遼州戦記 播州愚連隊
「そうか……」
安東の言葉に安心したように頷くと赤松はゆっくりと肴の寄せ豆腐に箸を伸ばす。
「まあ忠さんはと言えば相変わらず尻に敷かれているみたいだけどな」
「そないなことは……」
「無いのか?」
ニヤニヤと笑う嵯峨に突っ込まれて一人うつむく赤松。そんなやり取りはそれぞれが現在の胡州を取り巻く政治状況を演出している人材であると言うことを忘れさせるほど和やかなものだった。トメ吉も安堵したように漆が赤く輝く酒器で安東の杯に酒を注ぐ。
そんなトメ吉に笑顔を見せた後、すぐに安東の顔は真剣なものに変わった。
「それはそれとしてだ」
安東は杯を膳に置いて静かに嵯峨を見つめる。
「俺達を会わせた。もしかして仲直りさせるとか言うつまらない話じゃないんだろうな」
低くこもった安東の声。嵯峨は杯をあおり静かに目を赤松に向ける。
「そないに単純な立場ちゃうこと位はわかっとるわなあ……あれか?最後の酒席を見たかったんか?」
赤松の問いにも答えることなく遠慮がちに一歩下がったトメ吉を一瞥した後、嵯峨は横に置かれた斎藤一学の遺影を手に取った。
「俺達……馬鹿をやっていた時代があって、あの戦争があって、それから色々あって今の立場だ。貞坊は今や陸軍じゃあ英雄だ。忠さんもどうして海軍や庶民には人気の人材。そして俺は遼州を率いる新星とか言われて持ち上げられてる」
そう言うと嵯峨はわずかに残っていた杯の酒を飲み干した。赤松も安東も黙ったまま着流し姿のこのような店には似つかわしくない風情の男をじっと見つめている。
「でも俺達のどこが変わったんだ?斎藤の奴の戦死。おれは遼南で遼北の機甲師団を前にして無様な大敗を喫する直前に聞いたんだが……泣いたよやっぱり。不死身の憲兵隊長とか『人斬り新三』とか呼ばれていきがってたけど結局は中身は何にも変わっちゃいないんだ」
嵯峨の言葉に安東は静かに頷いた。赤松も黙ったまま膳の上に視線を走らせている。
「お前さん達の喧嘩。最後まで看取るのが俺の仕事なのかもしれない……だから言わせてもらうよ。勝負は一撃で決めてくれ。長引けば長引くほど俺は遼州同盟を抑えるのが難しくなる。にらみを利かせても地球軍の介入を抑えるのも限界がある。俺からのお願いはそれだけだ」
そう言うと嵯峨は再び杯を手に取った。トメ吉はその空の杯に酒を注ぐ。沈黙が場を支配することになった。
沈黙する中、三人はそれぞれに酒をすする。誰一人話しかけることを知らない。そんな男達に愛想を尽かしたようにトメ吉は三味線を爪弾く。その調べがむなしく響く中で時だけが静かに過ぎた。
「あいつがいたらどう言うだろうな……」
安東の言葉に視線は自然とトメ吉に向いた。彼女も困惑したように作り笑顔で答える。
「分かんねえよ!俺には!」
そう叫ぶと立ち上がってそのままふすまを開いて庭に飛び出した嵯峨。あっけに取られて見守っていた安東達だったが一人すっと立ち上がったトメ吉がそのまま廊下にまで出ると振り返った嵯峨の頬を平手で打った。
「甘えるんじゃないよ!男だろ?覚悟を決められないなら男を辞めちまいな!」
急激なトメ吉の変化に三人は呆然としていた。しかしその沈黙も安東の爆笑で途切れることになった。
「そりゃいいや!新三!テメエはよく女物の着物を着てタバコをくゆらしてただろ?あの時みたいにこの店で居残りを決め込んだらどうだ?皇帝なんてくだらねえ仕事なんて捨てちまってさ!」
「そうやな。……ワシも付き合って海軍辞めたるわ。安東も付き合いで部屋で暇するのもええやろ。なあ?」
