んでいると慣れた調子で負傷したパイロット達が立ちふさがった。
「貴様等が出る必要は無い。後は頼む」
「いえ……一実様だけを生贄にしたら死んでも死に切れませんよ。それに泉州の救助艦隊が到着するまで時間を稼がないと……」
誰もが死を覚悟していた。かつてこの地を慈愛で収めた代々の斎藤家の当主への恩義が彼等を突き動かしていた。
「自分の世話は自分で焼けよ」
「分かっていますよ」
思わず微笑む片目の下士官。その肩を叩くと気合を入れるように深呼吸をする一実。
「じゃああの連中に濃州の戦争を教えてやろう」
にんまりと笑うと兵士が投げたヘルメットを被り、斎藤一実はそのままハンガーへと向かった。
動乱群像録 25
新しい家の梁が鮮やかな帝都の上流貴族の邸宅。大きすぎる松の木の影につぶやく言葉が響いた。
「それで……勝てるのかね?」
青白いその表情に神経質そうな震えが走る。烏丸頼盛は開いた襖から見える外の景色を見ながら寝室で布団から上体を起こしただけの姿でゆっくりと茶を啜っていた。しばらくそのまま庭をいとおしげに眺めた後、彼は脇に控える清原、安東の顔に視線を移した。
「大丈夫でしょう。すでに在郷軍人会などを通して我々の同志には武器が支給されつつあります。後は……」
「保科さんの死を待つばかりか」
そう言うとニヤリと笑う烏丸。安東はその表情とその言葉の意味に恐怖を覚えていた。烏丸家を頼る軍縮で行き場を失った元兵士達と特権を剥奪され続けている下級貴族達のために立ち上がる。そう思っていた清原達の動きの過程に彼等の恩人である保科老人の死までも計算に入っているとは寝耳に水の話だった。
「実はすでに集中治療室の中ですからは今日か……明日か……」
清原は淡々とそう言うと下座の安東に目を向けた。その目が悲しみを湛えていたのが安東にとっての唯一の救いだった。一方西園寺派の呼び出しに仮病で応じている彼等の担ぐ四大公の一人である烏丸の目は生気を失ったように安藤の方をちらちら見るばかりだった。
「では君の思うようにしたまえ。当然すべては保科卿の死のタイミングを見てからだ」
敗戦時の戦争責任者追放から拾ってくれた恩人の死を待っているかのような言葉に安東は握りこぶしを固めていた。だが襖が開くと清原は立ち上がり何も無かったように出て行こうとする。安東もまたその後に続いて貴人の寝所を後にした。
「何も言うな」
小声で清原がそう言うのを見て安東は怒りの言葉を飲み込んだ。
「我々が掲げるのは秩序だ。その頂上に立つにはその秩序の上にある人物でなければならない。本来であれば保科さんに立ってもらいたかったが……」
そう言いながら清原は烏丸の寝所を振り返ってため息をついた。そして安東も彼に同情した。四大公が政務を取り仕切り国をまとめる。それは胡州の建国以来の伝統だった。宰相の半分以上は西園寺、大河内、烏丸、嵯峨の当主か分家から輩出されており、そうでなくても四家の影響を離れた政権は一つも存在していないのは事実だった。
彼等の敵である西園寺基義は本人が西園寺家当主であると言うことで影響力を保持している現状に不満を述べることが多いほどの貴族嫌いで知られていた。事実、西園寺の同志を名乗る政治家達には平民出身者が多い。今回の組閣でも大臣の半数は平民からの登用だった。この流れを変えなければならない。そう考える清原が後ろ盾に病弱で優柔不断な烏丸公を持ち上げたのが身分の秩序を復活させることを意図していることは安東も察していた。
枯山水が見える廊下を歩きながら安東は自分が戻れない境界線を越えてしまったことを自然と理解していた。
「すべてはこの国の有り方を守る為だ。たとえ鶏だろうが木切れだろうが四大公家が国を纏め、我々が導き、民はそれに従う。この有り方で長年この国は動いてきた。そしてそれによってこの国は常に正義を行なえる国として君臨してきたんだ。秩序を乱すものはすべからく敵だ。たとえ西園寺や大河内の家を背後に背負っていようが関係ないんだ」
清原の言葉。それは自分に大してではなく、清原自身に言い聞かせているように安東には見えた。
「心中お察し申し上げます……」
そんな安東の言葉に一瞬怒りの表情を浮かべた清原だが、いつもの冷静さをすぐに取り戻すとそのまま玄関へと足を向ける。
「この戦い……勝てるはずだ」
恩人のその根拠の薄い自信に安東は自然と出るため息を止めることができなかった。
動乱群像録 26
「保科公が……亡くなられました……」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直