三人は笑い始めた。安東も嵯峨も赤松もそんなことができないのはわかっている。でもそれでも今はそんなことを空想して楽しむことくらいしかできない。恐らく止めることのできない対立の構図の中、安東と赤松の二人が生きて再会することが無いことも二人とも分かっていた。
「それじゃあ飲むぞ!トメ吉さん、他に空いてる娘はいないの?」
「あら、年増のお酌は嫌でありんすか?」
昔のおちゃらけた人気芸者の姿がそこにあった。
誰もが明日を忘れたい。その思いでこの店で酒をあおる。そんな退廃的な享楽におぼれるのも良いだろうと思いながら三人は酒をあおり続けた。
動乱群像録 20
殺気だった雰囲気。それを収めるには言葉が必要だった
「ああ……予想はしとったけどなあ」
明石は教導部隊の隊長室の机に足を乗せて目の前の端末を眺めていた。隊員達も席に座ってそれぞれに端末に目を走らせていた。流れているのはニュース。そこでは越州鎮台府の城一清大佐が西園寺政権を認めずに篭城に入ったと叫ぶアナウンサーの声が響いていた。
「やはりあそこは動きますか……清原さんと越州鎮台府の城さんは懇意ですからね。恐らくつぶしにかかるとしたら濃州ですよ」
ソファーに腰掛けて楓が茶を啜っている。『濃州』と言う言葉に明石の顔はさらに苦々しいものへと変貌した。先日の民派の士官達の会議で慎重にことを進めようとしていた髭面の斎藤一実というなの大尉の落ち着いた横顔を思い出す。間違いなく戦闘配備の進んでいるだろう濃州。その緊迫した空気を思い浮かべると明石の視線は厳しいものへと変わった。
「まあ……ある程度予想してた話やから。城はんと言えば清原はんの数少ない親友ちゅうことになっとる。恐らく囮を頼まれたんやろな」
「囮?」
少し不思議そうな表情を浮かべて自分を見つめてくる楓にまだ予科の初等科と同じ年だという幼さが見えて明石は苦笑した。
「今、城氏討伐に動ける軍は限られとる。赤松はんの第三艦隊、醍醐はんの近衛師団のどちらかやろなあ。池はんの四条畷鎮台は国際宇宙港の防衛が一番の優先課題やさかい動かれへんやろ?そうなれば赤松はんにしろ醍醐はんにしろ西園寺はんにはお世話になっとる方々や。帝都の西園寺派が一挙に留守になるやろな」
明石の言葉に楓は納得したように頷いた。
「赤松公が動けばそのまま軌道上エレベータの豊州にいる首都防衛が主任務の佐賀高家侯爵の強襲戦術部隊で帝都を制圧。そのまま機動エレベータに駐屯中の泉州艦隊で第三艦隊を挟み撃ちにするわけですか」
納得したように楓はうなづいた。
「ただそうすると問題は南極基地を醍醐はんの部隊が制圧するのにどれだけ時間がかかるかやな。池はんは先の大戦ではたいした功はあげてないよって必死で来るで。しかも醍醐はんは徹底的にお人よしやさかいのう」
明石はそう言うと天井を見上げた。
「出撃準備は必要でしょうか?」
「まあ心の中だけにしておいたほうがええやろな。実際何事もあらへんのが一番や。あくまで現状としてワシ等が備えておくべきは城はんの叛乱の多部隊への伝播や。気は引き締めとらなあかんで」
そう言いながらも明石は半分以上このまま胡州を舞台とした動乱が始まるのを予期していた。そしてそれを心待ちにしていたような自分にも気が付いていた。先の大戦。特攻隊の隊長として死ぬはずだった自分が今まで生きてきたことに時々後悔する自分に驚く日々。そしてその意味を見出せるような今回の政治と軍事の混乱。
『死に場所を見つけたんとちゃうか……』
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直